ケイのblog

愛媛県の宇和島出身。現在は横浜市で会社勤務。NHK連続ドラマ『エール』裕一(窪田正孝)音(二階堂ふみ)の主人公とその他ドラマ登場人物をモデル、古関裕而と妻金子の史実と時代背景を比較しながら、このブログでもっとドラマが楽しく見られたらいいなと思っています。

NHK朝の連続ドラマ『エール』■音の母、光子(薬師丸ひろ子)の台詞「二人が接吻しているのを見ちゃったの。汽車はもう走りだした。止まりません。…頭はダメって言ってるけど、心はいいって言ってるの。だから私は認める」こんな無茶苦茶な台詞。テレビドラマで観たことはありません。明かにテレビ劇場芝居■面白いです。私が勝手気ままに書いているブログです。でひ読んでみてください。

カテゴリ: エール

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NHK朝の連続ドラマ『エール』福島に帰ってきた裕一は母親や弟から結婚を反対されます。なかなか家族や親族にみんなに喜んでもらう結婚は難しいものですね。


弟は兄を親身に考えているのは父や母、家族なんだと問いかけますが、しかし、裕一の音を思う気持ち、音が裕一を思う気持ちは変わらないようです。


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二人の気持ちは文通により固く結ばれ、別れることが出来なくなっていました。


裕一と音のモデル古関裕而と金子の結婚


1929(昭和4)古関裕而20歳、金子17歳の時から二人の文通は始まりました。


金子

「広い世界ににこうして結ばれた魂と魂しい。お互いが真剣に生一本な心の持ち主だったら、一致したとき必ず偉大な芸術を産み出すことが出来ると信じます。」

裕而

「貴女が不美人だろうが、なんだろうが、そんなことは第二です。ただただ貴女の、金子さんの気持ちに、その熱に、私は感じております。」

金子

「私もただ、あなたを愛するのみです。キス、キス。私はこのレター一面にキスします」

裕而

「金子さん!貴女は、私の発想の源です」


古関裕而には、もう金子なしの人生は考えられなくなっていたのです。


1930(昭和5)61日二人は結婚します。

裕而20歳、金子18歳でした。


生涯続いた二人の文通


結婚後も古関裕而は、妻金子に「今年も仲良くしましょうね」と年賀状を出していました。

 

同じ屋根の下にいる奥さんに、わざわざ郵便ポストに入れて年賀状を出していたのです。


結婚しても、妻に年賀状を出すなんて、普通は考えられませんが、これが裕而の金子に対しての変わらない愛の表現だったのです。


「今年も仲良くしましょうね」古関裕而の妻に対して一生涯続いた愛のメンツセージでした。


古関裕而はお坊ちゃん育ちで、穏やかな性格の楽天家だった。


誰もがそう口をそろえている。口数は少なく、まさに妻の金子とはデコボココンビだったものの、うちに秘めた情熱は激しかった。


一生涯、妻の金子を愛し続けた生真面目な男の姿が目に浮かぶ。


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恋文で批判した山田耕作


裕而は、そのやり取りのなかで山田耕筰(文面では耕作)さえも激しく批判している。

「彼の芸術は立派だかも、知らないが、あの、腐つた品性を、読んだ時、彼の作品にも、その悪性がしみ込んで居るかと思ふと」

「自分は、芸術に於て、山田耕作氏以上にならう、否、断然山田耕作氏を抜かうと思つてます」


クラシック作曲家を目指していた古関は、それまで山田を崇拝していた。それなのに、どうしてこんなことになったのか。


それは、雑誌で山田の女性問題が報道されたからだった。金子との清く正しい交際を目指していた裕而は、山田の醜聞が許せなかったのだ。


山田耕作とはどんな人物だったのだろうか。


山田耕作と受難の永井郁子女子


28歳となった大正3年(1914年)、ドイツ留学から山田は帰国。


この年、岩崎の主催する東京フィルハーモニー会に管弦楽部が創設されました。


山田東京フィルハーモニー会を組織し、指揮を担当します。


三菱財閥の岩崎弥太郎の紹介で永井郁子と結婚したにもかかわらず、昔なじみの村上菊尾という女性が忘れられず、翌年には離婚。女優の村上菊尾(本名・河合磯代)とスピード再婚してしまいました。


これでは永井郁子さんもたまったものではありません。


紹介した岩崎弥太郎のメンツも台無しになり岩崎は大激怒。


資金援助を打ち切られ、オーケストラは解散せざるをえなくなりました。


その菊尾とも山田が70歳と文化勲章を受章した後、離婚し、辻輝子を入籍。


今で言う熟年離婚であろうか。


山田耕作は後にこう語っている。


『「良妻は母に似る」と昔からいっている。その意味において辻輝子はまことに良妻である。陽気でいて細心、苦難をものともせぬところなど、母そっくりである。


 再度の結婚生活に失敗した私は、ようやく晩年になって、家庭というものの幸福を満喫している。私を憐んで、亡き母がこうしてくれたものとしか思えない。』


こう書いてきたが、山田耕作は自分の意思の通り生きた男。


ある意味、恋愛に対しては純粋だったのかも知れない。


古関裕而から、すれば男のエゴで妻と離婚するいいかげんな男に見えたのかも知れないが、本人は幸せな生き方だったのかも知れない。


古関裕而と山田耕作と志村けん


古関裕而のように一人の人を一生涯愛し続けて生きるいき方と、山田耕作のように自分の意思の思うように結婚を繰り返す生き方と志村けんのように美女と恋愛を重さねるも一生涯独身で生きるいき方、男にはいろんな生き方があって良いと思う。


人生の最後に後悔のない人生だったなと思えることが最高の男の生き方ではないたろうか。


志村けんさんも悔いのない生き方をされたのだと思います。心からご冥福をお祈りします。

NHK朝の連続ドラマ『エール』で裕一と音が開いた演奏会は大成功しますが、コンサート収入を鶴亀に持ち逃げされてしまいます。


朝ドラ29年ぶりに出演のアナウンサー古舘伊知郎さんでしたが胡散臭い風貌で名前のとおりの詐欺師。悪役でした。

音ちゃんは「大変、大変」と悔しがっていたが、裕一やお母さんはそれほど気にしない。


音ちゃんは持ち逃げされてかなり悔しくてたまらないようでした。


持ち逃げされたお金に未練があるようです。


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音ちゃんのモデル、古関金子(きんこ)


古関裕而さんの奥さん古関金子さん、金子さん、「かねこ」ではなく「きんこ」さんと読むようです。


古関裕而の仕事が順調になり、お金もどんどん入るようになると奥さんの金子さんは株に手を出すようになります。


彼女はもともと声楽家を目指していました。そのため、芸術にくらべて株など「なんとなく下俗」に思っていた時期もあった。だが、転がり込む利益の前に、そんな思いも吹き飛んでしまっていました。


「株やってると生き甲斐を感じますわね。株やらない人は、なんだかバカにみえて……(笑声)」


金子は、1959年元旦付の『日本証券新聞』でこう発言している。なんと彼女は戦後、「失敗はほとんどありません」と豪語するほど株取引にのめり込み、金融メディアで「百戦錬磨の利殖マダム」と呼ばれるようになっていました。


金子さんも名前と同じように、お金には一生涯不自由はしなかったようです。


金子が残した名言「株は芸術なり」


戦後、金子は株取引に熱中していまして、トレーダーとして有名だったんです。「株は芸術なり」という名言も残しています。


当初の金融関係のメディアでは某作曲家夫人と記されていたのですが、どんどん有名になって、古関金子の本名や写真入りで登場するようになり、「百戦錬磨の利殖マダム」として投資の体験談を語ったり投資指南も行っている。


自分の夫の契約先である日本コロムビアの株も投資家目線で評していました。渋谷の山一証券に毎日のように出かけていたそうです。


世は右肩上がりの成長期ですし、どこまで株取引が上手だったのか本当のところはわかりません。いずれにしても、古関金子は自分の考えや主張を強く持っている女性であり、高度成長期の日本を体現する女性だったとみることもできます。


NHK朝ドラマ『エール』音役の二階堂ふみ、まさにモデル役金子の性格にふさわしい、自分の考えや主張をはっきり持った現代女性を演じていると思います。


音役の二階堂ふみのハキハキとした態度やちょっといきすぎじゃないかなと言う言動が男らしく?気持ちいいですね。

NHK朝の連続ドラマ『エール』の主人公古関裕而はプロ野球球団の応援歌も作曲している。その代表的な曲が阪神タイガースの歌であろう。1936(昭和11)大阪タイガースの歌として作られ1961(昭和36)球団名変更により阪神タイガースの歌となった。


現存する日本野球機構(NPB12球団の球団歌において最古の楽曲である。


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■阪神タイガースの歌

古関裕而氏は1909年福島市生まれ。福島商業を卒業後、川俣銀行に勤務。1930年、日本コロムビアに作曲家として入社した。


1936年、大阪タイガースが日本コロムビアに球団歌を発注した事から、古関先生がタイガースの球団歌を作成する運びとなった。


当時は阪神タイガースではなく大阪タイガースだった。


コロムビアに入社後すぐに早稲田大学の有名な応援歌「紺碧の空」(1931年)を作曲している。当時の早稲田が強かったために、「紺碧の空」の作曲者として名が売れていたためこせきゆうじ依頼されたようである。


同じコロムビア所属の作詞家・佐藤惣之助が書き下ろした詞に曲をつける形で作曲された。

ちなみにコロムビア時代に古関・佐藤の組み合わせで作った曲は判明しているだけでも27曲を超える。


初版のレコードはコロムビア所属の歌手 中野忠晴が歌った。中野は30曲以上の古関作品のレコーディングに参加している。


大阪タイガースの歌

六甲颪

佐藤惣之助 作詞  古關裕而 作曲 


六甲颪に 颯爽と

蒼天翔ける 日輪の

青春の覇氣 美(うるは)しく

輝く我が名ぞ 大阪タイガース

オウオウオウオウ 大阪タイガース

フレフレフレフレ


鬪志溌剌 起つや今

熱血既に 敵を衝く

獸王の意氣 高らかに

無敵の我等ぞ 大阪タイガース

オウオウオウオウ 大阪タイガース

フレフレフレフレ


鐵腕(鉄腕)強打 幾千度び

鍛へてこゝに 甲子園

勝利に燃ゆる 榮冠は

輝く我等ぞ 大阪タイガース

オウオウオウオウ 大阪タイガース

フレフレフレフレ


球団名こそ大阪タイガースとなっているが88年間歌われ続けている、まごうことなき阪神タイガースの歌である。


古関裕而は偉大る作曲者である。


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