NHK連続ドラマ「わろてんか」では久しぶりに漫才をやったリリコ(広瀬アリス)リリコアンド四郎( 松尾諭 )。
阿久津少佐の許可を取らない漫才を披露。
そのことの監督責任を問われた風太くんは、阿久津少佐から厳しく叱責された直後にもかかわらず、その阿久津少佐に直談判。
次々といろんな展開になりました。
今度は前線に赴く兵隊から恋人に宛てた手紙を預かったリリコは、約束通り手紙を届けに行くが、その兵隊がつい最近戦死したと聞いてショックを受けることになります。
※『わろてんか』第133話では、てん(葵わかな)が「わろてんか隊」の帰国に胸をなで下ろす
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180309-00010007-realsound-ent
全く話しはかわりますが、明治大学に「駿風」と言う広報誌があります。
■ 2014年8月1日発行の明治大学の広報誌「駿風」より
「飯塚先生留魂之碑(るこんのひ)」を御存知だろうか。和泉キャンパス西門から壁際に少し南側、学生食堂「和泉の杜」のすぐ西側にそれはある。高さ2メートルほどの石碑だが、樹木に覆われていて気がつく人はほとんどいないし、案内板も立てられていない。
そもそもこの「飯塚先生」とは何者なのかといえば、1935年から37年まで明治大学に「配属将校」として派遣されていた飯塚国五郎陸軍中佐である。
当時は大学でも学生に対する軍事教練が行われていて、飯塚はその教官だった。日中戦争が勃発して、彼は連隊長として出征、38年9月に戦死をとげた。彼を偲んで、明治大学はその年の12月にこの石碑を立てた。
石碑は、知る人ぞ知るものとしてキャンパスの片隅にひっそりと存在しているが、こうした戦争遺跡は、生田キャンパスの登戸研究所関係の遺跡のように、積極的に大学内外に紹介し、そういった歴史があったということを多くの人に知ってもらった方がいいのではないか。
歴史を直視し、それを研究と教育に生かす。それが大学というものの役割ではないかと思う。
確かに歴史を直視し、それを研究と教育に生かすのは大切なことだろう。
■ ミスワカナ と飯塚部隊長
この明治大学広報誌「駿風」の飯塚先生がNHK連続ドラマ「わろてんか」で登場した阿久津少佐( 八十田勇一 )のモデル飯塚隊長こと飯塚国五郎です。
1938年2月10日、ミスワカナ・石田一松等は、上海で飯塚国五郎大佐(連隊長)の歩兵第101連隊を慰問してます。
飯塚は寒さに震えるワカナに自分の着ているチョッキを与えました。
朝ドラ「わろてんか」では、阿久津少佐とミスリリコ(広瀬アリス)が対立しますが、実話では、非常に寒かったようで、ミスワカナ がストーブに当たっていると、飯塚国五郎大佐はミスワカナに労いの言葉をかけ、チョッキをプレゼントしています。
ミスワカナそのお礼にお酌をしたといいます。
その後、飯塚国五郎大佐が率いる歩兵第101連隊は、武漢攻略戦に加わるのだが、昭和13年9月3日の盧山戦で、胸に銃弾2発を受けて戦死しました。
飯塚国五郎大佐の戦死は直ぐに国内にも伝わりました。
ミスワカナは、「わらわし隊」の帰国報告会(ラジオ)の出演直前に飯塚国五郎大佐が死んだという知らせを受け、その日のラジオで、飯塚国五郎大佐との思い出を漫才にした「部隊長とワカナ」というネタを披露し、大勢の涙を誘いました。
飯塚国五郎大佐の死は、雑誌や新聞で追悼記事になって大きな反響を呼び、歌「あ蕊飯塚部隊長」や映画「われらが教官」が制作されたほどで、ミスワカナの泣かせる漫才も大きな反響を呼んでおり、ミスワカナは泣かせる漫才で一流スターの仲間入りを果たします。
■ 「ああ飯塚部隊長」歌詞
作詞 明本京静
作曲 明本京静
ああ思い出は去年の秋
雨降り続く江南に
加納部隊の後受けて
涙の渇く暇もなく
敵を一気に撃滅す
斃れて今は亡き友に
大場鎮の戦陣は
加納部隊が一番乗りと
花も実もあるますらおの
あの声誰か忘るべき
剛勇無双の隊長は
いつも陣頭真っ先に
俺に続けと素っ裸
軍刀さっと振り上げて
行けば刃向う敵もなし
続く部隊の勇士達
皆隊長の為ならば
例え骨身を削るとも
死なば部隊の旗の下
勇者の名を汚すなと
ああ江南に南京に
鬼飯塚の名も高き
猛将遂に花と散る
鄱陽湖畔秋近き
九月三日の午後一時
■ 人生はおもろないといかん
NHK連続ドラマ「わろてんか」のドラマシーンはこの飯塚部隊長のエピソードを基に描かれています。
それにしても広瀬アリス演じるリリコのモデルミスワカナ は戦争中にいろんな体験をしています。
いろんな悲しみも苦しみも「笑い」にかえて生きるミスワカナ。
ミスワカナ
「人生はおもろないといかん?」
リリコ ( 広瀬アリス )
「いいえ、そんなことありますわ」
少し歴史の直視の時間になりましたか?
日本の戦争の資料は沢山残っていると思ったのですが、意外に少くない。
アメリカ占領後に多くの資料が破棄されたのでしょうか。