ケイのblog

愛媛県の宇和島出身。現在は横浜市で会社勤務。NHK連続ドラマ『エール』裕一(窪田正孝)音(二階堂ふみ)の主人公とその他ドラマ登場人物をモデル、古関裕而と妻金子の史実と時代背景を比較しながら、このブログでもっとドラマが楽しく見られたらいいなと思っています。

NHK朝の連続ドラマ『エール』■音の母、光子(薬師丸ひろ子)の台詞「二人が接吻しているのを見ちゃったの。汽車はもう走りだした。止まりません。…頭はダメって言ってるけど、心はいいって言ってるの。だから私は認める」こんな無茶苦茶な台詞。テレビドラマで観たことはありません。明かにテレビ劇場芝居■面白いです。私が勝手気ままに書いているブログです。でひ読んでみてください。

カテゴリ: 横浜


鉄道開業当時の横浜駅 ( 横浜停車場 )は桜木町駅近くにあります。




正確にはJR京浜東北線の桜木町駅から関内駅方向に120メートル行った所が、その場所なのだそうです。


現在では何も残っていません。


なんだか鉄道の開業当日はどんなようすだったか気になりませんか。


では、1872年10月14日にタイムスリップです。


★鉄道開業当日


午前9時、皇居を出た天皇は、新橋駅で10 両編成の列車に乗り、10時出発しました。


駅では捧銃式を行い、喇叭(ラッパ)でオーシャンの曲を演奏されました。


乗車時には日比谷(陸軍)で101発の祝砲が撃たれました。


まさに国を挙げての一大イベントでした。





列車に乗り込む乗客たちはなんとものものしい行列です。


明治政府の政治家たちも古式豊かな礼服です。


後ろに続いているのが海外の外交官でしょうか、こちらもものものしい衣装です。




この時の列車です。


1号車から9号車まであります。


結構、長い列車です。


★初めて鉄道に乗った人々


1号車から9号車までの各客車に、天皇や皇族、明治維新を率いた政治家、海外の外交官らが乗りました。


客車は英国製で、1両は全長5.4メートルという短さでした。


1、2号車には、明治天皇の警備にあたる近衛兵が乗っていました。




3号車には、明治天皇や皇族、三条実美・太政大臣ら




4号車には、副島種臣・外務卿や、西郷隆盛・参議、大隈

重信・参議、板垣退助・参議、米国大使、フランス代理公使らがそれぞれ乗りました。


明治5年は政府の高官として西郷隆盛も鉄道に乗ったんですね。




5号車にも、そうそうたる明治の人物が乗っています。


勝海舟の名前もあります。





6号車には渋沢栄一の名前もあります。





7号車には琉球正史伊江王子も乗っていたようです。

それまで沖縄は琉球王国と呼ばれていて明治5年に琉球藩となったようです。




8号車、9号車には鉄道建設に尽力した人々が乗っていました。


11時に横浜着。


約1時間の短い時間で、横浜駅に到着しました。


こちらでも同様に101発と21 発の祝砲。


横浜駅で勅語発表されました。




《今般、我が国鉄道首線工竣(な)るを告ぐ。朕(ちん)親(みずか)ら開行し、その便利を欣(よろこ)ぶ。


ああ汝百官この盛業を百事維新の初めに起しこの鴻利を万民永享の後に恵まんとす。


その励精勉力実に嘉尚すべし。朕我が国の富盛を期し、百官のためにこれを祝す。朕また更にこの業を拡張しこの線をして全国に蔓布せしめんことを庶幾(こいねがい)す》



     


12時横浜を出て、13時新橋着。


ここでも勅語を出し、その後、貴賓の挨拶が続き、延遼館(当時の迎賓館)で盛大な食事。


庭には多くの芸人が集まっていたそうです。


開国から数年で鉄道を開通させた日本の快挙は、外国の記者によって、驚きを持って海外に報道されました。


※資料の写真は桜木町駅の展示物を写したものです。


日付は新暦で表示しています。 


桜木町駅内の柱に鉄道開通のいろいろな展示物があります。


その中に初代の横浜駅舎、半立体模型がありました。




この駅舎が鉄道開通当時の駅舎みたいです。


現代の桜木町の駅




なんだか屋根の形だけは初代の駅舎の面影を残して桜木町駅を作ったみたいです。



明治維新と鉄道開通ーそれは人類の歴史の一つの奇跡だった。


1868年明治維新後、アジアでは日本やタイ王国などの一部を除いて欧米列強諸国による植民地政策が進んでいました。


明治政府はそれを回避するために富国強兵を推し進めて近代国家を整備することを掲げます。


日本人に西洋を範とした近代化を目に見える形とするため、大隈重信、伊藤博文は「日本を新しい国にするには、是非とも鉄道を造らなければならない」と考え、鉄道建設の建議書を政府に提出します。


建設に必要な資金は、現在の額で880億円。当時の政府の歳入の3分の1でした。


東京、京都、大阪、神戸の間を結ぶ路線を計画しましたが、版籍奉還から廃藩置県に伴い、政府が約2400万両(現在の価値で 5600億円)もの各藩負債を肩代わりすることになったため、建設予算がありません。


明治の新政府には全く財政の余裕がなく鉄道の建設できる状況にはなかったのです。


明治の中心人物、大久保利通は外国に対抗するためには軍の強化をおこなうべきだとして鉄道の建設には反対でした。


1869年、加藤広蔵は「交易問答」を書いて、世に問いました。




交易は人間の天性に適った最も本能的営みであって、そのために生じる生活水準の向上は奢修 とは異なると説きます。


自由貿易は必要であり、また物資の輸送はそれにともない必要であり、蒸気機関車が必要なのだと


民間からの資本を入れてでも鉄道建設をおこなうべきだという声も多くでていました。


明治政府は実際に鉄道を見ないうちは建設が進まないと考えて、首都東京と港がある横浜の間、29kmの敷設を行うことに決定しました。


当時の日本では自力での建設は無理でした。


結局、イギリスから技術や資金を援助してもらうことにしました。


1870年( 明治 3 )イギリスからエドモンド・モレルが建築師長に着任し、本格的工事が始まりました。


エドモンド・モレルが調査した東京~横浜への建設予算メモです。




1870年( 明治 3年)、鉄道敷設のための測量が開始され、同年中には着工された。


1871年(明治4年)に井上勝が山頭兼鉄道頭に就任し、建設に携わりました。


後に日本の鉄道の父と呼ばれています。


線路を敷設するのには、鉄道が当時の日本人にとっては未知のものであったことから、反対運動が多くあり


薩摩邸などがあった芝 - 品川付近などでは、50m 沖合に高さ4mの石垣を組み、その上に線路を敷くことにした。




全線29kmのうち、1/3 にあたる約10kmが海の上を走ると言う世界でも例を見ない鉄道がこうしてできました。


何はともあれ、外国人技師の指導を受けた線路工事が終わり、伊藤などを乗せて試運転も実施、停車場などの整備も順次進められた。


1872年( 明治 5年)6 12 日に品川駅~横浜駅(現在の桜木町駅 ) 間が仮開業し、 2往復の列車が運行され、翌13日には 6往復になった。




当初、途中に駅は設けられていなかったが、川崎駅、神奈川駅( 廃駅 )が営業を開始。


明治510 14日駅には、鉄道を見に来ようと大勢の見物客でにぎわいました。


午前10時、天皇陛下を乗せた1 号車は、新橋駅を出発。


わずか53分で横浜駅に着きました。


歩いて10時間かかっていたのが、1 時間でいけたのです。


後に汽車に乗った鉄道反対派の大久保は、こう書き記しています。


「鉄道の発展なくして国の繁栄はない」


              (大久保利通日記より)


鶴見駅が開業したのも、この時です。


正式開業時の列車本数は日9往復、全線所要時間は53 分、速度は32.8km/hでした。


全区間の運賃は上等が112 5厘、中等が75 銭、下等が 375厘。


下等運賃でも米が約10kg買えるほど高額なものであったと言われています。


現在で約3000円程度しょうか、かなりな高い運賃です。


現在だと新橋~桜木町は35分、運賃は470 円です。




これを記念し、1922年(大正11 年)に1014 日は「 鉄道記念日」へ指定された。


1994年(平成6年)には運輸省の発案により、「鉄道の日」と改称されている。


欧米では、極東の島国であった日本が、明治維新より僅か数年で自前の鉄道を完成させたということに、驚嘆の声が上がったといわれています。


歴史家のアーノルド・J・トインビーは次のように語っています。


「人類の歴史の奇跡の一つは、日本の明治以降の近代化である」


※資料の写真は桜木町駅の展示物を写したものです。


日付は新暦で表示しています。


JR桜木町の駅を降りて改札口を出ると、駅の柱に数多くの鉄道の記念品が展示されている。


1872年( 明治 5 ) 10 14日横浜(桜木町)と新橋間で初めて鉄道が走った。


桜木町は日本鉄道の歴史の記念すべき場所なのである。


江戸末期、ラスト・サムライたちの鉄道へのロマンス


世界で初めて鉄道が走ったのは1825年(文政8 年)イギリス、ストックトン - ダーリントン間、蒸気機関車による貨物鉄道運行が運行されている。


イギリスに於ける産業革命の結実であった。


今から192年前の話しである。


その5年後の1830 年(文政13年)にリブアープールとマンチェスター間で旅客鉄道も開業。


日本人がこれらのことを知ったのは1840年( 天保年間)まだ江戸時代のことである。




1845年( 弘化 2年)には太平洋で漂流しアメリカの船に救われ、現地へ向かったジョン万次郎(中浜万次郎)が日本人として初めて鉄道に乗っている。


ジョン万次郎は「レイローという変わった車があり、道に鉄の板を敷いている」と表現している。


蒸気機関車を「レイロー」と呼んでいた。


レールロードの意味である。まだ日本語で鉄道と言う言葉はない。


18537 8日(嘉永6年)マシュー・ペリーが率いるアメリカ海軍艦隊の艦船4隻が日本に来航


同年822 日ロシアのエフィム・プチャーチンが長崎に来航。


1853年には次々と外国船が日本に来航していたのです。


幕府の外国への対応も、たいへんだったと思います。


このアメリカとロシアの来航が日本人に鉄道の重要性を十分に認識させます。


ロシア船の上では蒸気機関車の鉄道模型を日本人に見せ、欧米の力を見せるべく、詳しい解説をおこなれました。


小型モーターはおろか電気の応用も広まる前のことです。


さぞかし、日本人は驚いたと思います。


翌年1854年にペリーが2 度目の来航。


幕府に献上した品物には大型の模型があり、日本の役人河田八之助を屋根に乗せて時速約20マイル( 32km) のスピードで走ったと記録されています。


河田八之助


「おおっ!動く!本当に動く!」


「速いもんですなあ~!」


ほんとうに子供のように感動していました。


この時の様子は、ペリーの遠征記と河田の日記の双方に書かれています。




同年、正木篤は「墨利加州沿革創設美里哥国総記補輯和解」( あめりかしゅうえんかくそうきほしゅうわげ)と言うアメリカの地理、気候、風土、歴史、産業などをまとめた本を出している。




末巻には蒸気機関車は「火輪車図」として彩色を施した美麗な図として掲載された。


もう、この頃になると蒸気機関車は日本の男たちの憧れでもあり、ロマンスにもなってきた。




1855年(安政2年)佐賀藩ではこの模型に特に興味を示し、田中久重( からくり儀右衛門)と重臣や藩校の者の手によって、全長約27cmほどのアルコール燃料で動作する模型機関車を完成させています。


これがその時の模型機関車を走らせたようすです。


模型とはいえ、日本人がはじめて作った機関車だった。


西洋に追いつけ、追いこせ、江戸末期のラスト・サムライたちの鉄道へのロマンと熱き血潮が燃えたぎるのだった。



※写真は全て桜木町駅展示品を撮影したものです。

桜が咲いた。




えっ‼︎


早過ぎる。




横浜の青葉区あざみ野の図書館前にもう咲いていました。


河津桜ですね。


今年もピンク色の綺麗な花びらがいっぱいです。


外は、まだ寒いけど


もう直ぐ春。


まい年、どの桜より一番早く咲く河津桜。


春一番の風とともに春一番の花だよりです。


空の青さとピンク色の桜


心が明るくなってきます。


この河津桜は1955年( 昭和30 )飯田勝美さんが静岡県賀茂郡河津町田で原木を偶然発見したそうです。


当初、発見者の飯田氏の屋号から「小峰桜」と地元で言われてきました。


その後の学術調査で今までに無かった雑種起源の園芸品種であると判明。


1974年( 昭和 49 )に「カワヅザクラ (河津桜)」と命名されたのだとか


現在も原木は河津町にあるのだそうです。


河津桜は昔からの桜じゃないんですね。


ソメイヨシノより河津桜がもっと最近だって初めて知りました。




綺麗。綺麗。綺麗。


美しいピンクの花。


花びらが、ピンク色なのがいい。


桜を見ると、なんだか嬉しい気持ちになりますね。


もう直ぐ春です。


横浜中華街(神奈川県横浜市中区)で中国の旧暦のお正月(旧正月)を祝う2017年の「春節(しゅんせつ)」が始まりました。




2017年横浜中華街春節


http://www.chinatown.or.jp/event/celebration/201610_03/ 



中華街は凄い人混みです。




日本の元旦にあたる「春節」当日に伝統の獅子舞「採青(ツァイチン)」。


「採青」というのは、「青菜を採る」という意味のようです。


青菜が獅子の大好物だそうで、お祭りのときは店の前の高いところにぶら下げられます。


今は青菜のかわりに紅包(ほんぱお)という赤い祝儀袋がぶら下げられるみたいです。





各店の富貴吉祥や商売繁盛、五穀豊穣を願って白や黄色などの5頭の獅子が、各店舗一店一店を周り獅子舞が披露されました。




お店の前で獅子は舞を踊り、店の中へ、そして店から出て最後にまた、舞を踊る。





獅子舞の周りは人でごったがえしています。


スマホのカメラがあちこちで獅子舞に向けられ、もの凄いことになっています。


中国語の会話や英語の会話があちこちで聞こえます。


賑やかな爆竹や、銅鑼・太鼓の音が鳴り響き、横浜中華街全域が華やかな「春節」独特の雰囲気に包まれました。




爆竹は、「邪気を祓い、福をもたらすもの」で、獅子舞と共に爆竹を鳴らすとご利益が何倍にもなるそうですが、うるさいだけでなく、けっこう煙も出ます。


中華街の春節は店の人も観光客も楽しみなお祭りです。


2階の窓から獅子舞をスマホに撮る、店のおじさんの表情がなんとなく面白い。




おじさんが赤い紅包をぶら下げて獅子が来るのを待っています。


ぶら下げられた赤い紅包。




 


下に獅子が来たみたいです。




おじさんも周りの観客も一斉にスマホで写真。





おっと、獅子が伸び上がった。





獅子が赤い紅包、祝儀袋を取りました。




大満足な獅子の嬉しそうな顔‼︎





颯爽と獅子は次の店へと向かいます。


横浜中華街は春節のお祭り真っ只中でした。



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