「あさが来た」NHK連続ドラマを毎日のよう観ています。あさの主人公役の女優、波瑠さん目がくりっとして大きくて可愛いい。明るくて美しい波瑠さんの顔をテレビで見るだけで元気になります。

あさのモデル広岡浅子さんとあさ役の波瑠さん、顔もスタイルもかなり違います。
あさ役の波瑠さんの顔って、現代風の美人顔です。当時も波瑠さんの顔は美人と言われたのでしょうか。明治時代はどんな顔が美人って言われてたんでしょうか少し気になりました。
時代とともに女性の美の基準も変化すると言われてますから、明治の美人の基準はもしかしたら目の細長い女性が美人と言われたのかも知れません。

明治時代にも美人コンテストが開催されています。
明治40(1907)年にアメリカの新聞社であるシカゴ・トリビューン紙が「ミスワールドコンテスト」を企画したそうで、アメリカ、イギリス、カナダ、スエーデン、スペイン、日本の計六カ国から代表を募って、世界一の美女を決定するといのミス・ユニバースコンテストがそれです。
日本のミスコンテストの応募記事
『新興の日本帝国は、一事一物決して 人後に落つべからざるのみならず、場合によりては自ら進んで大いに薦むるの必要あるに当り、あたかも良し、此挑戦状は、我に与ふるに絶好の機会を出てせるものに非ずや。…遂に断然応諾の書を作り、敢て日本美人写真募集の大計画を発表せり。』(時事新報社による趣意)
なんだか「日本美人写真募集の大計画」凄いキャッチフレーズです。
これが日本初の全国ミスコンであり、事実上のミス日本を決める最初の大会でした。
総額3000円相当( 約2100万円 )の商品が贈答されるということもあって、7,000名もの応募があったそうです。

ミスコンテスト第1位に選ばれたのは末広ヒロ子さん。なんと16歳学習院女学部3年に在籍中の女性でした。

賞品はダイヤモンド。
末広ヒロ子さんの美貌は審査員の絶賛のもと一次・二次審査を通過、13人ほぼ全員の絶賛を得て堂々一位に推されたそうです。
ほんと可愛い顔です。目がくりっとして、あさ役の波瑠さんと似たような顔の美人です。
明治時代の美人の基準も、現代の美人とそんなに差はなかったようです。
このミスコンテストは写真だけの審査で、当の本人は応募したことも、第1位になったことも、主催者より連絡があるまでは全く知りませんでした。
と言うのも本人に無断で義理の兄が勝手に応募したみたいです。
この応募が末広ヒロ子さんにとって、とんでもない災難になってしまいます。
ミスコンテストで第1位の報道が新聞に掲載され、学校に知られてしまうと
「 女は虚栄心の盛んなるもの、いわんや女学部生徒のごとき上流の家庭に育ちしものにありては、本人が虚栄心に駆られて自ら応募せしならば、他の生徒等の取り締まりの上、停学もしくは論旨退学の処分をなさんと目下しきりに協議中にて、 … なおヒロ子他これに応募したる同校生徒をもそれぞれ取り調べの上、処分するはずなりと。」
「大坂毎日新聞」(明治41年3月22日)の記事より
女性は虚栄心の盛んなものとは、全く失礼な女性差別の学校発言です。また、本人に全くの責任はなく、学校の一方的な主張ですが、彼女はついに学習院を退学となってしまいます。
ほんと、学校も一言くらい本人の言い分や、義理の兄の弁明くらい聞いたらと言いたくなります。
今も昔も、ボタンの掛け違いはどこにでもあるもの、ボタンの掛け違いが人の人生を大きく変えることもあるようです。
明治の美人末広ヒロ子
「日本一の美女」の数奇な運命 ~末広ヒロ子のシンデレラストーリー