久しぶりに映画館に行きました。
イオン港北センター店
映画はラストレシピ
滝田洋二郎監督
二宮和也主演
料理人の話しで、日本の歴史と運命が絡みあらう感動の映画でした。
最近の映画は随分と素敵な映画が増えました。
たまには、のんびりと映画もいいですね。
話しは変わりますが、イオンの映画館の売店でポップコーンを販売していました。
S¥350(税込) / R%0(税込) / L¥ 550(税込) / ハーフ&ハーフ¥ 550(税込) /
キャラメル&プレッツェル¥ 450(税込)
随分といろんな種類のポップコーンです。
映画といえば、ポップコーン。
やはり、ポップコーンなんだ。
■ 映画といえばポップコーン
映画にポップコーンは日本でもお馴染みの構図になってきたが、やはりパップコーンの本場はアメリカだ。
特にアメリカ人のポップコーン好きには頭が下がる。
本当にみんな誰でもが映画館で食べている。
アメリカの映画館では大抵、S・ M・Lの 3サイズを展開している。
それぞれ日本の3~ 4倍はあると思われるボリューム。
Lともなると、大人の顔がスッポリ入るほどのバケツにてんこ盛りなのだが、結構みんな、これを買っている。
なにせ、値段が大体、Sで 5ドル、Mで 6ドル、Lで 7ドルというように、あまり変わらないのだ。
家族連れや友人同士の場合、Lバケツを購入し、ホットドッグなどを運ぶための深めの紙トレーに取り分けて食べていたりする。
■ そもそも映画とポップコーンの関係は、どのようにして始まったのだろうか?
もともと中米で生まれたポップコーンは、19世紀初頭に北米に上陸。
人々が、ポンポン弾ける音と香ばしい匂い、そのキュートな形に魅了される一方で、商人たちにとっては、キッチンいらず、マシーンの移動が可能、フレッシュなまま提供できるという利点があり、19 世紀半ばまでには手軽なストリート・スナック菓子として人気を博すようになった。
ただ、この時点では、サーカスやフェアを始めとする娯楽場所で売られるようになったものの、映画館の洗練されたイメージを保ちたい劇場主たちは、ポップコーンの販売を拒んでいたという。
美しいカーペットが散らかるうえに、まだ無声映画の時代であったため、ポップコーンが弾ける音が観客の気まで散らしてしまうことになるためだ。
1927年にはトーキー映画が始まり、映画が一気に大衆化していくが、この時点でもまだ、劇場主たちはポップコーン導入に後ろ向きだった。
そこへやってきたのが世界大恐慌。
安価な娯楽を求めて映画館に来る人々と、当時一袋5~ 10セントというお手頃なポップコーンの距離が、ぐんと近づいた。
最初は、商人たちが映画館の外にマシーンを置いて売っていたが、あまりにも多くの人々がポップコーン持参で映画館に来るもので、劇場主たちもついに館内を改装し、売店を作り出ることに踏み切ったというわけだ。
第二次世界大戦時には、砂糖不足によりキャンディやソーダが供給難となったが、塩とトウモロコシの穀粒は不足していなかったため、ポップコーンが重宝された。
作っている段階では音と匂いが際立つが、食べる頃にはあまり周りに匂いを振りまくこともなく、音を立てずに食べることができる点で、実は映画館向きのスナックでもあった。
さらに、コロコロしていてドライなので、掃除がしやすいという利点もある。
1945年になると、米国で売られたポップコーンの半分以上が、映画館で消費されたのだとか。
1960年代にはテレビの普及により、映画館に足を運ぶ人が減ったりと、時代の流れとともに浮き沈みを経てきたポップコーン。
それでも、材料が安く、労力も少なく提供できるため、利益率は85パーセントと最強だ。
今では、ポップコーンを始めとする売店からの収入が、映画館全体の利益の40パーセント強を支えているのだという。
■ 日本の映画館でもポップコーン
1940年代くらいからアメリカから映画館でポップコーンが流行り始めたらしいんです。
日本の映画館はそれを真似しました。
日本みたいに静かなお客さんじゃないために、モノを投げつける悪質な人もいたのです
ポップコーンは投げつけられても痛くない、汚れないそれと売る側にとっては、とっても単価やが安く、儲けが出るという商品だったからです。
日本がポップコーンを導入したのはやはり、ポップコーン販売が利益のでる商売だからだと言われています。
ポテチとかだと値段が書いてあるので、売ってもそんなに利益が出ませんが、ポップコーンだと何もかいてありませんものね。
あれ本ではポップコーンの50gの原価は約 35円だとでていました。
ポップコーン売れば売るほど利益が出るらしいですよ。