ケイのblog

愛媛県の宇和島出身。現在は横浜市で会社勤務。NHK連続ドラマ『エール』裕一(窪田正孝)音(二階堂ふみ)の主人公とその他ドラマ登場人物をモデル、古関裕而と妻金子の史実と時代背景を比較しながら、このブログでもっとドラマが楽しく見られたらいいなと思っています。

NHK朝の連続ドラマ『エール』■音の母、光子(薬師丸ひろ子)の台詞「二人が接吻しているのを見ちゃったの。汽車はもう走りだした。止まりません。…頭はダメって言ってるけど、心はいいって言ってるの。だから私は認める」こんな無茶苦茶な台詞。テレビドラマで観たことはありません。明かにテレビ劇場芝居■面白いです。私が勝手気ままに書いているブログです。でひ読んでみてください。

カテゴリ: エール

 NHK連続ドラマ『エール』では佐藤久志(山崎郁三郎)が酒浸りの状態から、夏の甲子園の大会歌「栄冠は君に輝く」を歌い上げて復活するまでを描かれていきます。

 1948年(昭和23年)、名称も全国高等学校野球選手権大会となった。

 これを記念して大会歌をつくることになり、朝日新聞社が全国から歌詞を募集しました。

「全国高等学校野球選手権大会歌募集」

 朝日新聞に「全国高等学校野球選手権大会歌募集」が紙面に載りました。

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 『我が国スポーツの最大行事である全国中等学校優勝野球大会が学制改革に伴い今年から高等学校に切り替えられることになったのを機会に、新しく「全国高等学校野球選手権。大会」の歌を次の規定で募集します。30年の長い歴史を誇るこの大会の精神と伝統を守りつつ、しかも新しい時代ととに発展させて行きたい念願です。』

 その結果、5,252の作品が集まり、入選したのは金沢貯金支局勤務の加賀道子さんに決定しました。

 紙面ではさらに、『なお、作曲はラジオ「鐘の鳴る丘」で全国的に親しまれている作曲家古関裕而氏に依頼することになった』と載っています。

新聞に入選の歌詞

「栄冠は君に輝く」

雲は湧()き 光あふれて

天高く 純白の球 今日ぞ飛ぶ

若人よ いざ

まなじりは 歓呼に答え

いさぎよし 微笑(ほほえ)む希望

ああ 栄冠は 君に輝く


風を打ち 大地を蹴()りて

悔ゆるなき 白熱の力ぞ技ぞ

若人よ いざ

一球に 一打に()()けて

青春の 讃歌を綴(つづ)

ああ 栄冠は 君に輝く


空を切る 球の命に

通うもの 美しく匂える健康

若人よ いざ

緑濃き 棕櫚(しゅろ)の葉かざす

感激を 目蓋(まぶた)に描け

ああ 栄冠は 君に輝く

 作詞は最初加賀の妻の名義で応募したが、後年大介名義に変更された。

 これが入選した「栄冠は君に輝く」です。

 古関裕而は「雲はわき」の一節から始まる叙情詩にどう曲をつけるべきか悩みました。

甲子園球場のグランドでメロディが湧く

 この時、高校野球にふさわしい曲想を練ろうと、古関がひとり甲子園を訪れています。

 古関裕而

 「無人のグラウンドのマウンドに立って周囲を見回しながら、ここにくり広げられている熱戦を想像しているうちに、私の脳裏に、大会の歌のメロディーが湧き、自然に形付けられてきた。やはり球場に立ってよかった」と述べています。

 彼は甲子園球場の壮大なグランドに一人立ち、誰もいないスタンドに目を上げ、空を見ると、青い空には白い雲が見えたのです。

 ♪雲が湧き ♪光溢れて

 自然に古関裕而の頭にはメロディが湧いてきました。

 この時に出来た曲が「栄冠は君に」の曲になったのです。

 そうして『栄冠は君に輝く〜全国高等学校野球大会の歌〜』(作詞:加賀大介、作曲・編曲:古関裕而、歌:伊藤久男・コロムビア男声合唱団、録音:194962194971日、日本コロムビアより販売されたのでした。

昭和23年はまさに古関裕而の年

 1947(昭和22)75日土曜日の午後515分よりラジオ からは「鐘の鳴る丘」の主題歌「とんがり帽子」が放送され、終戦後の娯楽のない時代に人々は家庭や街頭のラジオで耳を澄ませて聴きいっていました。♪鐘がなりますキンコンカン

当時の国民の90%の人が聴いた!と言ったぐらい大ヒットしました。

 1948(昭和23)NHKラジオ放送「鐘の鳴る丘」の主題歌「とんがり帽子」が選抜高校野球行進曲となっています。

 映画館では松竹より「鐘の鳴る丘 㐧一篇 隆太の巻」(1948年(昭和23年)1123日)が放映され、それの劇中歌全てを古関裕而と菊田一夫のコンビで作っています。

 しかも朝日新聞募集「全国高等学校野球選手権大会」の大会歌を作曲しています。

 古関裕而の昭和23年は仕事に邁進した一年でした。



 NHK連続ドラマ『エール』のブログを毎日書いていると、ふと書けなくなってしまった。

 この朝のドラマ、これは何のドラマがわからなくなったからだ。

NHK製作者は『「栄冠は君に輝く(全国高等学校野球大会の歌)」「六甲おろし(阪神タイガースの歌)」「闘魂こめて(巨人軍の歌)」などスポーツシーンを彩る応援歌の数々、戦後、人々を夢中にさせたラジオドラマ「君の名は」「鐘の鳴る丘」、「長崎の鐘」「イヨマンテの夜」などヒット歌謡曲の数々で昭和の音楽史を代表する作曲家・古関裕而氏と妻で歌手としても活躍した金子氏をモデルに音楽とともに生きた夫婦の物語を描きます。』と述べていたのだが

 確かに始まって見ると、実名で古関裕而の作曲した歌が出てくるが、作曲した曲の順番も、その背景も全く史実とは異なって出てくる。

 なんだか古関裕而の夫婦の物語を描いているとは思えないのだ。

 朝ドラが始まった1場面から息子の古関正裕さんも次のように述べている。(オリンピック開会式当日に自身作曲の演奏前、裕一が緊張からトイレに籠ってしまうシーン)『自分の渾身を込めた自信作の演奏を前に、心地よい緊張感はあるかも知れませんが、不安に怯えるような、苛まれるような心境など有るわけがない、招待席で、愛用の8ミリカメラで開会式の様子を撮影するのに夢中でした』初回の「エール」を見て、正裕さんは目を疑い、耳を疑ったようです。『古関裕而は物おじせず、プレッシャーには強く、とくに一発本番のようなときに一番本領を発揮する、そんなタイプでした』

 古関裕而が戦後、作曲が出来なくなったとドラマの展開だったが、福島に疎開していて、その場所で校歌を作曲していた。ドラマが描いたような人物とはまた違っていた。

 佐藤久志モデルの伊藤久男にしても性格は豪放磊落。終戦後は山形にいて、酒好きのため毎日酒を飲んでいた。ただ、当時は酒がなく、かわりにメチルアルコールを多量に飲んだため身体が変調をきたし、廃人同然になっていたようです。

 あまりにも、NHK連続ドラマ『エール』は史実無視のご都合主義で、視聴率稼ぎのドラマと思われてもしかたがないのでは。しかし、NHKは視聴率は関係ないのではないかと思います。

 では、このドラマは何なのかと考えると、一つの結論に達しました。

NHK連続ドラマ『エール』は古関裕而の夫婦のパラレルワールドを描いたドラマであると。

 パラレルワールドで、この現実とは別に、もう1つの現実が存在する」という「もしもこうだったらどうなっていたのか」という考察を作品の形にする上で都合がよく、パラレルワールドにして描いた作品、それがNHK連続ドラマ『エール』ではないか、それが一番ベターな朝ドラマの見方ではないかと思います。

 もう1つの歴史を扱う作品として見ると、ほんとうに、なんの矛盾も感じず気持ち良くドラマが観れます。

 NHK連続ドラマ『エール』では主人公、古山裕一と鉄男が藤丸に連れられて佐藤久志の家を訪れると、久志(山崎郁三郎)はすっかりかわりはてた姿になっていました。

 プリンス久志とは思えない姿に。どうしたんでしょうか。久志の目には昔の輝きもありません、早く戦後の苦しい思いから立ち直って、心に炎の火を灯して欲しいものです。

 佐藤久志のモデルは伊藤久男です。伊藤久男と言えば「イヨマンテの夜」でしょう。今日はその代表曲「イヨマンテの夜」の話しをしてみたいと思います。

「イヨマンテの夜」

 伊藤久男の代表曲「イヨマンテの夜」はNHKのラジオドラマ『鐘の鳴る丘』の劇中の山男をテーマとした演奏曲として、古関が作曲し1949(昭和24)に発表されています。

 奥多摩の山奥で木材を切っている木樵(きこり)が歌詞のない歌を口ずさむ「アーアー」だけのメロディだったが、菊田と古関が気に入り、ひとつの作品として残すことになりました。

 レコード化にあたり、ドラマの脚本を書いた菊田が後から歌詞を加えた。

 当時、彼はアイヌの作品を手がけていたため、アイヌ的な単語を当てはめて作りました。

 「アーホイヨー」の歌い出しは雄叫びにも似て、伊藤が朗々と歌い上げます。

 なんと木樵の口ずさみがアイヌの「熊まつり」、「イヨマンテの夜」になった瞬間でした。

 「アホイヤァー」の叫び声に度肝を抜かれ、そして「イヨマンテ/燃えろかがり火/ああ満月よ/今宵熊祭/踊ろうメノコよ」の後、間奏、そして「ああー」と続きます。

 「イヨマンテの夜」作詞:菊田一夫、作曲:古関裕而、歌手:伊藤久男とコロンビア合唱団でレコードが販売されました。

 リズム的にも大変難しく、男性的な歌謡曲の典型。

 古関裕而「派手で劇的な効果に男性的な豪快さがあり、男性なら一度は歌ってみたくなる曲である。が、難しいことも第一級で、リズムが十六分音符と八分音符の二拍子系なのに、メロディには三連音符が多く現れる二対三の変則的なリズムをいかに歌いこなすかが問題で、作曲にその面白みをねらってある。」と述べています。

 レコード会社は「こんな難しい歌は売れっこありませんよ」と見捨てて、ポスター一枚作成しなかった。

 しかし、このレコードが売れたのです。大ヒットとなりました。

 ヒット曲はわからないものです古関裕而と菊田一夫が樵の「アーアー」だけから作った曲がヒットするんですから。

 ヒットすると思ってもヒットしなかったり、ヒットしないと思った歌が意外とヒットするものみたいです。

 ヒットには歌手、伊藤久男の声量と迫力がある歌声があったのは間違いないことだと思います。

 1950年から1952年頃の『NHKのど自慢』ではほとんどの男性出場者がこの曲を選択し、審査員を困らせたということです。

「ああー」カン。

「ああー」カン。

 なんだか鐘一つのため息のようにも思える「ああー」でした。

 当時の「のど自慢」の風景が見えるようです。()

 音楽とは、男の心から炎を打ち出すものでなければならない。そして女の目から涙を引き出すものでなければならない。

Music should strike fire from the heart of man, and bring tears from the eyes of woman.

ベートーベン

 古関裕而作曲の「イヨマンテの夜」は男の心から炎を打ち出すものだったようです。


 

 NHK連続ドラマ『エール』では佐藤久志(山崎郁三郎)が酒浸りの状態から、夏の甲子園の大会歌「栄冠は君に輝く」を歌い上げて復活するまでを描か

 佐藤久志の史実モデルは歌手の伊藤久男です。

 史実の伊藤久男はドラマと違っているのか?

伊藤久男の戦後

 伊藤久男は戦争中、『暁に祈る』『熱砂の誓い(建設の歌)』などの戦時歌謡で一世を風靡しました。

 昭和18年、赤紙が届くも痔の悪化で入院した病院の医師が伊藤のファンで、その計らいで、軍役を解かれ。

 その後は故郷の福島へ疎開。吹き込み、慰問時の度、上京していました。慰問先の山形で終戦を迎えます。
 戦後は、戦時歌謡を歌ったことでGHQに捕まるのではと恐れ、酒に溺れます。

 当時物資不足のため、メチルアルコールをしこたま飲み、声も人相までも変わってしまっていました。

 自分でも「再起不能」と語っていたほどです。

 古関裕而の助けもあり、1947(昭和22)「夜更けの街」で歌手に復帰しています。

暗い酒場の ダイスのかげに

ひょいとのぞいた 地獄の顔よ

煙りふきかけ 笑ってみたが

どこかさびしや 心の隅で

すすり泣くよな 胡弓のひびき

戦後の暗い自分のことを歌ったような歌詞です。

 作詞は菊田一夫、作曲は古関裕而の黄金コンビでした。

 「夜更けの歌」は松竹映画「地獄の顔」(マキノ雅弘監督)の劇中歌でした。

 映画「地獄の顔」はディック・ミネの歌う主題歌「夜霧のブルース」(作詞:島田磐也、作曲:大久保徳二郎)のほか、「長崎エレジー」(歌:ディック・ミネ、藤原千多歌、作詞:島田磐也、作曲:大久保徳二郎)、「雨のオランダ坂」(歌:渡辺はま子、作詞:菊田一夫、作曲:古関裕而)、「夜更けの街」(歌:伊藤久男、作詞:菊田一夫、作曲:古関裕而)の4曲が使われており、今見ると随分贅沢なラインナップで、これらの曲はいずれも大ヒットしました。

 この映画の劇中歌に友人の伊藤久男を推挙し伊藤久男を歌手として復帰させたのは古関裕而でした。しかも作詞は菊田一夫です。菊田一夫も彼の復帰に一役かっていました。

 古関の友達をなんとか以前のような歌手に復帰させたいとの思いがひしひしと伝わってきます。

 やっと復帰した伊藤久男は「イヨマンテの夜」で再び人気が再燃。「あざみの歌」「山のけむり」といった抒情歌も見事に歌いこなし、ヒットさせたのです。

 1948(昭和23)古関裕而が作曲した「栄冠は君に輝く」のオリジナルレコードの歌手は伊藤久男でした。

 「栄冠は君に輝く」は合唱団の歌よりも夏川りみの歌より、どんな歌手の歌よりも伊藤久男の歌が1番だと思います。

 佐藤久志役のミュージカルプリンス山崎郁三郎も綺麗な声で惚れ惚れしてしまいます。伊藤久男が歌った「栄冠は君に輝く」を山崎郁三郎だったらどんな風に歌うのか、なんだかとても楽しみです。

 NHK連続ドラマ『エール』物語は古山裕一(窪田正孝)高校野球の名曲「栄冠は君に輝く」を作曲するシーンへと進みます。

「栄冠は君に輝く」名曲の誕生秘話

 1945(昭和20)815日終戦となります。アメリカ軍が日本を占領し物事が全て変わったかと言うとそう言うことではありません。

 戦後の日本は戦前の制度を引きずったまま、混乱の社会が日本の日常でした。

 教育に関しても、戦前のままでした。戦後直後の日本の学制は、最長6年間の尋常小学校を義務教育とし、その後は2年間の高等小学校や原則5年間の旧制中学校、高等女学校、実業学校など複数の進路に分かれる複線型学校体系でした。

 日本の教育制度が軍国主義を生んだと考えたGHQは、その解体を政府に働きかけ、米国の教育使節団の勧告により昭和22年に学校教育法が制定。一律に6・3・3制とする単線型学校体系となりました。

 学制改革が変更になったのを全国民に知らせるのに絶好の機会だったのが高校野球でした。

  1948年(昭和23年)、名称も全国高等学校野球選手権大会となった。

これを記念して大会歌をつくることになり、朝日新聞社が全国から歌詞を募集しました。

「全国高等学校野球選手権大会歌募集」

 朝日新聞に「全国高等学校野球選手権大会歌募集」が紙面に載りました。

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『我が国スポーツの最大行事である全国中等学校優勝野球大会が学制改革に伴い今年から高等学校に切り替えられることになったのを機会に、新しく「全国高等学校野球選手権。大会」の歌を次の規定で募集します。30年の長い歴史を誇るこの大会の精神と伝統を守りつつ、しかも新しい時代ととに発展させて行きたい念願です。

1.内容=なるべく平易な言葉を用い清新はつらつたるもの

1.長さ=三節以内

1.締切=75

1.発表=720

1.賞金=入選一篇5万円(税共)

1.送り先=大阪市北区中之島、朝日新聞大阪本社企画部「野球大会歌係」(応募原稿には住所、氏名、職業、年齢を明記のこと、原稿は返送しません)

1.審査=特設の審査員会で行う

朝日新聞社』

 昭和23年の5万円はたいへんな金額です。現在の貨幣価値で言うと約500万円です。この金額は当時一軒家が買える金額でした。

 その結果が720日の紙面に載っています。

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 5,252の作品が集まり、入選したのは金沢貯金支局勤務の加賀道子さんに決定しました。

 紙面ではさらに、『なお、作曲はラジオ「鐘の鳴る丘」で全国的に親しまれている作曲家古関裕而氏に依頼することになった』と載っています。

 「栄冠は君に輝く」作詞者、加賀大介、作曲家、古関裕而となっていますが、入選者と作曲家が違っています。

 これはなぜ?

入選は加賀道子

 これは加賀大介が自分の名前を使わず、婚約者の道子の名前を使って応募したものでした。

 その当時のことを加賀大介は「ぼくは文学者だ。文学の道を究めて芥川賞を獲るんだから、新聞社の賞金の高い応募作に、加賀大介の名前は使いたくないんだ」と述べています。

 加賀道子さんは当時を振り返って

『加賀大介は草野球に熱中し、はだしで運動場を走り回る活発な少年だった。だが16歳のとき、夢を奪われた。試合中、足先のケガがもとで骨髄炎になった。道子は夫から聞いた話を明かす。「野球は早慶戦を欠かさずラジオで聞いていて。手術のときもラジオを入れてほしいと」。実況を聞きながら右足の膝下を切断した。グラウンドに立てなくなった大介は文学に打ち込んだ。石川・能美市の自宅前に小学校がある。道子は言う。「時々、運動場に行って小学生が野球をしているのを見ていました」。大介の心が躍ったのは、33歳の486月だ。「夏の甲子園」大会歌の募集を知った。「ものすごく野球が好きでね。文芸をやっていましたので『野球』という話で飛びついたんだろうと思います。ただ『栄冠は君に輝く』の題目は、前々から温めていたものでした」一気に詞を書き上げた。道子は「自分も健康で野球をしていたのにできなくなった残念な気持ちが歌詞に十分、出ているといつも思います』と語っています。

■20年間作詞者は妻の道子だった。

 「栄冠は君に輝く」入選発表後、この事実は20年間も明かされずに過ぎます。

 全国高等学校野球選手権大会が第50回の記念大会を控えた昭和432月のこと。朝日新聞記者が、「『栄冠は君に輝く』が発表されてから丁度20年になりますのでお話を」と取材を申し入れたのがきっかけ。道子は悩みに悩むが、もう秘密を持ち続けることに耐え切れず、その記者に真実を話し、222日の朝日新聞にこの事実が掲載される。『「作詞者は夫でした」加賀さん20年ぶりに真相語る』

  この50回記念大会に加賀大介は招待されるが出席していません。そしてその後も甲子園に行くことは一生なかったと言います。

 加賀大介も婚約者の名前を使ったのは流石に気がひけたようです。



    

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