NHKの連続テレビ小説「わろてんか」は第24週「見果てぬ夢」を放送。
北村笑店に映画部が発足し、伊能(高橋一生さん)が顧問に就任する。
てん(葵さん)たちは早速、恋愛映画を作ろうと意気込むが、検閲は日々厳しさを増すばかり。
そこでてんは、検閲をかいくぐるための秘策を思いつく……。
※<明日のわろてんか>3月14日 第136回 てんにひらめき? 検閲かいくぐる秘策とは…
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180312-00000035-mantan-ent
NHK連続ドラマでは戦時に入っていますが、現代の平和な時代では空気感が伝わり難いですよね。
マーカス・ショウが日本に来た前年の昭和8年にはこんな事件がありました。
■「ゴー・ストップ事件」
1933年( 昭和8年 )6月17日。
大阪・天神橋六丁目(天六)の交差点で小さな騒動が起きた。
陸軍第四師団所属の軍人が赤信号を無視して、道路を横断しようとしたところ、これを見た派出所の警官が注意。
軍人はそのまま車道を突っ切ろうとしたため、押し問答となった。
警官は軍人の襟首をつかみ、交差点脇の天六派出所に連行。
激しい口論となり、殴り合いへと発展した。
ゴー・ストップとは信号のこと。
当時はまだ信号機自体が珍しく、大阪では混雑の激しい交差点に導入されたばかりだった。
野次(やじ)馬の一人が軍側の大阪憲兵隊に通報したことから、事態は思わぬ方向へと進んで行く。
連絡を受けた憲兵隊員が駆けつけると、軍人が唇から血を出していた。
憲兵隊員は派出所から軍人を引き取って戻ると、上司に報告。
同日中に大阪憲兵隊から大阪府警に抗議の電話が入った。
騒動は翌日の新聞各紙で取り上げられた。すると軍側が過剰反応し、厳しい警察批判を展開する。
この騒動は、軍服を着用した現役軍人に対する警官の不法暴行事件だと憤り、「皇軍の威信に関する重大問題」との認識を示したのだ。
警察側も黙ってはいない。
警察部長は「軍隊が陛下の軍隊なら警察官も陛下の警察官である」と応答。
いかに軍人であろうとも、私人の資格で通行しているときは交通信号を守るべきで、警官の注意は妥当との見解を示した。
これに寺内寿一第四師団長は激怒。
「警察は軍をなめている」として、徹底抗戦の姿勢をとった。
そして軍側が示したのが「外出兵士もまた統帥権内にある」との見解だった。
軍人は一般市民とは異なる。
軍人は軍服を着用している以上、その身体は天皇に捧(ささ)げられており、軍人の名誉を傷つけるような処置は、いかに警察といえども「越権の行為」である。
要するに、多少の問題があっても、警察は統帥権内にある軍人に手出しをするなと言うのである。
争いは泥沼化。
荒木貞夫陸軍大臣が介入するが、和解は決裂した。
そして、遂(つい)に死者が出る。
天六派出所を管轄する曽根崎警察の署長が、心労で死去。
さらに、目撃者の一般人が憲兵隊と警察の双方から尋問を受け、ノイローゼとなって自殺した。
ここで登場したのが昭和天皇だ。
荒木陸相に「大阪のゴー・ストップ事件はどうなっている」と尋ねると、恐懼(きょうく)した陸相は早急な解決を指示した。
結果、警察側が軍部に屈する形で決着がなされた。
最終的に軍部が警察に勝利をおさめたのである。
ただし、その和解内容は公表されず、現在に至るまで不明のままである。
著者は、事件発端の「ばかばかしさ」と、結末の「深刻さ」の落差に、ファシズムの本質を見る。
「昭和八年というのは、もはや後戻りできなくなった年で、その分水嶺(ぶんすいれい)となったのがゴー・ストップ事件といっていい。」
この事件をきっかけとして、公務外の「統帥権」が確立し、暴走に拍車がかかったからだ。
■ てんと伊能栞の苦悩
信号を無視したのだから軍人が悪いのはあたりまえなのだが、最後は警察が謝ると言う前代未聞の話です。
この事件か以後、軍部の意見が全てになってしまった。
誰も軍部に逆らうものはいません。
戦争に反対すると、非国民と言われます。
また、ろう獄にぶち込まれます。
これでは自由な意見など言えるはずもなく、もはや日本には自由な社会は存在し得なくなっていた。
そんな社会に於いて「わろてんか」朝ドラの主人公てんと伊能栞はどうすれば庶民に「笑い」や娯楽を届けることができるのかを模索します。
てんと伊能栞の苦悩はいかばかりのものだったのか?
平和な時代に戦争の時代のことは理解できない。
人はその時代にいなければその時代のことはわからないのでしょうね。