♪星の流れに 身を占って
どこをねぐらの 今日の宿
荒(すさ)む心で いるのじゃないが
泣けて涙も 枯れはてた
こんな女に 誰がした♪
「星の流れに」をYouTube藤圭子で聴いていた。
藤圭子のハスキーな声を際立たせる細やかなヴァイブレーション、それを可能にする天性のリズム感、テクニックに頼るのではなく魂そのものを、歌詞とともにぶつけるような歌唱法はブルース・シンガーのものだ。
最後の「こんな女に誰がした」というクールに突き放したフレーズには、怨み、恨み、嘆き、諦め、それらのすべてが入り混っていて、しかも儚い、やはり藤圭子の歌は怨歌である。
昭和の安保時代の怨念を全て背負った歌になっていると思った。
藤圭子のカヴァーは持ち歌よりもいいのかも知れない。
■昭和で次々とカヴァーされた名曲「星の流れに」
この名曲「星の流れに」は青江三奈、石川さゆり、高橋真梨子、ちあきなおみ、八代亜紀、美空ひばり、美輪明宏など、歌が上手いとされる一流歌手たちに、「星の流れに」は次々にカヴァーされてきた。
誰もが一度は耳にしたことがあるだろう。
歌を聞いても戦後の苦しかった時代の歌だとは誰も思わない。
しかし、この名曲が出来たのは戦後直ぐのことでした。
■「星の流れに」はパンパン(街娼)の歌だった。
終戦から二年後の1947年、満州で両親を失って命からがら引き揚げてきた若い女性の悲痛な体験が、東京日日新聞に掲載された。
一人として身よりも知り合いもいない東京で、飢餓から逃れて生きていくためには、従軍看護婦の仕事から街娼に身を落とさざるを得なかったという、身の上を綴った内容だった。
その投書を読んだ作詞家の清水みのるは激しい憤りを感じながら、夜を徹して一編の歌詞を書きあげている。
その歌詞を受け取った作曲家の利根一郎は、身寄りをなくして地下道で生活する浮浪児たちがいる上野に足を運び、ガード下で進駐軍を相手に売春する街娼や、その横で靴磨きをして働いている幼い子どもたちの姿を目に焼き付けた。
言葉を発することも出来ず、社会の底辺で苦しむ人たちに代わって、利根一郎も渾身の思いを込めて曲を完成させた。
街娼に見を落とした女性の諦めを歌うことで、戦争がもたらす酷さを間接的に描いた反戦歌がこうして誕生した。
悲哀のなかに社会の不条理を訴えたメッセージ・ソングであり、弱者の叫びから生まれた日本人のブルースであった。
■GHQの意向でタイトルは「星の流れに」
最初のタイトルは「こんな女に誰がした」というもので、そこには強い怒りが打ち出されていたのだが、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)から「日本人の反米感情を煽るおそれがある」とクレームがついた。
そこでタイトルを「星の流れに」へ変更し、レコード発売の許可がおりたという。
■「星の流れに」の歌手は淡谷のり子になる予定だった。
レコード会社はこの曲を淡谷のり子に歌わせようと考えていたが、パンパン(街娼)の嘆きという内容に抵抗を感じるという理由で、彼女には拒否された。
「パンパンに転落したのを、他人のせいにしてフテくされることはないじゃないの。自分が弱いからそうなったのよ」という淡谷のり子の主張は、戦争の修羅場をくぐって命がけで歌ってきた人の正論だった。
淡谷のり子が唄った「別れのブルース」がヒットし、ブルースの女王と呼ばれるようになったのは、日中戦争が勃発した1937年である。
そこから日本は戦争へと一気に加速していった。
戦時中は日本軍の慰問団の一員として唄っていた淡谷のり子だったが、「贅沢は敵だ」というスローガンのもとでは敵国の文化の象徴だった、洋装のドレスで歌うことなど許されなかった。
しかし淡谷のり子はいつもドレスに身を包み、入念なメイクを施して舞台に立った。
そのことを軍からどんなに咎められても、「化粧やドレスは歌手にとって、贅沢ではなく戦闘服です」と主張を曲げないで通してきたのだ。
命令に従わないことに怒った憲兵から、抜いた剣を突きつけられたことも度々だった。
そのことを軍からどんなに咎められても、「化粧やドレスは歌手にとって、贅沢ではなく戦闘服です」と主張を曲げないで通してきたのだ。
命令に従わないことに怒った憲兵から、抜いた剣を突きつけられたことも度々だった。
「殺しなさいよ」って言ったの。「何になるの。私が死んだって、殺されたって、戦争に勝てますか」って言ったの。
歌に命をかける淡谷のり子の逞しさと凄みが、いやでも伝わってくるエピソードである。
■「星の流れに」は歌手菊池章子によってヒット
結局、新人の菊池章子によって歌われた「星の流れに」は歌のテーマにとり上げられた街娼の女性たちに強く支持されて、発売の翌年になってから火がついて、映画『肉体の門』にも使われてヒットにつながった。
■終わりに
戦後75年が経過しても名曲「星の流れに」は歌われ続けていくのであろう。
歌は世に連れ、世は歌に連れ
歌は時代によって伝わり方や感じ方が随分かわって聞こえるものである。