ケイのblog

愛媛県の宇和島出身。現在は横浜市で会社勤務。NHK連続ドラマ『エール』裕一(窪田正孝)音(二階堂ふみ)の主人公とその他ドラマ登場人物をモデル、古関裕而と妻金子の史実と時代背景を比較しながら、このブログでもっとドラマが楽しく見られたらいいなと思っています。

NHK朝の連続ドラマ『エール』■音の母、光子(薬師丸ひろ子)の台詞「二人が接吻しているのを見ちゃったの。汽車はもう走りだした。止まりません。…頭はダメって言ってるけど、心はいいって言ってるの。だから私は認める」こんな無茶苦茶な台詞。テレビドラマで観たことはありません。明かにテレビ劇場芝居■面白いです。私が勝手気ままに書いているブログです。でひ読んでみてください。

カテゴリ: エール


NHK朝の連続ドラマ『エール』今回の朝ドラは展開が早い、次から次へと場面が切りかわり、ドラマが展開していき、ハラハラ、ドキドキから安心、不安と観るものの気持ちを揺すぶり続けるようである。僅か朝の15分なんだが、作るほうもたいへんな作業だなと思う。僅か11秒でも大切な時間なのだ。


5003



特に先日のコロナウィルスでお亡くなりにになった大作曲家、小山田(志村けん)さんの登場シーンはいつも圧巻であった。


■ 志村けんさん登場シーンから


小山田(志村さん)はコロンブスレコードのディレクター・廿日市(古田新太)を自室に呼び出した。


 小山田「忙しいの、悪かったね。どうした汗かいて。暑いか?(机の上に置いた新聞を指さし)君、この男、知ってるか?」


 廿日市「(裕一が国際作曲コンクリート2等に輝いた記事を読み、音が裕一を売り込んできたことを思い出す)」


 小山田「知ってるのか?」


 廿日市「いえ、あの、この男が何か?」


 小山田「君のところでな、契約してほしいんだよ(つづく)」


初登場となった前回第25話のラスト約1分に続き、この日、志村さんの出演シーンはラスト約50秒。


前回は秘書(川島潤哉)から裕一の快挙を知らされ、小山田は「(新聞を手に取り)(裕一が)本物か、まがい物か、楽しみだね(新聞を机に投げ置く)(つづく)」。


この日も志村さんのセリフがドラマを締める同じような構成となった。まさにラスト1分、814分の男である。


野球でも最後に締める、おさえのエースがいた。人呼んで830分の男。志村けんは『エール』の814分のエースである。

FullSizeRender

NHK朝ドラ「エール」東京編のスタートです。古山裕一(窪田正孝)とコロンブスレコードの同期入社にした木枯正人とRADWIMPSのボーカル野田洋次郎。これが朝ドラ初出演です。


木枯正人は、コロンブスレコードに古山裕一と同期で採用された作曲家モデル古賀政男です。


ギターが得意で、行きつけのカフェで弾き語り劇中で野田洋次郎さんの歌声が響きます。


5003



古賀政男は明治大学を卒業後、音楽活動を続け、昭和6年に日本コロムビアの専属作曲家となります。


古賀政男は文芸部の社員を希望していたのですが、最終的に専属の作曲家となります。


時を同じくして日本コロムビアに入社したのが、古山裕一のモデルとなる作曲家・古関裕而です。


日本コロムビアは、古関裕而と古賀政男を天秤にかけ、駄目だった方を切り捨てるつもりで、2人を入社させました。


ドラマの廿日市誉(古田新太)が言ってたことが事実のようです。


ドラマではコロンブスレコードとの契約を取り付けてきます。その契約金が1年で3500円?


えっ、凄い。


廿日市誉はそれ以上とか、いったいいくらもらってるんでしょうか。


現代だと1.100万だとか。


しかし、昔のレコード会社はそんなにはもらっていませんでした。「評伝 古関裕而」(菊池清麿著・彩流社)によれば、古関裕而の「日本コロンビア」との最初の契約金は300円だったとのこと。


古賀政男よりも契約金は高く、期待値は高かったようです。


日本コロムビアに入った古賀政男は、歌手・藤山一郎とのコンビで1931(昭和6)9月酒は涙か溜息か」を大ヒットさせます。


一方、1931(昭和6)古関裕而は早稲田大学応援歌「紺碧の空」を作曲しました。


しかし、入社後何年もコロンビアからの歌のレコードのヒット曲が出なかった。


古関裕而本人も

『流行歌は不得手なので、はじめは童謡ばかり書いていた

と自伝で述べています。


ならレコード会社も見放すか、本人があきらめて飛び出すかだろうが、会社も辛抱強かったし、本人もかなり粘り強い性格だった。


おまけに妻の金子からも

「あなたの音楽は国際コンクールで認められたじゃありませんか。必ず、ヒット曲は出ます」

と応援してもらっていました。


古賀政男も日本コロムビアに

「芸術家にスランプはつきものだ。それを理由に契約を左右されたら、安心して作曲出来ない」

とみんなして古関裕而を応援してくれたのです。


古関裕而入社5年後1935年(昭和10年)「船頭可愛や」が大ヒット曲となります。


5000曲も作曲した大作曲家も最初のヒット曲が出るまではそうとうに苦しんだようです。

NHK朝の連続ドラマ『エール』では家族に反対されながらも東京に出てきた裕一は、喫茶店「バンブー」で紹介してもらった家で、音との新婚生活をスタートさせる。同時にコロンブスレコードの専属作曲家としての仕事も始まった。ディレクターの廿日市誉(古田新太)に、同期の作曲家・木枯正人(野田洋次郎)ともに職場を案内された裕一は、さっそく作曲を依頼される。


5003



『エール』史実にみるストーリー


自分の曲が一向に採用されないなか、木枯の曲が先にレコードになり、焦りを募らせる裕一。


木枯正人のモデルは「古賀メロディ」で有名な古賀政男であった。


これはたいへん相手も音楽才能溢れた若者である。ライバル関係も厳しそう。


古関裕而は今も歌われ続ける早稲田大学の応援歌『紺碧の空』でその名は世に出たが、いわゆる大衆的なヒットには恵まれなかった。


コロンビアとしては大学野球の応援歌のヒットではビジネス的には儲からなかったのです。


古政男は『丘を越えて』などヒットを連発させていました。ライバルの活躍に落ち込む裕而に、ハッパをかけたのが金子だった。


「あなたの音楽は国際コンクールで認められたじゃありませんか。必ず、ヒット曲は出ます」


ドラマでは裕一と音、木村正人がどんな風な脚本になるのか楽しみです。


NHK朝の連続ドラマ『エール』第30話『二人の決意』では、自分が幸せになるために大切なことは何かに気づいた裕一は、家族の反対や周囲の非難を受け止めつつ、 父・三郎(唐沢寿明さん)の「おめえが捨てたって、俺はおめえを捨てねえ。安心しろ。あとのことは俺に任せとけ」との言葉に見送られ、音のいる東京へと向かう。


となっていた。テレビを観ながら思った。やっぱなんかが違う。脚本とはいえ古関裕而の真実のストーリーとあまりにもかけ離れ過ぎているのだ。



5003



古関裕而のために真実のストーリーを簡単に書くとする。


古関裕而の真実のストーリー


20歳のとき、『竹取物語』を題材にして作った舞踏組曲が、英国のコンクールで第2席に輝く。


『無名の青年の快挙!』


この新聞記事を読んだのが、愛知県豊橋市に住んでいた金子(旧姓・内山)。早速、写真入りの手紙を、裕而の働く銀行宛てに送ったという。


《私はオペラ歌手を目指して声楽を勉強しております。自分で申すのも何ですが、声にはいささか自信があります》


かなり積極的な文面に気押されながらも、返事を出す裕而青年。


《貴女と云ふ方と知り合へた事は正に運命としか思へません》


《ゆうじさん。私のスウィートハート。初恋です。そして私の最後の恋に致します》(金子)


ときには、絵文字ならぬ、ハートのイラスト入りだった。


1930(昭和5)2月ごろに文通が始まって、5月には裕而が金子に会いに豊橋まで行き、6月には結婚という、わずか3カ月の文通だけの、まさしく電撃婚だった。


同じ年の秋には、日本コロムビアに専属作曲家として招かれて、2人で上京。東京・阿佐ヶ谷での新婚生活がスタート。


■あざとくなり過ぎた脚本


NHKの番組紹介でもスポーツシーンを彩る数々の応援歌やヒット歌謡曲を手がけた、昭和を代表する作曲家・古関裕而(こせき ゆうじ)氏をモデルに、音楽とともに生きた夫婦を描く、連続テレビ小説『エール』。


となっており、古関裕而の名前もでている。ほとんどどなたも古関裕而の物語だなと思って観ているのに、家族を捨て、音を選ぶという古関裕而の真実とは違うことを脚本家が勝手にドラマを作ってしまって良いのかと言うことである。これでは古関裕而の名誉にも関わってしまうことです。


観ている人を楽しませなければいけない脚本家の仕事の大変さはわかりますが、今回はかなりやり過ぎではないでしょうか。


確かにNHK朝の連続ドラマ『エール』には原作はなく全く架空の物語りだと言うことは理解できますが、ドラマを面白くするために、視聴率のために、あざとくなってしまったと言わざるをえません。

↑このページのトップヘ