ケイのblog

愛媛県の宇和島出身。現在は横浜市で会社勤務。NHK連続ドラマ『エール』裕一(窪田正孝)音(二階堂ふみ)の主人公とその他ドラマ登場人物をモデル、古関裕而と妻金子の史実と時代背景を比較しながら、このブログでもっとドラマが楽しく見られたらいいなと思っています。

NHK朝の連続ドラマ『エール』■音の母、光子(薬師丸ひろ子)の台詞「二人が接吻しているのを見ちゃったの。汽車はもう走りだした。止まりません。…頭はダメって言ってるけど、心はいいって言ってるの。だから私は認める」こんな無茶苦茶な台詞。テレビドラマで観たことはありません。明かにテレビ劇場芝居■面白いです。私が勝手気ままに書いているブログです。でひ読んでみてください。

カテゴリ:エール > 佐藤久志 山崎郁三郎 伊藤久男

 NHK連続ドラマ『エール』では主人公、古山裕一と鉄男が藤丸に連れられて佐藤久志の家を訪れると、久志(山崎郁三郎)はすっかりかわりはてた姿になっていました。

 プリンス久志とは思えない姿に。どうしたんでしょうか。久志の目には昔の輝きもありません、早く戦後の苦しい思いから立ち直って、心に炎の火を灯して欲しいものです。

 佐藤久志のモデルは伊藤久男です。伊藤久男と言えば「イヨマンテの夜」でしょう。今日はその代表曲「イヨマンテの夜」の話しをしてみたいと思います。

「イヨマンテの夜」

 伊藤久男の代表曲「イヨマンテの夜」はNHKのラジオドラマ『鐘の鳴る丘』の劇中の山男をテーマとした演奏曲として、古関が作曲し1949(昭和24)に発表されています。

 奥多摩の山奥で木材を切っている木樵(きこり)が歌詞のない歌を口ずさむ「アーアー」だけのメロディだったが、菊田と古関が気に入り、ひとつの作品として残すことになりました。

 レコード化にあたり、ドラマの脚本を書いた菊田が後から歌詞を加えた。

 当時、彼はアイヌの作品を手がけていたため、アイヌ的な単語を当てはめて作りました。

 「アーホイヨー」の歌い出しは雄叫びにも似て、伊藤が朗々と歌い上げます。

 なんと木樵の口ずさみがアイヌの「熊まつり」、「イヨマンテの夜」になった瞬間でした。

 「アホイヤァー」の叫び声に度肝を抜かれ、そして「イヨマンテ/燃えろかがり火/ああ満月よ/今宵熊祭/踊ろうメノコよ」の後、間奏、そして「ああー」と続きます。

 「イヨマンテの夜」作詞:菊田一夫、作曲:古関裕而、歌手:伊藤久男とコロンビア合唱団でレコードが販売されました。

 リズム的にも大変難しく、男性的な歌謡曲の典型。

 古関裕而「派手で劇的な効果に男性的な豪快さがあり、男性なら一度は歌ってみたくなる曲である。が、難しいことも第一級で、リズムが十六分音符と八分音符の二拍子系なのに、メロディには三連音符が多く現れる二対三の変則的なリズムをいかに歌いこなすかが問題で、作曲にその面白みをねらってある。」と述べています。

 レコード会社は「こんな難しい歌は売れっこありませんよ」と見捨てて、ポスター一枚作成しなかった。

 しかし、このレコードが売れたのです。大ヒットとなりました。

 ヒット曲はわからないものです古関裕而と菊田一夫が樵の「アーアー」だけから作った曲がヒットするんですから。

 ヒットすると思ってもヒットしなかったり、ヒットしないと思った歌が意外とヒットするものみたいです。

 ヒットには歌手、伊藤久男の声量と迫力がある歌声があったのは間違いないことだと思います。

 1950年から1952年頃の『NHKのど自慢』ではほとんどの男性出場者がこの曲を選択し、審査員を困らせたということです。

「ああー」カン。

「ああー」カン。

 なんだか鐘一つのため息のようにも思える「ああー」でした。

 当時の「のど自慢」の風景が見えるようです。()

 音楽とは、男の心から炎を打ち出すものでなければならない。そして女の目から涙を引き出すものでなければならない。

Music should strike fire from the heart of man, and bring tears from the eyes of woman.

ベートーベン

 古関裕而作曲の「イヨマンテの夜」は男の心から炎を打ち出すものだったようです。


 

 NHK連続ドラマ『エール』では佐藤久志(山崎郁三郎)が酒浸りの状態から、夏の甲子園の大会歌「栄冠は君に輝く」を歌い上げて復活するまでを描か

 佐藤久志の史実モデルは歌手の伊藤久男です。

 史実の伊藤久男はドラマと違っているのか?

伊藤久男の戦後

 伊藤久男は戦争中、『暁に祈る』『熱砂の誓い(建設の歌)』などの戦時歌謡で一世を風靡しました。

 昭和18年、赤紙が届くも痔の悪化で入院した病院の医師が伊藤のファンで、その計らいで、軍役を解かれ。

 その後は故郷の福島へ疎開。吹き込み、慰問時の度、上京していました。慰問先の山形で終戦を迎えます。
 戦後は、戦時歌謡を歌ったことでGHQに捕まるのではと恐れ、酒に溺れます。

 当時物資不足のため、メチルアルコールをしこたま飲み、声も人相までも変わってしまっていました。

 自分でも「再起不能」と語っていたほどです。

 古関裕而の助けもあり、1947(昭和22)「夜更けの街」で歌手に復帰しています。

暗い酒場の ダイスのかげに

ひょいとのぞいた 地獄の顔よ

煙りふきかけ 笑ってみたが

どこかさびしや 心の隅で

すすり泣くよな 胡弓のひびき

戦後の暗い自分のことを歌ったような歌詞です。

 作詞は菊田一夫、作曲は古関裕而の黄金コンビでした。

 「夜更けの歌」は松竹映画「地獄の顔」(マキノ雅弘監督)の劇中歌でした。

 映画「地獄の顔」はディック・ミネの歌う主題歌「夜霧のブルース」(作詞:島田磐也、作曲:大久保徳二郎)のほか、「長崎エレジー」(歌:ディック・ミネ、藤原千多歌、作詞:島田磐也、作曲:大久保徳二郎)、「雨のオランダ坂」(歌:渡辺はま子、作詞:菊田一夫、作曲:古関裕而)、「夜更けの街」(歌:伊藤久男、作詞:菊田一夫、作曲:古関裕而)の4曲が使われており、今見ると随分贅沢なラインナップで、これらの曲はいずれも大ヒットしました。

 この映画の劇中歌に友人の伊藤久男を推挙し伊藤久男を歌手として復帰させたのは古関裕而でした。しかも作詞は菊田一夫です。菊田一夫も彼の復帰に一役かっていました。

 古関の友達をなんとか以前のような歌手に復帰させたいとの思いがひしひしと伝わってきます。

 やっと復帰した伊藤久男は「イヨマンテの夜」で再び人気が再燃。「あざみの歌」「山のけむり」といった抒情歌も見事に歌いこなし、ヒットさせたのです。

 1948(昭和23)古関裕而が作曲した「栄冠は君に輝く」のオリジナルレコードの歌手は伊藤久男でした。

 「栄冠は君に輝く」は合唱団の歌よりも夏川りみの歌より、どんな歌手の歌よりも伊藤久男の歌が1番だと思います。

 佐藤久志役のミュージカルプリンス山崎郁三郎も綺麗な声で惚れ惚れしてしまいます。伊藤久男が歌った「栄冠は君に輝く」を山崎郁三郎だったらどんな風に歌うのか、なんだかとても楽しみです。

NHK連続ドラマ『エール』も再開が近くなりました。早く放送して欲しいものです。少し待つのも長くなりました。

今日は主人公古山裕一(窪田正孝)の友人佐藤久志(山崎郁三郎)モデル伊藤久男さんの代表曲の1つである「あざみの歌」の話しをします。

太平洋戦争も後半、昭和18年、伊藤久男にも赤紙が届きます。

ただラッキーなことに痔の悪化で入院した病院の医師が伊藤のファンで、その計らいで、軍役を解かれています。

その後、故郷の福島へ疎開。吹き込みや慰問時の度ごとに東京に出て来ていました。

1954(昭和20)慰問先の山形で伊藤久男は終戦を迎えています。

戦後は、戦時歌謡を歌ったことでGHQに捕まるのではと恐れ、酒に溺れていましたが、古関裕而等の励ましもあり、やっと芸能界に復帰。

歌った曲が「あざみの歌」でした。

「あざみの歌」

作詞は1945(昭和20)に復員してきた当時18歳の横井弘が、家族が疎開していた下諏訪・霧ヶ峰八島高原で、アザミの花に自分の理想の女性像をだぶらせて綴ったものといわれます。

作詞:横井弘、作曲:八洲秀章、唄:伊藤久男

山には山の愁いあり

海には海のかなしみや

ましてこころの花園に

咲きしあざみの花ならば


高嶺の百合のそれよりも

秘めたる夢をひとすじに

くれない燃ゆるその姿

あざみに深きわが想い


いとしき花よ 汝はあざみ

こころの花よ 汝はあざみ

さだめの径は果てなくも

香れよ せめてわが胸に

あああ

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アザミは、鋭いトゲからほかの動植物を寄せ付けない雰囲気を持っています。春から夏の時期にかけて野山に咲くアザミの草姿はとても凛としたもの。

そんなアザミを女性にたとえたのでした。


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八島高原には、この歌の歌碑が建っています。

八洲秀章が作曲した歌がNHKのラジオ歌謡に採用され、1949(昭和24)8月8日から放送されました。レコードは1951(昭和26)8月に発売。

それにしてもいい曲です。

戦後の貧しい時代に作詞された歌だとは思えないですね。

終わりに

伊藤久男は「あざみの歌」抒情歌も見事に歌いこなし、ヒットさせました。
紅白歌合戦には、昭和27(2)から昭和39(15)まで通算11回出場。
懐メロブーム時には、酒でノドを壊していたとも言われるが、スケールの大きい、豪快な歌い方・歌唱力は健在であった。

NHK連続ドラマ『エール』伊藤久男こと佐藤久志役の山崎郁三郎に是非とも「あざみの歌」を歌って欲しいものです。どんな歌い方をするのか楽しみです。

NHK連続ドラマ『エール』主人公古山裕一(窪田正孝)モデル古関裕而の幼なじみの佐藤久志、演じるのは山崎郁三郎さん、ご存知ミュージカルのプリンス。役もプリンス久志と山崎郁三郎さんに、ふさわしい内容の爽やかなシーンが多かったですね。

ドラマの佐藤久志さんの史実のモデルは「イヨマンテの夜」を歌った伊藤久男さんでした。

歌手、伊藤久男さんは大柄で声量に迫力があり、ハンサムな方。

しかし、山崎郁三郎さんのような爽やかタイプとは随分違ったタイプでした。

伊藤久男ってどんな人

伊藤久男さんは基本的には容貌通り酒が好きで、誰からも慕われる親分肌な豪快な人。

しかし、潔癖症。

消毒のためにアルコールを含ませた脱脂綿を常に持ち歩いていました。

また、閉所恐怖症でもあり、エレベーターには乗りませんでした。

当時の大スター「ダイナ」を歌ったディックミネは伊藤久男さんに関して述べています。

大酒飲みで大食いの高所恐怖症

ディックミネ

『「イヨマンテの夜」でスターになった伊藤久男さんは、高所恐怖症だったんだよ。ヨボヨボのじいさんになっても、階段トコトコ登ってくの。
昔、大阪ロイヤルホテルでエレベーターの事故があってね。それ以来、恐怖症になっちゃった。
僕はそんなの平気だから、「僕が一緒に乗るから大丈夫だよ」って励ましてもダメね。
「どうぞエレベーターで行ってください。私はこっちで行きますから」
頑固でね、どうしても階段で行くっていうの。それだけ注意していて、結局は僕より先に死んじゃった。
「イヨマンテの夜」なんてスケールのでっかい歌を朗々と歌っていた人だけど、そんな男だったんだぜ。ただ大酒飲みの大食い。心臓と胃袋は別物の男だったよ。』

人は見かけによらないもので、いろんな側面を持っているようです。

天下のプレイボーイ

歌詞で俳優のディックミネも「天下のプレイボーイ」として知られていました。

生涯で4度結婚し10人のお子さんがいました。

ディックミネももてましたが、伊藤久男も女性にはもてたようです。

ディックミネ
『ステージに出る直前になって、「いけね!オレ、ズボン吊り忘れてきちゃった。何かヒモないかな?」って伊藤久男がいうからさ。ぼくも手伝って楽屋の裏を探したけど、荒縄しかないからね。
「少し重たいけど、がまんしてやれや」って渡したんだよ。彼は「ハイヨ」なんて気楽にいいながら、荒縄のズボン吊りをモゾモゾやりはじめたわけ。
それをぼくの隣で菊池章子が座って見ていてね。伊藤久男の汚いなりを上から下までつくづくながめて、「あたし、なんでこんな男と最初にナニしたんだろう・・・・・・」ポツンと呟いた。』

菊池章子さんも当時の有名な歌手、「星の流れに」を歌い紅白歌合戦にも出演した大スターです。

伊藤久男さんもディックミネさんに負けず劣らずのプレイボーイだったようです。

伊藤久男さんも3度結婚し、8人のお子さんがいました。

終わりに

NHK連続ドラマ『エール』佐藤久志さん(山崎郁三郎)はドラマでは、ただひたすら爽やかなイメージです。

モデルの伊藤久男さんもドラマと同じく爽やかな雰囲気の人なのかと思っていましたが、随分イメージとはかけ離れた人物のようです。

NHK連続ドラマ『エール』主人公古山裕一(窪田正孝)モデル古関裕而の会社コロンブスに最終的には、なんとかプリンス久志(山崎郁三郎)モデル伊藤久男も研究生として選ばれることになりました。ドラマを観てるほうとしては、ほっと一安心です。

ドラマの中でのプリンス久志(山崎郁三郎)さんはかっこ良くて、帝国音楽学校でもプリンス、プリンスと騒がれていました。プリンス久志が女性にもてないわけはないですね。

ドラマのプリンス久志(山崎郁三郎)とどう様、佐藤久志モデルの伊藤久男さんもかなりの美男子でした。

親戚の大天狗酒造のお酒のラベル


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こんなにハンサムです。

これでは女性にもてないわけはありません。

伊藤久男さんは三度結婚しています。

1度目は帝国音楽学校の同級生と結婚しています。しかし、嫁姑問題が発生し離婚。

伊藤久男さんは

「俺のお袋というのが、ひでえババアでね。ま

ぁ、嫁いびりの天才だな、あれは。最初の女房は、そのために気が変になっちゃった。実家に帰って3年間、療養してお終い。別れたよ」

昔も今も嫁、姑の関係が悪く離婚するケースは多いようです。

2度目の結婚は芸者さんでした。

芸者歌手の赤坂百太郎、芸名は「ももたろう」本名は大西ふさこさんです。

昭和の初期は芸者さんが歌手として歌謡界にデビューするケースが多く赤坂百太郎さんもその1人です。

1937(昭和12)にデビューし、美人芸者歌手として活躍。コロンビアより「察してネ」「あなたは無情」等をレコードで出しています。

赤坂百太郎

「芸者は結婚できないでしょ」

伊藤久男

「そんなことはないよ」

と言ったので赤坂百太郎さんが本気になったんだとか彼女は話しています。

そのうち2人のことが、ゴシップとして新聞に掲載されてしまいます。当時は週刊誌はありませんので、芸能関係のゴシップネタは新聞に掲載されていました。

当時の新聞は現在の文春と同じです。

文春砲に掴まった伊藤久男さん。

伊藤久男

「困ったね。そのうち俺と百太郎のことが新聞に出てしまった。それで、コロムビアの社長に呼ばれて、結婚するか、やめるか、どちらかにしろ、と言われて」

1938(昭和13)伊藤久男さんと赤坂百太郎さんが結婚することになります。

結婚後に伊藤久男さんは

「あとで聞いたことなんだけど、その新聞記事は百太郎が書かせたんだよ。ワシはまんまといっぱい食わされた」

と述べています。

ハニートラップにかかり、芸能ゴシップネタとなり結婚。

芸能界の世界、昔も今も変わりませんね。

赤坂百太郎さんとは4人のお子さんも授かりましたが1950(昭和25)離婚しています。

3度目の結婚は元宝塚21期女役桃園ゆみかさ(西山あさの)さんと結婚しています。

伊藤久男

「宝塚と言ってもコーラスガールだよ。俺が大阪の放送局で歌うとき、後ろで『あーっ』とや

っていた。だいたい、あんな顔の長い女は宝塚で一流になれるもんか。馬がカツラをつけたみたいになる」

と言ってご本人なんですが、

「その後、東京で再会してね。俺は女に上手いことが言えない男で、ブスっとしていたんだが、カカアはそこに惚れ込んだんだな。ただ、感心したのは、百太郎との間に生まれた4人の子供を引き取ると言った事なんだ。それで結婚する気になった」

と言うことだそうです。

伊藤久男は3番目の妻・桃園ゆみかとの間に4人の子供に恵まれ、前妻との間に生まれ4人を合わせて、計8人の子供に囲まれて幸せに過ごしたそうです。

1983(昭和58)425日伊藤久男は家族に見守られながら、東京都中野区の西武沼袋医院で、肺水腫のために73歳でお亡くなりになられました。

伊藤久男さん3人の美女と結婚し、多くのお子さんに恵まれて幸せな人生だったようです。



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