C12形は昭和初期の不況時に簡易線用として経済性を求めて製造されたSLです。
大変便利に使えた機関車で、15年間で293 両が製造されました。
宇和島駅前のC12 259も293 両の中の1両になります。
蒸気機関車の1両、1 両が詳細に残っています。
データーを作られた方のただ、ただそのご努力に感嘆するばかりです。
蒸気機関車のデーターベースによると
宇和島和霊公園前のC12 259は
1940-09-16/月
日立製作所笠戸NO.1286 新製 配属 大阪局 配置 福知山区東舞鶴駐泊所 入換専用機 製造原価 57,991円 62 銭
1941-02-17/月
借入 宇和島区 返却せず(本区は1914/10/18付けの宇和島鉄道宇和島 -近永間開業に併せて宇和島庫として開設したが簡易軌道の軽便鉄道であり、1933/8 の国有化による官設鉄道に移管継承後も緊急度がないことから放置され、 1941/7/2付けの宇和島-卯之町・北宇和島 -務田間の新線開業時にようやく改軌を実施した 本機はこの新線建設改軌工事にも使用したと思われる)
1941-03-13/木
福知山区東舞鶴駐泊所→宇和島区 軽便鉄道を改軌した予讃線南部で使用 当初陸の孤島だった(卯之町 -八幡浜未通)区間のため、日立製作所笠戸から海路運搬し吉田港に特設線路を敷いて宇和島区に搬入
1945-06
宇和島の予科練への軍事物資輸送を主眼にした予讃線全通の結果、同線での運用を松山区の8620形に譲り、宇和島区の C12は宇和島線(現在の予土線)・内子線専用となる
1968-12-11/水
廃車(宇和島区) 走行距離 932,986.5km その後 同区機関庫にて留置
1969-10-26/日
和霊公園にて再組立完成記念式(いったん宇和島構内で動輪・台枠・ボイラーキャブ・水槽に解体後、300mの道のりを 5時間かけて移動した)
1969-11-03/月
和霊公園にて保存公開開始
となっています。
宇和島は1945年の予讃線開通までは松山まで開通しておらず、ほとんどの交通機関は海路だけであった事実を知ると昔と今の違いに唖然とする思いになります。