ケイのblog

愛媛県の宇和島出身。現在は横浜市で会社勤務。NHK連続ドラマ『エール』裕一(窪田正孝)音(二階堂ふみ)の主人公とその他ドラマ登場人物をモデル、古関裕而と妻金子の史実と時代背景を比較しながら、このブログでもっとドラマが楽しく見られたらいいなと思っています。

NHK朝の連続ドラマ『エール』■音の母、光子(薬師丸ひろ子)の台詞「二人が接吻しているのを見ちゃったの。汽車はもう走りだした。止まりません。…頭はダメって言ってるけど、心はいいって言ってるの。だから私は認める」こんな無茶苦茶な台詞。テレビドラマで観たことはありません。明かにテレビ劇場芝居■面白いです。私が勝手気ままに書いているブログです。でひ読んでみてください。

カテゴリ:あさが来た > 広岡亀子

『あさが来た』NHK連続ドラマ、あさの娘千代の東柳啓介への恋愛や結婚と千代のいろんな感情が入り乱れています。明治時代の結婚感とはどんなものだったのでしょうか。





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小栗風葉の小説『青春』。3巻。明治38年(1905年)3月~明治39年(1906年)10月に読売新聞で明治時代の結婚観を知ることが出来ます。


                 
『青春』


文科大学生関欽哉は、豊橋の養家に許嫁お房を残したまま、東京の成女大学小野繁と恋愛、妊娠させ、堕胎罪で投獄もされるが、遂に結婚しなかった。


欽哉は繁に恋愛哲学を熱く語ったが、結婚否定論も説いた。その概要はー一旦結婚した以上、夫婦の間に愛がなくなろうとも生涯添い遂げねばならないというのは不自然な話で、「結婚は恋愛の堕落ばかりぢゃ無い、人間其者の堕落」だーというものであった。夫婦は必ずどちらかを犠牲にし、人格や才能を亡ぼすもの、永遠の恋人関係が理想だと言った。


一方、繁は当初二人の姉の結婚生活を見て、結婚に意義が見出せず、独身主義を唱えていたが、大学の舎監二宮先生に独身主義を批判され、心底に結婚願望を胚胎させた。先生はー「独身生活の最も痛切なる不幸の感」として、第一に「孤独の寂しさ」、第二に「生活の困難」、第三に「老後の心細さ」を挙げー結婚必要論を説いた。「老嬢」(オールドミス)と冷笑される立場にあった先生の、極めて現実的な結婚論であった。


ところで、欽哉と繁共通の友人香浦園枝の場合はどうであったか。父や兄の強制で「自分の意志でも無い形式的の結婚」をし、「愛の無い結婚」に煩悶した園枝だが、子爵兼法学士北小路安比古との間に子をなし、今では兄の受け売りである「自由の服従」に甘んじる良妻賢母になっていた。そして、繁に向かって言う。


 
「それは家庭の主婦なんてものは、何うしても自由を束縛され勝で窮屈なものには違 無  いけれど、でも又、自分の責任や義務を感じて見ると、家庭の為めに殉じやうと 云ふ  氣も發つて、其の不自由な中に弥張慰藉も有るわ!えゝ、希望だつて有るわ!」


おそらく、これが自由と自我に目覚めた知識階級の女たちの、結婚に対する最終的な意味づけであったろう。しかし、この「家庭の為に自己を殺す」という思想は、女の自立を阻み、容易に国家主義の下支えに転化する性質のものであった。



また、欽哉の許嫁お房は、欽哉との結婚の夢を断たれ、財産目当てに婿入りを企んだ佐藤との婚礼の晩、入水自殺を遂げた。「家」制度の犠牲者の典型といってもよかろう。


こうしてみると、結婚には挫折したが、満州で教師となり、「独身」で生きようと決意した繁が、一番自立する女、来るべき「新しい女」に近づいていたように思われる。


明治時代の女性は親の決めた相手と20歳までに結婚させられるのが一般的でした。

小説にも見られるように明治の女性達の中にも自立する「新しい女」を目指す女性が明治には出始めています。

『青春』の中でオールドミスという言葉が出てきます。現在では死後になっているかと思います。

「オールドミス」という言葉はこの時代の教養があり結婚という人生を選択しない女性のことで、これも明治時代のできた言葉です。

女性達にとっては明治時代は、まだまだ自由に生きるには大変な時代だったようです。



「あさが来た」NHK連続ドラマ、京都へ戻っていた千代が、同室の田村宜を連れて大阪へ帰ってきました。千代に連れられて、あさの病室を訪ねた宜は、緊張しながら挨拶しますまして…







「 僕は田村宜と申します。ああ、こうしてまたお元気な白岡先生とお会いできるとは!我、まさに僥倖なり!」と、男子のごとく話ます。



明治時代の女学生はどうも男言葉を使うボク女子が多かったようです。



古くは明治8年(1875)年の読売新聞に、女学生同士の会話として以下のように書かれています。


「おちやさん、僕の北堂がね、先日『お前はもう他へ嫁さないと時が遅れるから人に依頼しておいた』と申しましたが、いやなこと。」


「本当にそうですよ。曖昧とした亭主なんぞを持つのは不見識ですよ、君。きっと北堂に断りたまえ」



女学生言葉に対する批判の論説が明治8年7月23日読売新聞に掲載されます。


「皆さんどうも私には解らないことがあるから聞いて下さい。この頃、学校へ行く女子と見えて毎日、私の門前を通ります。その話しを聞きますと、君だとか僕だとか申します。一体君とか言うのはいいが、僕と言うのは男が身を卑下して言う言葉であると思います。女は妾( しょう ) とか婢 ( ひ ) とか申したらどうでこざいましょう。それとも学校の規則でもあるのでしょうか。」


この論説は男性が書いたもの、男尊女卑の考えが、色濃く出ています。









それから10年後の明治18年(1885)の「女学雑誌」には、やはり男性のような言葉づかいをする女学生が登場しています。


「澤山君、そんなに知らぬ風をしたもうな。例の才子はもう卒業したじゃあありませんか」


「よしたまえ」


「おお、ちょっと待ちたまえ。例の梅香先生がこっちへ来るよ。あの先生が来ると実に窮屈でなりませんよ」


「なぜそんなに恐れたもう。誰も入校の初めはあんなものさ。僕ら、いや妾(しょあう)らはこれを導きて当世風にするする義務がありますぜ」



明治20年代、「女学雑誌」は女学生のほとんどが読むようになっています。雑誌の中でのボク女子が急速に広がっていきました。








そして、現代へとボク女子の流れは延々と繋がっていきました。



俗に 「男装の麗人」 などと云いますが、女性が男性の衣服を身に着けたり、男性の髪型や立ち居振る舞いをしたり、男口調でしゃべるのを 「かっこいい」 とする空気は、洋の東西を問わず、また昔も今も根強く存在するようです。 「俺っ娘」 もそうですが、「男勝り」「生意気」 を可愛いと感じる男性は多いですし、また 「男っぽい女性」 を好む女性も一定の割合でいつの時代にも存在するようです。



「あさが来た」NHK連続ドラマ、あさは萬屋にお腹を刺されましたが、奇跡的に助かりました。






あれだけ、母に敵対していた娘千代も、やはり実の親子です。病気で危篤状態の母を心配する千代の気持ちは誰にも負けなかった。母を想う気持ちがひしひしと伝わってきました。



ほんとは、千代は親おもいの可愛い、良い子なんです。



千代の成長を、こちらも小さい頃から見ているせいか、あさや新次郎と同じように、我が子を見るような気持ちについついなってしまいます。



千代も小さかった子から随分大きくなりました。



そろそろ、千代も、お年頃。



もう直ぐ、結婚相手東柳啓介の登場です。









東柳啓介、演じるのはプロ野球ソフトバンクの工藤公康監督の長男で俳優の工藤阿須加さんです。




俳優の工藤阿須加さんは若手俳優だけど、素朴で素直な若者役が似合います。



最近では、「八重の桜」荒瀬はるかの弟山本三郎役、「ルーズベルトゲーム」ピッチャーの沖原和也役、「アルジャーノンに花束を」桧山康介役など、どれも印象に残っています。



なんだか、いつも素敵ないい演技をしてますよね。



工藤 阿須加




「あさが来た」あさの娘、千代役の小芝風花と東柳啓介役の工藤阿須加、二人の出会いと結ばれるまで、どんなドラマが展開されるのか非常に楽しみです。


また、千代役小芝風花、東柳啓介役工藤阿須加の演技に期待しています。




                     広岡恵三






★史実では

千代のモデルは広岡亀子、東柳啓介のモデルは広岡恵三です。


信五郎 ( 新次郎 )と浅子( あさ ) の義理の息子になった一柳恵三は ( 東柳啓介 )、東京帝国大学(現在の東京大学)卒業のエリートでした。

 
実の父親の末徳は旧播磨小野藩主で貴族院議員で子爵。

 
家柄も素晴らしかったのですが、実際に仕事ができた人で加島銀行の頭取や大同生命の2代目の社長などを歴任しています。

 
特に大同生命の社長は33年もの長期にわたって務め、浅子が設立したこの会社を発展させたのは、この恵三でした。

 
大同生命は現在も続く大きな企業ですが、その基礎を作り上げたのが2代目社長の広岡恵三だったのです。


大同生命が現在まで、続いているのは広岡恵三のお陰であったと言っても良いと思います。


★大同生命 広岡浅子を知るために

広岡恵三

1876(明治9)年
 〜1953(昭和28)年

浅子の娘・亀子の夫で、信五郎と浅子の事業継承者。一柳子爵家の次男として東京にて生まれた恵三は、東京帝国大学在学中に亀子との縁談がまとまり、1901(明治34)年に亀子と結婚、広岡家の婿養子となりました。

その後、養父・信五郎の死去をうけて加島銀行に入社し、浅子の事業を継承します。久右衛門正秋死後1909(明治42)年には加島銀行頭取、そして大同生命第2代社長に就任して辣腕を振るい、長くトップの座に君臨し続けました。

「あさが来た」NHK連続ドラマ、「あさと千代」と「はつと藍之助」の親子関係がどうもうまくいきません。







「親の心、子知らず」なのか「子どもの心、親知らず」なのか。どちらがどちらなのか。



親としては、人生の先輩として出来る限り我が子の将来を考えて、良い方法、良い進路に進ませようとしますが、うまくいきません。



我が子にいろいろと説明しますが、子供は全く聞こうとしません。親が子供の進路を変更させることは難しいみたいです。何故なんでしょうか。



人間は「人生脚本」幼少時に未来を描いた脚本に支配されているそうです。



「人生脚本」とは心理学の交流分析法で有名なアメリカの心理学者エリック・バーンが提唱した理論で「幼いころ、人は無意識のうちに自分の未来の生き方の脚本を書く」と言われています。




「そんな事あるはずない、自分の事はちゃんと自分の意志で判断して生きている」と思う方がほとんどでしょうが、信じがたいことかもしれませんがエリック・バーンによればそれはほとんど幻想であると唱えているのです。



人生脚本とは自分では気づかないうちにその方向に向かって生きようとしている生き方であり、人は幼児期に(大体7歳くらいまで)まったく無意識に自分のこれからの生き方の筋書きを作り、人生を決めていくのだと言われています。



つまり、自分の生き方の脚本は幼児期に自分で作ってしまっているのです。そして、その脚本の基盤は親から与えられたメッセージがカギを握っていることが多いのです。



なんだか皮肉な話ですよね。親が幼少時に与えたなんらかのメッセージによって子供は未来を決めて行るのに、子供の進路を親が反対しょうとする。



親がおちいりやすい落とし穴として、自分の子どもはこういうようにカッコよくと自分の理想の型にあてはめようとすることであります。



全く同じ人間だけが集まっている社会など不自然きわまりなく、ヒトのDNAは皆異なり、お子さんにはそれぞれの個性があり、個性にあった生き方をするのが最も幸福なのです。お子さんの意思を尊重する事が重要です。



NHK連続ドラマ「あさと千代」と「はつと藍之助」、千代はお嫁さんになりたいと言い。藍之助は銀行員になりたい言います。あさも、はつも子供の話を良く聞いて最終的には子供の決めた進路を認めるしかないみたいです。




「あさが来た」NHK連続ドラマであさは娘・千代の通学する高等小学校の担任先生から、学校に呼び出されます。







学校に呼び出されたあさは、担任の先生から娘・千代に関して、高等小学校を卒業後の進路について訪ねられます。



当然、あさは師範学校への進学を希望するとは思いますが、どうなることでしょう?



親にとっては子供の将来、出来る限りのことをしてやりたいと思うのが親心なんでしょうね。



★明治時代の教育



明治時代の学校は尋常小学校6年間が義務教育課程です。


小学校の学校数と児童数




尋常小学校でさえ義務教育と言いますが、現在のように100%の人が教育を受けていたわけではありません。


小学校の就学率




明治時代は小学校教育を受けることも、なかなか難しい時代だったようです。



尋常小学校卒業後の進路

★男子の場合

1.中学校→高等学校→大学
                                →専門学校
                                →高等師範学校
 
2.高等小学校→師範学校
                     →実業学校 ( 甲種 )

3.実業学校 ( 乙種 )
   実業補習学校


★女子の場合

1.高等女学校→女子高等師範学校

2.高等小学校→師範学校
                     →実業学校 ( 甲種 )

3.実業学校 ( 乙種 )
   実業補習学校


尋常小学校以降の進学コース分かりやすく書きましたが、それでも複雑ですね。



図での説明





尚、女子の場合には、ごく一部の学校を除いて、高等学校にも大学にも進学することは認められていませんでした。



以上のことを考えると、「あさが来た」のあさの娘千代はなんと幸せな家庭に生まれたのか、親に感謝しなければならないのではと私は思いますが…。



親の心、子知らず。千代はどんな反応をするんでしょうか楽しみですね。





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