昭和9年は吉本興業にとっていろんな出来事があった年でもありました。
吉本興業のヒストリーより
■ 昭和9年の吉本興業
2月11日 吉本せいが各所への寄付の功績などで、大阪府から表彰される。
3月 アメリカよりボードビルショー『マーカス・ショウ』を招聘し、東京・日本劇場(日劇)で上演。
“ショウ”という言葉が一般に浸透する。
4月25日 東京・新橋演舞場で3日間の『特選漫才大会』を初開催。
6月10日 「南地花月」からラジオJOBK(現NHK大阪放送局)による寄席中継が行われる。
10月 吉本初の製作にして日活と提携の浪曲入りトーキー映画『佐渡情話』が封切られ、大ヒットとなる 。
東京・浅草の「万成座」でグランデッカール(後の「吉本ショウ」)が初公演 日本初のプロ球団「大日本東京野球倶楽部(のちの読売ジャイアンツ)」が誕生、資本参加。
と吉本興業にとっては昭和9年はまさに最高の年。
吉本興業は漫才とラジオのコラボにより吉本興業部の名は日本全国に轟くようになりました。
吉本興業の頂点に立つ吉本せいは「女今太閤」「女版小林一三」と言われるほどです。
小林一三は当時の有力実業家。
NHK連続ドラマ『わろてんか』の中で、高橋一生演じる伊能栞の史実モデルとされている人物です。
「わろてんか」の朝ドラで言うと伊能栞( 高橋一生 )とてん( 葵わかな )がビジネスにて肩を並べたと世間が認めたと言うことになります。
吉本せいは1928年(昭和3年)には、慈善事業の功績も認められ「紺授褒章」を受け、さらに1934年(昭和9年)には大阪府から功績を称えて表彰されています。
まさに吉本せいは最高の名声と名誉を受けたのです。
■ 吉本せいと脱税汚職事件
しかし「女今太閤」と称された吉本せいは、皮肉にも晩年の黄昏まで豊臣秀吉と同じような寂しさがあり、ある事件が降りかかります。
それは1935年(昭和10年)のことでした。
辻阪信次郎という政治家が、脱税汚職事件で逮捕されてしまったのです。
大阪府議会議長までとつとめ、実業家としても政治家としても成功していた辻阪信次郎は、吉本せいとただならぬ仲であると囁かれておりました。
吉本せいは彼の政治活動に多額の寄付をしていました。
吉本せいが大阪府から表彰されたのも、辻阪信次郎の根回しがあったという噂も。
そうなると火の粉は吉本せいにもふりかかります。
脱税工作に関わったとして、当局に出頭を命じられるのです。
「女今太閤」の凋落に、マスコミは飛びつきました。
大勢の逮捕者が出たこの事件でも、吉本せいの注目度は桁違いだったのです。
しかし事件は意外な形で終わりを迎えます。
1936年(昭和11年)1月、辻阪信次郎が獄中で首を吊ったのです。
最大の容疑者がいなくなり、もはや捜査は継続できません。
辻阪信次郎はせいに関しては一切黙秘を貫いていたらしく、まさに命がけで彼女を守ったのでした。
■ 吉本せいと辻阪信次郎
辻阪信次郎もまたNHK連続ドラマ「わろてんか」で伊能栞のモデルではないかと言われています。
NHK連続ドラマ「わろてんか」で登場する伊能栞( 高橋一生 )は映画会社を設立し大実業家です。
この点では小林一三がモデルのようなのですが、小林一三と吉本せいには実際の接点はほとんど見受けられません。
辻阪信治郎は吉本せいの協力者として吉本興業の会社にも入り吉本せいのバックアップに尽力をしていました。
ドラマの脚本家吉田智子は小林一三と辻阪信次郎の二人をモチーフにしながら伊能栞の人物をドラマの中で描いています。
■ 再び高橋一生ロスが訪れる。
仮にドラマで辻阪信次郎をモチーフにして、この通りの死に方をすると、『おんな城主直虎』で高橋さんが演じた小野政次とよく似た最期を迎えることになります。
脚本家、吉田智子は今までにドラマ『学校のカイダン』(日本テレビ)『美女か野獣』(フジテレビ)、映画『僕等がいた』『カノジョは嘘を愛しすぎてる』『ホットロード』の脚本を書いて世に出しています。
これらの作品に共通しているのは、「泣ける」作品だということ。コメディやアクションではなく、「泣かせる人間ドラマ」の脚本が目立っています。
NHK連続ドラマ「わろてんか」についても
吉田智子
「ドラマ中の日常シーンは小さな笑いに満ちています。どんなに悲しい出来事が起きたとしてもそれを乗り越えられるくらい、私たちの人生には小さくてもかけがえのない『面白い』ことがあふれているのだと気づくことができる、そんな泣けて笑える“朝ドラ”をお届けします!」
そんな脚本家、吉田智子が描くドラマだからこそ最後は高橋一生演じる伊能栞が亡くなるシーンで悲しみを誘う場面が登場するのかと思われます。
再び高橋一生ロスが‼︎
吉田智子脚本のNHK連続ドラマ「わろてんか」今後の展開に期待です。