ケイのblog

愛媛県の宇和島出身。現在は横浜市で会社勤務。NHK連続ドラマ『エール』裕一(窪田正孝)音(二階堂ふみ)の主人公とその他ドラマ登場人物をモデル、古関裕而と妻金子の史実と時代背景を比較しながら、このブログでもっとドラマが楽しく見られたらいいなと思っています。

NHK朝の連続ドラマ『エール』■音の母、光子(薬師丸ひろ子)の台詞「二人が接吻しているのを見ちゃったの。汽車はもう走りだした。止まりません。…頭はダメって言ってるけど、心はいいって言ってるの。だから私は認める」こんな無茶苦茶な台詞。テレビドラマで観たことはありません。明かにテレビ劇場芝居■面白いです。私が勝手気ままに書いているブログです。でひ読んでみてください。

カテゴリ:わろてんか > 北村隼也

NHKの連続テレビ小説「わろてんか」つばき(水上京香さん)が迎えにやってきた父・清一郎(及川達郎さん)の前で、結婚はせずに家を出ると言い切る。


隼也(成田凌さん)との話し合いの末、一度は家に戻ることを了承したつばきだったが、目を離した隙(すき)に書き置きをして姿を消してしまう。そして隼也も……


<明日のわろてんか>33日 第127回 目を離した隙につばきが! そして隼也も

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180301-00000042-mantan-ent


隼也とつばき二人の恋はどうなるのでしょうか?


NHK連続ドラマ「わろてんか」を楽しみに毎日観ていたら、2月も終わり3月になっていました。


ほんと時の経つのは早いものです。


3月に入って急に目が痒くなったり、鼻水が流れてきたりしています。


あれ?


花粉症です。


今年も花粉症の季節になってしまいました。


ほんと嫌なものです。


花粉症では恋どころではないですよね。


ところが不思議な話しなんですが「花粉症の人は恋をする」と言う科学調査があるんです。


えっ?


ほんとなの?


少し前ですがこんな調査がされています。


花粉症の人は恋をする。


2009年、オランダ・ハーグの環境リサーチシンクタンクが日本で行った花粉症の実態調査から「花粉症を発症した人は恋人ができる確率が高まる」との調査結果を公表。


調査結果では、花粉症の発症期間中に新たに恋人や愛人ができる割合が高いのは、花粉症が引き起こす慢性的な鼻づまりが血中の酸素濃度を低下させ、頭がぼんやりとしてしまうことで異性に対するコミュニケーションのハードルが下がり、意識せぬうちに親密な関係になってしまうのが原因ではないかと言うものだった。


2013年、イスラエルの研究グループは花粉症患者の体内で、これらの調査結果を裏づける驚くべき変化が起きていることを発見した。


今回の研究で花粉症を発症している125人の体内を精密に検査したことからわかったのは、約2割の被験者の鼻腔に、ある特別な機能が生まれ始めている、という驚くべき事実だった。


 花粉症によってフェロモンを受容する器官が生み出されているという事実だ。


フェロモンが多くの動物の求愛行動と深く関係していることは、古くから知られている。


ヒトも例外ではなく、フェロモンの存在を示唆する実験結果がいくつも報告されていた。


その一方でイヌやウマ、ネズミなどほとんどの哺乳類には、フェロモンを受け取る器官が鼻腔内に備わっているが、ヒトを含む霊長類にはこうした器官が存在しないと考えられていた。


イスラエル・ディアスポラ医学研究所のザハ・ザハディ教授らは、花粉症を発症した日本人被験者の鼻腔には、フェロモン受容体をもつ細胞が生じていることを明らかにした。ザハディ教授は語る。


「実に驚くべき結果です。


長年花粉症に悩まされてきた日本人が、この自然による『公害』とも言える環境に適応し始めているという証拠となるものだと思います。


通常、花粉が引き起こすアレルギー反応は、鼻水や鼻づまり、目のかゆみといった不快な症状をもたらすのみです。


しかし長年花粉症に対応してきた、わたしたちが呼ぶところの『ヴェテラン』たちは、花粉症を自分たちの生存に利用するメカニズムを体内に生み出しつつあるのです」


ザハディ教授らの研究では、花粉症が引き起こす慢性的な鼻粘膜の炎症により、一部の細胞がフェロモン受容体をつくり出すようになることを解明した。


彼らの実験結果は、花粉に含まれるある種の化学物質と体内で産生されるロイコトリエンがその引き金となっていることを示している。


ほかのアレルギーではなく、花粉症だけでこのようなフェロモン応答が見られるようになるのは、花粉そのものが引き金の一因となっているからです。


隼也とつばきの恋


「花粉症の人は恋をする」とは不思議ですね。


わたしたちが花粉症で苦しんでる間にも花粉症で恋してるカップルがいるのでしょうか?

NHKの連続テレビ小説「わろてんか」は第21週「ちっちゃな恋の物語」を放送。


てん(葵さん)は雨でびしょぬれになった息子の隼也(成田凌さん)とつばき(水上京香さん)に驚きながらも、何も言わず2人を家に上げる。


いいなずけと結婚する前に隼也にきちんとお別れをしたかったと打ち明けるつばきに、てんは複雑な思いを抱く……



<明日のわろてんか>223日 第120回 つばきが隼也にお別れ てんの胸中は複雑?


https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180221-00000043-mantan-ent


北村隼也と加納つばき若い二人はお互いに好意をよせあっています。


そこに若い二人の恋に立ち塞がる障壁。


このドラマの時代は昭和の初め。


旧民法下、日本は家父長制度の社会。


親が娘の結婚相手を見つけるのです。


女性の社会的地位は男性に比べてはるかに低く、 男性は支配される性、女性は劣るがゆえに支配さ れる性であるというのが一般的な考えでした。


女性は父親 や夫、君主などの父長権力によって縁談を強制さ れたり、行動の自由を束縛されたりしたのです。


日本と同じ家父長制度のよく似た社会がありました。


ロミオとジュリエット


それは昔のイギリスです。


シェイ クスピアの生きた中世末から一六世紀にかけての イングランドでは、上流の家庭でこのように領主 と親族が結婚を支配するというのが一般的であっ たとされています。


これは当時、土地の所有が主な 資産で、地所が一族にとっての永続的な財産であ るとされ、これらの財産は相続や結婚によって維 持し、強化し、継承することが重要であったためです。


また、長男単独相続制という慣例によって権利や資産が何も与えられなかった長男以外の 次男、三男は結婚することによって女性の地位や財産を得ることができた。


そのため、自分の財産 を分与する権利を持っていながらも息子に恵まれ なかった父親が娘の結婚に介入することが当前と なり、男性である父親や夫は女性である娘や妻を 自分たちの所有物であるかのように扱い、単なる財産を運用する媒体とみなしていた。


つまり、こ の家父長制度による結婚は本人同士の愛情という ものが必要なく、男性の地位や名誉を守るための ものでしかなかったということです。


ジュリエットの父はパリス伯爵とジュリエットを無理矢理結婚させようとします。


それを拒否したジュリエットは家を出てロレンス神父のもとへ向かいます。


ジュリエットは薬を使って 仮死状態になることでなんとかしてロミオと結ばれ ようとしたがロミオは毒薬で自殺してしまってお り、彼女もそれを見て短剣で自らを刺し、二人とも が死ぬことで破局となった。


まさに彼女こそが「悲 劇のヒロイン」ジュリエットです。


家父長制度によって結婚相手を決められた ジュリエットは、父親の言いつけに背き、自分が本 当に愛するロミオと結婚しようと行動する。


それは 当時の思想、風潮に反する行為です。


社会の思想、風潮に反しても恋する人と結ばれてたい。


この ジュリエットの姿こそ恋愛ドラマの中でも究極の愛です。


ジュリエット


「パリスと結婚するくらいなら、あ の向うのお城の胸壁から跳んでみよとでも、追剝 の出る道を行けとでも、さては蛇のすむ叢に隠れ ていよとでも、仰ってご覧なさいませ。みんな、 今までなら、聞くまででも震え上がったことです けれど、でも、今は決して怖いとも、不安だとも 思いません、ただ、あのロミオ様の妻として、操を立て通すことができますなら。」


二人の愛が反対されればされるほど燃え上がる愛の炎。


障害を乗り越えてこそ、二人の愛は完結するのです。


「ロミオとジュリエット」こそが最高の愛。


だからこそ時代を超えて「ロミオとジュリエット」とは舞台で演じられ、映画となってきました。


隼也とつばきよ「ロミオとジュリエット」になれ‼︎


昭和初期の家父長制度の日本。


父親に結婚を決められるつばき、隼也とつばき二人の愛はどうなるのでしょうか?


愛の脚本家、吉田智子はNHK連続ドラマ「わろてんか」で「隼也とつばき」若い二人の最高の愛のかたちを描けるのでしょうか?


吉田智子


「ロミオとジュリエット」に代表されるような、周囲に反対される恋であり、2人の行く末をハラハラドキドキ見ていただけると思います。


隼也とつばきよ「ロミオとジュリエット」になれ‼︎


今日からの朝ドラに目が離せません。

5


NHK連続ドラマ「わろてんか」 今週のタイトルは「ちっちゃな恋の物語」です。


ちっちゃな恋か?


小さな恋か。


小さな恋と言えばいつも直ぐ思い出すが昔し観た映画、小さな恋のメロディです。


結構昔しの映画です。




1971年公開の映画の正式題名はMelody 。


アメリカでの公開は英国公開に先立つが、ヒットにはならなかった。


イギリスでは散々叩かれました。


『小さな恋のメロディ』と題された日本での大ヒットした映画です。


なんで日本でヒットしたのか?


うむ?


恋ってなんだってストレートに表現した映画だったからなんじゃないかな。


これは恋愛感情なの?


それとも友達として好きなだけ?


小さな二人が真っ直ぐ恋に向かう姿が感動を呼んだんですよね。


簡単にストーリーを語りますね。


小さな恋のメロディ


典型的なロンドンの中流家庭に生まれたダニエルと貧しい生まれのトムは大のなかよしの11歳。


ダニエルはメロディと言う素敵な女の子が学校でバレーダンスの練習をしているのをふとのぞき見する事になります。


その彼女にダニエルは一目ぼれ何とか打ち明けようとしますが、中々言い出せない。


でも、そんな仕草にメロディも彼の思いを感じ取り、やがて二人は幼い純な恋に陥って行きます。


仲良しだったトムは親友がとられ、裏切られたようなそんな嫉妬心からダニエルと殴り合いのけんかをしてしまったりします。


恋人となった純粋な二人は学校をさぼって海に遊びにでかけ、先生から大目玉、クラスメート嘲笑されてしまいます。そん中、二人は結婚しようと思いつきます。


当然周りの大人達は猛反対で取り合わない中、喧嘩したトムを含め、クラスの皆が

彼らを理解するようになり二人を手助けして行きます。


ある日、クラスはもぬけのから、廃墟場でトムを神父にしてひそやかに子供たちだけの

結構式がとり行われます。


しかし、大人たちにばれてしまい、やっきになってやめさせようとして子供たちもてんでんばらんばら、そんな中発明好きの少年が作った爆弾で大人も大慌て尻尾まいて退散して行く中、トムが二人を大人達から振り切って逃げさせるためにトロッコにのせ助けてくれます。


二人はそのトロッコにのって遥かかなたの草原をただただつき進んで行くのです・・・・


若葉のころ by ビージーズ


最後に二人がトロッコにのって去って行くシーン印象的でしたね。


いつまでも忘れない映画です。


また、この映画の音楽も素敵でした。


若い二人にピッタリの曲でした。


今聞いても映画の映像が浮かんできます。


Melody Fair


若葉のころ


Who is the girl with the crying face 

looking at millions of signs?

She knows that life is a running race,

Her face shouldnt show any line.


周りを気にしすぎて泣いているあの子は誰?

人生は大変だと思っているんだね

泣きべそ顔は似合わないよ


Melody fair won't you comb your hair?

you can be beautiful too.

Melody fair , remember you're only a woman .

Melody fair, remember you're only a girl. 

ah...


素敵なメロディ 髪をとかしてごらん?

ほら、とってもかわいいだろ

可愛いメロディ 君は一人前の女の人なんだ

すてきなメロディ そう君は女の子なんだよ


Who is the girl at the window pane, 

watching the rain falling down?

Melody, life isnt like the rain ; 

its just like a merry go round.


窓際で雨が降いるのを見ている子は誰?

メロディ 人生はそんな寂しいもんじゃないよ

もっと楽しいことなんだ


Melody fair wont you comb your hair? 

you can be beautiful too.

Melody fair, remember youre only a woman.

Melody fair, remember youre only a girl. ah...


きれいなメロディ 髪をとかしてごらん?

とってもかわいいだろ

可愛いメロディ 君は立派な女の人さ

すてきなメロディ そう女の子なんだよ


Who is the girl with the crying face,

looking at millions of signs?

She knows that life is a running race.

Her face shouldnt show any lines.


他人の態度を気にして泣いているあの子は誰?

人生を辛いって思っているね

そんな泣き顔するんじゃないよ


Melody fair wont you comb your hair? 

you can be beautiful too.

Melody fair , remember youre only a woman.

Melody fair, remember youre only a girl. 

ah ....


素敵なメロディ 髪をとかしてごらん?

とってもきれいいだろ

可愛いメロディ 君は素敵な女の人さ

すてきなメロディ 君は女の子なんだよ


Songwriters: GIBB, BARRY ALAN/GIBB, MAURICE ERNEST/GIBB, ROBIN HUGH

Melody Fair lyrics c Warner/Chappell Music, Inc.


Released in 1971

Japan Oricon Chart3

From The Album "小さな恋のメロディ サウンドトラック"


■ ちっちゃな恋の物語


NHK連続ドラマ「わろてんか」脚本家の吉田智子さんには素敵な恋の脚本を期待したいものですね。




昭和の初めから6、7年ごろまで、モダンボーイ・モダンガールが登場し、カフェー、演劇、映画、雑誌・広告、文学、そして猟奇犯罪まで、いわゆる「エロ・グロ・ナンセンス」が社会を席巻した。


つまり「エログロナンセンス」とは、


EROTIC:色情的

GROTESQUE:猟奇的

NONSENSE:非常識


このような退廃的な社会風潮を指します。



浅草オペラで人気ナンバーワンを、ダンサーとして評価の高かった沢モリノと二分したのが河合澄子だった。


1930年、「河合澄子舞踏団」を結成したときの新聞広告コピーは「超エロレヴュー」だったという。


大正から昭和初期にかけては「エロ・グロ・ナンセンス」の時代と言われる。そういう時代のシンボルの一人が河合だった。


河合が朱鷺色のタイツに短いスカートをはいて、微笑みながら舞台で踊り始めると、若い男性たちが興奮し、「河合、河合!」「フレイ澄子!フレイ澄子!」と連呼したという。


日本人は昔からアイドル好きであり、また物珍しいものが好きである。


しかも、明治時代から西洋文化を取り入れることに熱心。


■ 「マーカス・ショウ」と検閲


アメリカから「マーカス・ショウ」を招聘すれば大ヒット間違いなかった。


ただ一つ問題があった。


「マーカス・ショウ」の最大の売りは美人ダンサーのミス・ハッチャが全身に銀粉(銀色のドロ)を塗った「ブロンド・ビーナス」でした。


その当時は舞台も映画も検閲が行われていた。


検閲は「内務省警保局」である。


特に風俗に対しては


「過剰エロは毫も近代文明人の生活に混在を許さざるもので、これを社会の表面に露出することは諸悪と共に許すべきではない」


と発表していた。


女性の膝小僧が着物の裾から覗くという程度でも「エロ」であるとして検閲でダメになっていた。


当然に「マーカス・ショウ」にも検閲が入った。


3月1日から開幕で、27日に警視庁の「検閲」があった。


その様子が3月1日の新聞で記事になってます。


それによると、アメリカ美女が肉体美で踊るのをじっと見た警官は


「衣装が過激すぎる!」


「あそこは隠せ!」


「これは困る」


といろいろと指摘されたそうです。


肉体美は極力封印の方向に


 「マーカス・ショウ」側も


「アメリカでは市長も激賞したんだぞ!」


とか、抗議したんだけど、けっきょく衣装は手を入れることになったのだそうです。


同日の「東京朝日新聞」(朝刊第二面)には、三段抜きの大活字で


嘆きの肉体美/「ヘソを隠せ、乳を覆へ」/マーカス・レヴユー団の舞台衣装に/警視庁のきついお叱言


新聞に掲載され、世間を騒がせています。


美人ダンサーのミス・ハッチャが全身に銀粉(銀色のドロ)を塗った「ブロンド・ビーナス」の裸は禁止され、胸とヘソと腰は隠したました。


だが全身に塗った銀粉(銀色のドロ)のおかげで、布で隠していることが分からず、全身のラインがハッキリと分かったのです。


これには日本男子は沸き返りました。


当時の日本では安来節のすそがひらひらして赤い腰巻が見えてるだけで興奮し、短いスカートがひらひらするだけで萌えていたのですから


かくして「マーカス・ショウ」は大盛況となり毎日毎日連日のように客が押し寄せたと言います。


「エログロナンセンス」が許される社会がより平和な幸せな社会なのかも知れません。


NHK連続ドラマ「わろてんか」の主人公てんの史実のモデル吉本興業の吉本せいは実にたくさんの子どもを出産しています。


吉本せいの子ども


最後の子どもの出産が関東大震災から2カ月後のことです。


それまで16女に恵まれたが、長男を含め4人の子を亡くしています。


明治43116日、長女・喜代子が生まれたが10歳で死亡。


明治44年に次女・千代子が生まれたが10日という僅かな命だった。


大正三年1月一四日、三女の峯子が生まれる

のちに恵津子と改名。


大正四年412日四女・吉子が生まれたが翌年に死亡。


大正五年に待望の長男・泰之助が生まれたが2年で死亡。


大正九年9月三日に五女・幸子が誕生。


大正1176日に六女・邦子が誕生。


大正121026日に次男・泰典が誕生


最後の子どもは昭和18618日に「穎右(えいすけ)」と改名しています。


吉本せいの男の子は吉本穎右だけです。


ドラマに出てる北村隼也がこの吉本穎右だと思われます。


北村隼也役は今、旬の俳優、成田凌さんです。


吉本の御曹司、吉本穎右とブギの女王、笠置シズ子が恋に落ちるのです。


事実は小説より、朝ドラマよりも奇なりです。


IMG_1690


吉本の御曹司とブギの女王の悲しい恋の別れ


昭和18年(1943年)628日、早稲田大学に在学中の吉本穎右は、大阪の実家・吉本家に帰る途中に、名古屋に立ち寄り、名古屋の御園座を訪れていた。


吉本穎右は年齢は21歳。


名古屋の御園座の楽屋で、9歳上のジャズ歌手・笠置シヅ子と出会い、お互いに一目惚れする。


笠置シヅ子は年齢は30歳。


笠置シヅ子は「スイングの女王」として人気を博していたが、戦争の影響で「敵性歌手」と呼ばれてしまい、戦地慰問興行には参加出来ず、国内の軍事工場などを慰問していた時期だった。


笠置シヅ子は、名古屋の太陽館に出演するために名古屋を訪れており、御園座で知り合いの辰巳柳太郎が公演していたので、辰巳柳太郎の楽屋へ挨拶に来ていた。


2人は何も言葉は交わさなかったが、吉本穎右は、その後、太陽館の笠置シヅ子の楽屋を訪れて挨拶をした。


吉本穎右が明日、大阪の実家・吉本家に帰る事を教えると、笠置シヅ子も明日、名古屋を発って神戸の相生座に出演する事になっていたので、笠置シヅ子の方から「一緒に乗りましょうか」と誘った。


翌日、2人は同じ汽車に乗った。吉本穎右の目的地は大阪だったが、神戸まで行き、笠置シヅ子を降ろしてから、大阪へと戻った。


出会った翌年の昭和19年吉本穎右は結核を患ったが、笠置シヅ子と結ばれ、結婚を誓い合った。


昭和205月の東京大空襲で、2人とも自宅を焼失したため、2人は吉本穎右の叔父で吉本興業の東京支社長・林弘高の紹介で、林家の隣家を借りて同棲を始めた。


戦況は悪化の一途をだ取っており、苦しい時期であったが、2人は幸せな時間を過ごした。


815日に玉音放送が流れ、日本は敗戦を迎えた。


戦後、芸能界の復興は早く、も11月に東京・有楽町の日本劇場で戦後第1回公演「ハイライト」に出演して、戦後の活動を開始した。


吉本穎右も早稲田大学を中退して、昭和21年から吉本興業東京支社で働く事になったので、笠置シヅ子は1月に林家の隣家を出て同棲を解消した。


笠置シヅ子が信頼していたプロデューサー山内義富が吉本興業に入社していたので、吉本興業の東京支社で働き始めた吉本穎右は、山内義富を笠置シヅ子のマネージャーに付けた。


その後も2人は仕事の合間を縫って交際を続けており、10月に笠置シヅ子は妊娠に気付いた。


このようななか、吉本穎右は結核が悪化したため、笠置シヅ子を東京に残して、昭和221月に甲子園にある吉本邸へと戻って療養した。


結婚して芸能界から引退する笠置シヅ子は、昭和22119日の主演舞台「ジャズカルメン」を最後に引退して、出産のため、東京・目黒の桜井病院に入院した。


吉本興業を一代で築き上げた母・吉本せいは、次男の吉本穎右を溺愛しており、笠置シヅ子との結婚に反対していた。


なにせ笠置シズ子は9歳も年上だったからだ。


しかし、笠置シヅ子が妊娠してからは、2人の結婚は周囲から公認されるようになっており、猛反対していた母・吉本せいも態度を軟化させていた。


ところが、吉本穎右は治療の甲斐も無く、悪化の一途をたどり、昭和225月には憔悴し、危篤状態の一歩手前となった。


叔父・林正之助は、最後に一目でも笠置シヅ子に会わせてやろうと考え、母・吉本せいを説得し、船をチャーターして東京から妊婦の笠置シヅ子を呼び寄せようとした。


しかし、吉本穎右は、身重の笠置シヅ子を気づかって、叔父・林正之助の提案を断った。


このため、吉本穎右は、笠置シヅ子と再開する来なく、昭和22519日に死去した。享年25だった。


二人が出会ってから僅か4年たらずの短い、悲しい恋の別れだった。


笠置シズ子の自伝には


吉本穎右は「眉目秀麗な青年」「ひじょうに心のやさしい、フェミニスト」と書かれていた。


笠置シズ子は生涯独身を貫いた。


吉本穎右との間の一人娘は


「母にとって男性は父だけだったでしょう。吉本穎右ひとすじのひとでしたから」


と語っている。


シヅ子は穎右と初めて会ったときに穎右からもらった名刺を終生、肌身離さず身に付けていたという。


■ NHK連続ドラマの今後のお楽しみは?


北村隼也役は今、旬の俳優、成田凌さん史実と同じく、歌手や女優と恋に落ちるのでしょうか?


吉田智子脚本の映画といえば、「僕らがいた」「カノジョは嘘を愛しすぎている」「ホットロード」「アオハライド」。


NHK連続ドラマでも悲しい恋の物語をどんなふうに描いてくれるのか?楽しみですね。

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