鉄道開業当時の横浜駅 ( 横浜停車場 )は桜木町駅近くにあります。
正確にはJR京浜東北線の桜木町駅から関内駅方向に120メートル行った所が、その場所なのだそうです。
現在では何も残っていません。
なんだか鉄道の開業当日はどんなようすだったか気になりませんか。
では、1872年10月14日にタイムスリップです。
★鉄道開業当日
午前9時、皇居を出た天皇は、新橋駅で10 両編成の列車に乗り、10時出発しました。
駅では捧銃式を行い、喇叭(ラッパ)でオーシャンの曲を演奏されました。
乗車時には日比谷(陸軍)で101発の祝砲が撃たれました。
まさに国を挙げての一大イベントでした。
列車に乗り込む乗客たちはなんとものものしい行列です。
明治政府の政治家たちも古式豊かな礼服です。
後ろに続いているのが海外の外交官でしょうか、こちらもものものしい衣装です。
この時の列車です。
1号車から9号車まであります。
結構、長い列車です。
★初めて鉄道に乗った人々
1号車から9号車までの各客車に、天皇や皇族、明治維新を率いた政治家、海外の外交官らが乗りました。
客車は英国製で、1両は全長5.4メートルという短さでした。
1、2号車には、明治天皇の警備にあたる近衛兵が乗っていました。
3号車には、明治天皇や皇族、三条実美・太政大臣ら
4号車には、副島種臣・外務卿や、西郷隆盛・参議、大隈
重信・参議、板垣退助・参議、米国大使、フランス代理公使らがそれぞれ乗りました。
明治5年は政府の高官として西郷隆盛も鉄道に乗ったんですね。
5号車にも、そうそうたる明治の人物が乗っています。
勝海舟の名前もあります。
6号車には渋沢栄一の名前もあります。
7号車には琉球正史伊江王子も乗っていたようです。
それまで沖縄は琉球王国と呼ばれていて明治5年に琉球藩となったようです。
8号車、9号車には鉄道建設に尽力した人々が乗っていました。
11時に横浜着。
約1時間の短い時間で、横浜駅に到着しました。
こちらでも同様に101発と21 発の祝砲。
横浜駅で勅語発表されました。
《今般、我が国鉄道首線工竣(な)るを告ぐ。朕(ちん)親(みずか)ら開行し、その便利を欣(よろこ)ぶ。
ああ汝百官この盛業を百事維新の初めに起しこの鴻利を万民永享の後に恵まんとす。
その励精勉力実に嘉尚すべし。朕我が国の富盛を期し、百官のためにこれを祝す。朕また更にこの業を拡張しこの線をして全国に蔓布せしめんことを庶幾(こいねがい)す》

12時横浜を出て、13時新橋着。
ここでも勅語を出し、その後、貴賓の挨拶が続き、延遼館(当時の迎賓館)で盛大な食事。
庭には多くの芸人が集まっていたそうです。
開国から数年で鉄道を開通させた日本の快挙は、外国の記者によって、驚きを持って海外に報道されました。
※資料の写真は桜木町駅の展示物を写したものです。
日付は新暦で表示しています。