★昭和41年 (.1966年 ) 暮しの手帖87号「火事をテストする」という記事を発表した。

実際の一戸建ての家を実験場にして、いろいろな火災を起こして、どんなふうに燃えてゆくのか、どう消したらいいのかの実験をしました。
たとえば、火の入ったフライパンを床に落としたら、どのように火は燃え広がってゆくのか、それを消火するにはどうしたらいいのかと言うテスト
他にもいろんなケースを行ったが、その中の一つに、石油ストーブが、倒れた時に、板の間の場合、タタミの場合、じゅうたんの場合などの燃え方を調べました。
石油ストーブが火になるというのは、つまり灯油が燃えるのです。
その結果、板の間の場合、油が燃え広がって一番危なく、タタミやじゅうたんの床は、油を吸い込むので、燃え広がらないことが分かりました。
つまり板の間に石油ストーブを置くのなら、下にじゅうたんを敷きなさいという結論が出ました。
同時に、石油ストーブから火が出た場合は、油に水は禁物という常識とは違って、水をざあっとかければ確実に消えることが分かった、と発表しました。
折から世の中では、石油ストーブがブームになって、毎年10%近く普及率が上がり、この年には63%もの家庭で、暖房用に石油ストーブが使われるようになっていた。
それにつれて、石油ストーブによる火災も増大していました。
★ 昭和42年(1967年)2月発行の93号

「もし石油ストーブから火がでたとき、どうしたらよいか」に限って、再び60回もテストを繰り返し行ないました。

万一石油ストーブが倒れたら「とにかく引き起こすこと、どうしても引きおこせないと見たら、すぐバケツ一杯の水をかけること」と発表した。60回の実験で、100%水で消火できたと言う結果になりました。

これに対し、東京消防庁は「まず毛布をかぶせて炎をおさえる。そのあと水をかける」と指導していたのです。
東京消防庁は暮しの手帖の結論に「素人が何を言うか、ケシカラン」と怒り出したのです。
★ 朝日新聞 昭和43年2月7日
「燃えさかる『水かけ論争』石油ストーブから火が出たら まずバケツか毛布か、実験派暮しの手帖対経験派東京消防庁」
という大きな記事になったのです。
他のマスコミ各社もいっせいに『水かけ論争』として取り上げた。
その結果、自治省消防庁が公開実験を行うことになりました。
公開実験は2月21日22日に行われ、2月29日に結果が発表されたのです。
新聞は「効果あるバケツ 石油ストーブ『水かけ論争』軍配は『暮しの手帖』優勢」と報道した。
★ 昭和43年2月29日夕方のNHKニュース
「 水をかける方が効果があることが、消防庁の実験で分かりました。
これは石油ストーブが倒れて火が出た場合、バケツに一、二杯の水をかければ消すことが出来るという雑誌暮しの手帖社と水より毛布をかぶせる方が先という消防関係者の間で意見が分かれたため、消防庁が今月の21日と22日の2日間、東京三鷹の消防研究所で公開実験をして、今日その結果を公表したものです。
実験は、火のついた石油ストーブを29回倒して水と毛布とどちらが消火に効果を上げるかをしらべ、これとともにモデルハウスの床を畳ばりにした場合とリノリウムばりにした場合とでは、消火にどのくらいの違いがあるかについてもしらべました。
その結果、まず水による場合は、炎が1m30cmの高さになるまでにバケツ一杯の水を石油ストーブの芯をめがけて一挙にかければ充分に消える。
しかし毛布の場合には、炎の高さが1mを越え、広がりは直径60cm以上になると、火の勢いを抑えることが出来ても、完全に消し止めることは難しく、石油ストーブが倒れて火が出た時には、まず水をかけることが消火の上で効き目があることがわかりました。
また床の材質をみますと、タタミではストーブから漏れた油がタタミに染み込みなかなか広がらず、石油ストーブの置き場所はリノリウムよりタタミの部屋のほうが安全であることが確かめられました。
消防庁では、この実験の結果によって石油ストーブのそばには必ず、水を満たしたバケツを置く、石油ストーブはせきるだけ畳の上に置く、リノリウムや板張りの部屋で使う場合必ずじゅうたんを敷くようにすることなどを一般に呼びかけることになりました。」
「この実験の結果によって石油ストーブのそばには必ず、水を満たしたバケツを置く」というこの消防庁の結論のニュースを、花森さんをはじめ編集部みんなで聞いていました。
『暮らしの手帖』の大勝利です。『暮らしの手帖』の編集部はニュースを聞いたとたん、『暮らしの手帖』の勝利に湧き上がりました。
昭和43年2月29日ちょうど閏年の出来ごとでした。
花森安治
「 人生というものは捨てたもんじゃない、ちゃんとやっていれば、いつかそれは報いられる。
こんな幸福なことはない。
そういう意味で、ぼくとしても今日は非常に記念すべきで、4年に1回しか来ないのが幸いだよ。
ぼくは4年ごとに、この日はどんなに忙しくても、この日は盛大に祝うと同時に、そしてやはりちゃんとしたことをしようと、反省する日にしたいな。」