ケイのblog

愛媛県の宇和島出身。現在は横浜市で会社勤務。NHK連続ドラマ『エール』裕一(窪田正孝)音(二階堂ふみ)の主人公とその他ドラマ登場人物をモデル、古関裕而と妻金子の史実と時代背景を比較しながら、このブログでもっとドラマが楽しく見られたらいいなと思っています。

NHK朝の連続ドラマ『エール』■音の母、光子(薬師丸ひろ子)の台詞「二人が接吻しているのを見ちゃったの。汽車はもう走りだした。止まりません。…頭はダメって言ってるけど、心はいいって言ってるの。だから私は認める」こんな無茶苦茶な台詞。テレビドラマで観たことはありません。明かにテレビ劇場芝居■面白いです。私が勝手気ままに書いているブログです。でひ読んでみてください。

カテゴリ:エール > 双浦環 柴咲コウ 三浦環

NHK連続ドラマ『エール』古山裕一が『船頭可愛い』を作曲し、藤丸が歌いレコードになりました。モデルの古関裕而が『船頭可愛い』を作曲したのは昭和10年です。


ドラマでは双浦環モデル三浦環が音の審査をしたり、音楽の指導をしたりしていますが昭和10年以前は彼女は海外にいて日本にはいませんでした。

三浦環が海外から帰ってきて「船頭可愛いや」を聴いて気に入り、古関裕而に「船頭可愛いや」をレコードに吹き込みたいと頼み、レコードに吹き込みをしてくれたのです。

では三浦環と古関裕而の妻金子はいつ初めてあったのでしょうか。

1939昭和14)古関が「月のバルカローラ」を作曲。古関裕而は、妻の古関金子が三浦環の大ファンだったので、大喜びし、「月のバルカローラ」をプレゼントすると、「月のバルカローラ」もレコードに吹き込んでくれました。

そのお礼に今度は三浦環さんサイドのエドワード氏より

「古関さん、国技館の相撲の切符が二枚あります。奥様とどうぞ。三浦環さんもいらっしゃいます」

と枡席の切符を二枚くれたのです。

古関裕而さん曰く「妻は少女時代から環さんのファンで、彼女自身声楽の勉強もしていたので大喜びであった。」

さて当日行ってみると、環女史が巨体の上、弟子のEさんも肥っているので大変であった。

遅れて、当時のバスの歌手下八川圭祐氏が来られたので、私は仕方なく妻を自分のひざの上に

乗せて観戦していた。

すると環女史はしきりに振り返って、チラリチラリ私たち夫婦を気にして見る。

妻はその視線を気にしていたが、私は夢中で取り組みを観ていた。


妻は今でもその時のことを思い出して言う。

「あの時の環さんの表情、羨望とも嫉妬ともつかぬ妙な顔でチラリチラリ、いつまでも心が若いのね。やはり大芸術家は違うわねェ。あの時、環さんはみんなにお寿司をご馳走してくださったわ。

今は環さんも亡くなられたし、Eさんは緑内障で盲人になり、草津の療養所にいらっしゃるんですもの。少しずつ時は移り変わっているんですね」


古関自伝『鐘よ 鳴り響け』より


史実では古関裕而の妻金子さんは三浦環の一フアンに過ぎず、実際にあったのは相撲観戦の時が初めてなのです。

NHK連続ドラマ『エール』の脚本家はあたかも三浦環と古関裕而の妻金子の話をいろいろと展開させています。

脚本家の想像力に感心させられます。

NHK連続ドラマでは双裏環(柴咲コウ)モデル三浦環から「たとえおなかの子供が危険なことになっても舞台に立つプロとしての覚悟があるか」を問われた思い悩む音であったが、双浦環の申込三浦環はまさにプロ中のプロでした。

三浦環は「蝶々夫人」を演じるために生まれてきた。「マダム・バタフライ」として世界中に名声を轟かせたオペラ歌手でした。

彼女は「蝶々夫人」の初舞台から命をかけた舞台を演じていたのです。

第一次世界対戦、ドイツの巨大な飛行船がイギリスのロンドンを空爆したちょうどその日が三浦環の初舞台でした。 


5003


ツェッペリン飛行船とは約200mの長さの大きな船で、それが上空から爆弾を投下してくるのです。ロンドン市民は恐怖と驚きとで逃げまどうばかりでした。

翌日の世界の新聞一面は「ツェッペリン、英国本土を空襲!」

三浦環の初舞台はどうなったのでしょうか?

本人の書いた物語の方が一番面白いので「お蝶夫人」三浦環、吉本明光より転記しました。


お蝶夫人 三浦環 吉本明光編より

「お蝶夫人」初舞台

日本のプリマドンナが、日本を題材にした「お蝶夫人」をロンドンで初めてやる、というので非常なセンセーションを起し、1915年(大正4年)531日のロンドン・オペラハウスは超満員でした。

私の相手役、米国海軍士官ピンカートンになるテナーはパリのグランドオペラのラフィット、米国領事シャープレスになるのはジュリアン・キムベル、女中お鈴になるアルトはイダ・サガールが主役で幕があきました。

私は精一杯の力を出して一生懸命うたいました。

私が工夫した、十五歳の初々しい蝶々さんになって、私が工夫した通りにお芝居をしました。第一幕は済みました。オペラハウスが割れるような大きな大きな拍手を浴びました。 

第二幕第一場があきました。

十八歳の新妻蝶々さんは恋しい夫ピンカートンはきっと帰って来ると、自信をもって「お蝶夫人」の中で一番有名な詠唱「或る晴れた日に」をうたいました。 

オペラは進行いたします。

米国領事のシャープレスが、ピンカートンの手紙を持って訪ねて来ます。

だが蝶々さんのピンカートンに対するこまやかな愛情を知った領事は、ピンカートンが本国で結婚したという知らせを告げるに忍びず、そのまま帰ります。

そこへお鈴が、周旋人の五郎が蝶々さんの愛児の悪口を触れまわるのを怒って、五郎を引張って来ます。

蝶々さんは我子の悪口を云われたので床の間の刀を抜いて五郎を追いかけます。

蝶々さん「もう一度いって御覧」

(お鈴は子供を連れて奥に入る)

行け   

(五郎は逃げてゆく、蝶々さんは刀を拾いあげながら子供のことを思い出す)

可愛いい坊やよ

ただ一人のまな児よああ、

今に汝がために遠くから

坊やの仇打ちに帰ってくるわ

と、ここで、ピンカートンが乗っている軍艦リンカーン号の、長崎入港の合図の大砲が一発なるのです。

で、私がこのくだりをうたい終ると、同時に大砲がドーンとなりました。

続いてまた一発大きくドーンと鳴りました。

おやッと思いましたが、なにかの間違いだと思って、そのまま私はうたいつづけました。

望遠鏡で長崎の港を見ながら、

蝶々さん「白い星!アメリカの旗のしるしよ あら!錨をおろしているわ 

するとドーン、ドーンと釣瓶打ちに大砲の音がしはじめ、客席がざわめき、観客が席をたち始めました。

けれど私は晴れの初舞台ですから、そんなことに頓着せず、一生懸命にうたいました。

蝶々さん

「──あの方は帰ったわ 

みんながいってたわ 

帰らぬ人を私が待つと 

今こそ恋に勝ったのよ 

今こそはあの方は来たわ

ここでお鈴と一緒に庭に出て、桜の木をゆすぶって「この桜をゆすって、花の雨を身に浴びて」とうたうためにお鈴の方を向くと、お鈴がいないじゃありませんか、どうしたのかしらと思ったとたん、またも激しくドーン、ドーンと大砲の釣瓶打ちで、客席もからっぽ、オーケストラボックスもからっぽ、広い舞台に私一人しかいない。

こりゃ変だと思った時、誰かが「マダム三浦、早く逃げないと殺される!」と叫んでいる声が聞こえました。 

ドイツのツェッペリン飛行船のロンドン初空襲だったのです。 

私の初舞台にロンドンの初空襲、私は「お蝶夫人」初演も出来たのだ。

声楽家としての一生の念願が叶ったのだから、晴れの初舞台で死ぬのなら、芸術家の本望だと思いましたが、がらんとしたオペラハウスの中に、たった一人取残されてみると急に怖くなって楽屋に逃げ込み、フト窓から空を見ると、ツェッペリン飛行船がサーチライトを浴びて、まるでダイヤモンドのブローチのように暗空に光っています。

そのまわりを高射砲の弾が破裂するのがピカッ、ピカッと光ります。

ツェッペリンは悠然と向こうへ飛んで行きます。

オペラハウスのすぐそばに高射砲の陣地があるので、大砲の音が耳許でいたします。

向こうは空襲で大火事が起きています。生まれて始めて見る空襲、恐さも恐かったが、見事なことも見事で、両国の川開きの花火を見物した時より何十倍の綺麗さでした。

私の「お蝶夫人」の初舞台はロンドンの初空襲のためその晩は二幕目の半分でおしまい、私は三浦と二人で闇の中をはだしで歩いて下宿まで逃げ帰りました。

電車も自動車も、一切の交通機関が止ってしまい、馴れぬ真暗なロンドンの闇の街を歩いているうちに、ハイヒールの靴をはいていたので足が痛くて歩けなくなったので、ハイヒールを脱いではだしで歩いたのでした。


なんと、空爆も知らず舞台を続けた三浦環。「初舞台で死ねるのなら芸術家として本望よ」とおっしゃる彼女なら「たとえおなかの子供が危険なことになっても舞台に立つプロとしての覚悟があるか」とかなりきつい台詞を言っても不思議はないのかも知れません。




三浦環、旧姓柴田環。1884(明治17)222日生まれである。この人こそ明治に生まれながら現代女性の先駆けの女性であり、私たちが見たドラマや漫画のモデルにもなっていました。

「おくさまは18歳」の飛鳥

三浦環は東京音楽学校へ入学する1900(明治33)年9月、なんと入学直前に父親の勧めで陸軍三等軍医正、藤井善一と結婚していた。16歳。周囲には内密にしていた。

これはテレビドラマ『おくさまは18』でテレビドラマとたった。1970年岡崎友紀と石立鉄男のコンビによる昭和のラブコメ ... 18の高校生の飛鳥(岡崎友紀)は、急病で倒れたおばあちゃんの「花嫁姿を一目見たい」という願いを聞きいれ、親同士が決めた許婚・高木哲也(石立鉄男)と結婚式をあげる。

学校に通いながら、結婚していることを知られてはいけない2人。ワクワク、ドキドキの楽しいドラマでした。

三浦環は16歳で奥さまとなっています。

「はいからさんが通る」の花村紅緒

三浦環は東京音楽学校(現東京芸術大学)へ通学する際、芝から上野まで自転車で滑走していた姿が「自転車美人」と世間で評判となり、彼女をひとめ見ようとする人々が通学路で列を成し、新聞にも取り上げられました。

小説家の小杉天外(1865–1952)は三浦環の評判を知り、ヒロインの女学生が自転車で 颯爽と登場する場面で始まる新聞連載小説「魔風恋風」(『読売新聞』1903  2  –9 )が掲載されました。

三浦環をモデルにした漫画「はいからさんが通る」。大正ロマンの薫りたつ少大和和紀さんの少女漫画。主人公は花村紅緒(べにお)おてんばな女子学生で、春らんまんの冒頭、自転車に乗って登場します。

主人公は南野陽子でドラマや映画になっています。

■ 「バツイチは恋の始まり」のイザベル

三浦環は1907(明治40)に東京音楽学校助教授に就任すると同時に藤井善一と離婚してしまう。仙台へ転任する藤井が環を連れて行こうとしたのだそうだが、環は音楽家としてそのような夫の要望には応えられなかったわけだ。すでに有名歌手だった環は、新聞のゴシップ欄をにぎわせることになった。

離婚するとあちこちから結婚してくれという声が集まった。モテモテであった。

2012年フランス映画「一度目の結婚は失敗する」というジンクスのため、本命の恋人との結婚を前にバツイチになろうと奮闘する女性の姿を、ダイアン・クルーガーとダニー・ブーンの主演で描いたフランス製ラブコメディ。

三浦環の結婚・離婚は計画的ではなかったが、音楽家の道を優先し、離婚してしまう。その後は引く手数多。あちこちから求婚されてしまう。まさにバツイチのはしりです。

国内では三浦環は自由奔放な性格や行動で批判されることが多かった。

大正時代現代ではあたり前のことが、女性が自転車に乗ることさえ、はしたないとか批判の対象になる時代でした。

結婚も家と家が認めるものであり、ましてや女性から離婚をするなんて許される時代ではなかったのです。

三浦 環は国際的な名声をつかんだオペラ歌手。十八番であった、プッチーニの『蝶々夫人』の「蝶々さん」と重ね合わされて、国際的に有名でしたが、国内では、評価されることは少なく、その自由奔放な性格や行動で批判されることが多かったようです。

NHK連続ドラマ『エール』古山裕一が『船頭可愛い』を作曲し、藤丸が歌いレコードになりました。モデルの古関裕而が『船頭可愛い』を作曲したのは昭和10年です。

ドラマでは双浦環モデル三浦環が音の審査をしたり、音楽の指導をしたりしていますが昭和10年以前は彼女は海外にいて日本にはいませんでした。

「お蝶夫人」オペラ歌手として名声を博した三浦環がヨーロッパから帰国したのは古関裕而の『船頭可愛い』がヒットした後なのです。

NHK連続ドラマ『エール』の双浦環は三浦環ではないのだろうかと一瞬、考えてしまいました。

三浦環の略歴は以下の通りです。


FullSizeRender



1914年より海外に行っており、帰国が1935年なのです。

これではドラマのように音の審査をしたり、教えたりは出来ないですね。

海外から日本に戻った時には既に彼女は51歳になっていました。

ちなみに志村けん演じる小山田こと山田耕作は49歳。三浦環より2歳年下。東京音楽学校の助教授時代に山田耕作を教えています。

三浦環の帰国後のスピーチ

三浦環が帰国。三浦環はコロムビア専属声楽家だったので、コロムビア主催のレセプションが盛大に開催されました。

ビクターからコロムビアに入社して間もない西條条八十(詩人43)出席していました。

三浦女史のスピーチになった時、その終わり頃に彼女はこんなことを言った。

西条八十(やそ)もちろん男性。

「実は私、今まで西條先生を女性の詩人で、西条ハナさんだとばかり思っていましたの!」

八十をハナこれは面白い。

参会者一同大爆笑。さすが高名な西條先生も苦笑しておられた。

機転の効くユーモラスな三浦環でした。

全国各地で、口ずさまれるようになり、「夢もぬれましょ 汐風 夜風」の歌詞。

 三浦環「船頭可愛や」を聞いて、「これは素晴らしい。ぜひ私も歌ってレコードに入れたい」との申し込みをします。

古関裕而は、その吹き込みに立ち合いました。

美声の上に、エキスプレッションの巧妙なことは、さすがに世界的歌手。

三浦環が「船頭可愛いや」をレコーディングしたのは曲の大ヒット後であり、レコード販売は3年後でした。

いろんいろな歴史考察をしていくとNHK連続ドラマ『エール』は昭和の歴史とは全くかけ離れた古山裕一(窪田正孝)と音(二階堂ふみ)、その仲間たちの娯楽エンターティナメントになっているみたいです。


      三浦環略歴


FullSizeRender


↑このページのトップヘ