『あさが来た』NHK連続ドラマ、あさの娘千代の東柳啓介への恋愛や結婚と千代のいろんな感情が入り乱れています。明治時代の結婚感とはどんなものだったのでしょうか。

小栗風葉の小説『青春』。3巻。明治38年(1905年)3月~明治39年(1906年)10月に読売新聞で明治時代の結婚観を知ることが出来ます。
『青春』
文科大学生関欽哉は、豊橋の養家に許嫁お房を残したまま、東京の成女大学小野繁と恋愛、妊娠させ、堕胎罪で投獄もされるが、遂に結婚しなかった。
欽哉は繁に恋愛哲学を熱く語ったが、結婚否定論も説いた。その概要はー一旦結婚した以上、夫婦の間に愛がなくなろうとも生涯添い遂げねばならないというのは不自然な話で、「結婚は恋愛の堕落ばかりぢゃ無い、人間其者の堕落」だーというものであった。夫婦は必ずどちらかを犠牲にし、人格や才能を亡ぼすもの、永遠の恋人関係が理想だと言った。
一方、繁は当初二人の姉の結婚生活を見て、結婚に意義が見出せず、独身主義を唱えていたが、大学の舎監二宮先生に独身主義を批判され、心底に結婚願望を胚胎させた。先生はー「独身生活の最も痛切なる不幸の感」として、第一に「孤独の寂しさ」、第二に「生活の困難」、第三に「老後の心細さ」を挙げー結婚必要論を説いた。「老嬢」(オールドミス)と冷笑される立場にあった先生の、極めて現実的な結婚論であった。
ところで、欽哉と繁共通の友人香浦園枝の場合はどうであったか。父や兄の強制で「自分の意志でも無い形式的の結婚」をし、「愛の無い結婚」に煩悶した園枝だが、子爵兼法学士北小路安比古との間に子をなし、今では兄の受け売りである「自由の服従」に甘んじる良妻賢母になっていた。そして、繁に向かって言う。
「それは家庭の主婦なんてものは、何うしても自由を束縛され勝で窮屈なものには違 無 いけれど、でも又、自分の責任や義務を感じて見ると、家庭の為めに殉じやうと 云ふ 氣も發つて、其の不自由な中に弥張慰藉も有るわ!えゝ、希望だつて有るわ!」
「それは家庭の主婦なんてものは、何うしても自由を束縛され勝で窮屈なものには違 無 いけれど、でも又、自分の責任や義務を感じて見ると、家庭の為めに殉じやうと 云ふ 氣も發つて、其の不自由な中に弥張慰藉も有るわ!えゝ、希望だつて有るわ!」
おそらく、これが自由と自我に目覚めた知識階級の女たちの、結婚に対する最終的な意味づけであったろう。しかし、この「家庭の為に自己を殺す」という思想は、女の自立を阻み、容易に国家主義の下支えに転化する性質のものであった。
また、欽哉の許嫁お房は、欽哉との結婚の夢を断たれ、財産目当てに婿入りを企んだ佐藤との婚礼の晩、入水自殺を遂げた。「家」制度の犠牲者の典型といってもよかろう。
こうしてみると、結婚には挫折したが、満州で教師となり、「独身」で生きようと決意した繁が、一番自立する女、来るべき「新しい女」に近づいていたように思われる。
明治時代の女性は親の決めた相手と20歳までに結婚させられるのが一般的でした。
小説にも見られるように明治の女性達の中にも自立する「新しい女」を目指す女性が明治には出始めています。
『青春』の中でオールドミスという言葉が出てきます。現在では死後になっているかと思います。
「オールドミス」という言葉はこの時代の教養があり結婚という人生を選択しない女性のことで、これも明治時代のできた言葉です。
女性達にとっては明治時代は、まだまだ自由に生きるには大変な時代だったようです。