ケイのblog

愛媛県の宇和島出身。現在は横浜市で会社勤務。NHK連続ドラマ『エール』裕一(窪田正孝)音(二階堂ふみ)の主人公とその他ドラマ登場人物をモデル、古関裕而と妻金子の史実と時代背景を比較しながら、このブログでもっとドラマが楽しく見られたらいいなと思っています。

NHK朝の連続ドラマ『エール』■音の母、光子(薬師丸ひろ子)の台詞「二人が接吻しているのを見ちゃったの。汽車はもう走りだした。止まりません。…頭はダメって言ってるけど、心はいいって言ってるの。だから私は認める」こんな無茶苦茶な台詞。テレビドラマで観たことはありません。明かにテレビ劇場芝居■面白いです。私が勝手気ままに書いているブログです。でひ読んでみてください。

カテゴリ:あさが来た > 広岡浅子

「あさが来た」NHK連続ドラマの現在の年代は千代が女学校に入ってますから年代でいきますと、明治23年 (1890年 ) に入った頃の話しでしょうか…。







明治23年 (1890年 )と言えば、日本ではじめて7月に最初の総選挙が実施され国会が開催された政治の年です。



しかし、明治23年は、銀行業者にとっては恐慌がはじまった年でもありました。



NHK連続ドラマ「あさが来た」のドラマを見ても時代は近代化に向けてどんどん変わって行きました。








明治維新が起こったあと、明治11年(1880年 )後半に、日本で第一次産業革命が起こり、鉄道業と紡績業が中心の好景気が巻き起こり、企業勃興といって、株式会社の設立が流行りました。




1886年(明治19)から89年(明治22)にかけての鉄道や紡績を中心とする企業設立ラッシュのいきすぎが資金不足を引き起こし、恐慌が始まっていたのです。




関西方面の状況が切迫しており、多くの銀行が倒産しかかっていました。




なぜこういう事態が生じたのか。はしゃぎすぎた子どもが突然熱を出して、寝込んでしまったみたいなものでした。




「あさが来た」の萬谷与左衛門( ラサール石井 )さんを見ていただければ良くわかると思います。



酒臭い汚い格好で来店



「新しい商いをすることになったから、金を出せ」と横柄に要求します。



こんな方が結構多かったんでしょう。



ベンチャービジネスをすれば儲かると思っている方、または、ベンチャービジネスをすると言ってお金だけもっていく方




こんな方にお金を貸していてはお金がいくらあっても足りません。




あさ「銀行いいますのは担保があって、返済の見込みがあって、この先伸びるやろいう見通しのあるとこにお金用立てさせてもらいます。つまり、今のあんさんでは無理やいうことだす」




あさの言う通りなんですが、なかなか断ると言うことも難しいもので、この一言が萬屋のプライドをずたずたにしてしまいました。



あささん、それは正論ですが、少し言い過ぎでは、なんだか、だいじょうぶなんでしょうか?不安がよぎります。




「あさが来た」NHK連続ドラマ、今日の最後に爆弾が来た〜。








加野銀行には萬屋与左衛門がまたしても現れ、酔っ払いながら金を貸せと行員たちに絡んでいます。それを見たヘイさんが誰がこのような男を通したのだ!!!と言い。



「えんま〜し」をきちんと見ておけ!!と行員たちを叱ります。えんま〜し??と疑問そうな顔。



「えんま〜し」なんや?



あさに対して、ヘイさんは「えんま〜し」とは銀行にとって危険人物になるであろう人達の紙を似顔絵付きで書いたものであると言い、紙を見せます。







萬屋与左衛門
山屋与平
工藤徳右衛問
やせた若布の羽織の男


「えんま〜し」聞いたことがない言葉


日本語なのか?
英語なのか?
フランス語なのか?


私はなんのことやらわからず、BSで7時30分に総合で8時に、さらに12時になんと3回も同じシーンを見てしまった。(笑)


ツイッターも、この言葉に反応。


ツイッターが次々と


なんのことはない


「えんま〜し」とは「閻魔紙」のことであった。今で言うブラックリストを日本語にしただけみたいである。


でも、「閻魔紙」と言う言葉も聞いたことがない。「閻魔帳」なら聞いたことがあるが、これは「あさが来た」NHK連続ドラマの造語?








「閻魔紙」に山屋与平の名がありました。

ビックリです!!


山屋与平は新次郎の三味線仲間。山屋与平(南条好輝)は新次郎に「石炭」という新しい商いについて語ってくれた恩人ではなかったか?


一体どの様な事情があるのでしょうか??


謎が謎よぶ「あさが来た」。明日からの放送がますます楽しみです。

「あさが来た」NHK連続ドラマ、あさの働いている加野商店や加野銀行をテレビで見ていると、何だか、サラリーマンやOLの歴史を見てるような気がして来ました。









加野商店や加野銀行では会社組織もしっかりしてき、上下関係も出来、住まいや生活も会社とは独立したものとなりました。



加野屋や加野銀行の従業員が日本のサラリーマンやOLの起源と見てよいのだろうと思います。








サラリーマンやOLの方は、そろそろ次の給料日が気になる人も増えてきたかとも思います。



サラリーマンやOLは給料だけが楽しみなんですから。( 失礼 ) 



その意味では、月給鳥なんです。


 
月給鳥と言う言葉は明治時代初期から使われています。



月給鳥とは「取り」と「鳥」をかけた言葉で、月給をもらって生計を立てている会社員を指します。



鳥は「鳴く」というイメージが強い動物であることから、これを「嘆く」にかけ、ぶつぶつと愚痴や文句をいうサラリーマンという意が含まれる。



月給が手渡しから振込になった辺りから、厳しい社会を生きるかわいそうなサラリーマン・気の毒なサラリーマンといった「泣く」にかけています。



ほんとに、その通りです。



昭和の植木等が歌った



♪サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ〜♪



なんて歌はどこへいったやら。



今では、サラリーマンやOLには厳しい時代です。




サラリーマンやOLのみなさん、今日はゆっくり休んで明日からまた、頑張りましょう。

「あさが来た」NHK連続ドラマのドラマのシーンに結構、お酒の場面が良く登場します。







新次郎と五代友厚が仲良くテーブルに座って、「しんちゃん」「ともちゃん」と言いながら、泡盛を酌み交わす場面なんて懐かしい名シーンでした。



だいたい、五代さまは泡盛もりが大好物。毎日、泡盛を飲んではストレスを発散させていました。







五代さまがなくなったのは泡盛の飲み過ぎで糖尿病になったのではないかとまで言われています。



お酒飲みにも、まったく困ったもんです。



また、福沢諭吉もお酒が大好き。身体が悪くて禁酒をしていた時も、「ビールは酒ではない」と言ってビールを飲んでいたとか…。



あちゃー。



なんで、こうも人間ってやつはお酒が好きなんだろうと思ったら、どうも人間だけではないようなんです。







アフリカ南部に生息するゾウは、自然に発酵しているマルーラの実をどか食いした後、ふらふらと立ち去ることがしばしばだとか。



中米の森林に生息するホエザルはAstrocaryumというヤシの熟した実(多少のアルコールが含まれる)を与えられると、少し酔っぱらって陽気になることがあり、ときに1度にバーのドリンク10杯に相当する量を食べることもあるそうです。


西アフリカの科学者は最近、われわれ人間の親戚であるチンパンジーが葉っぱをしわしわにしてスポンジを作り、ラフィアというヤシからにじみ出る微発酵汁にそれを浸していることを発見しました。


ミバエでさえこっそりお酒を飲みに来ることが知られています。適度なアルコール分を含む気体にさらされたハエは、さらされていないハエより長生き。また、交尾の機会を奪われた不運なオスのハエは、慰めのためにアルコールに頼るとも言われている。





ほんと、なんだか人間と同じですね。


どんな生き物もお酒が大好きみたいです。


酒飲みは死んでもやめられないと良く言われます。


せめて、酒は飲んでも飲まれるな。
人に迷惑はかけないで飲みましょう。

「あさが来た」NHK連続ドラマの加野銀行では女性をいち早く銀行員として採用し、人気を評していたとされています。







歴史上では加野銀行のモデル、加島銀行は昭和12年 ( 1937年 )に廃業しため、女性銀行員に関する資料は残っていません。



現在残されている文献によると明治21年 (1888年 ) 8月に、日本銀行が発券事務取扱のため、「女工」を臨時採用したのが、女子行員のはじめとされています。「三和銀行の歴史」(三和銀行、昭和49)



民間銀行では明治27年( 1894年)、三井銀行の大阪支店が、日本で女性事務員を採用したとされています。



細かく正確な事務作業は、男性よりも女性に適性があるという認識が当時からあったみたいです。



会社事務員は、エリート階層としてのサラリーマンと接触できるということから、女性にとって憧れの職業だったそうです。



日銀では、明治31年 ( 1898年 ) 4月以降、「女工」が恒常的に採用されるようになりました。「日本銀行八十年史」(日本銀行、昭和37)



また、明治32年 ( 1899年 ) 2月に「女工心得」および「女工雇心得」を制定しているので、以降は定期採用していると推測されます。「日本銀行職場百景」



広岡浅子の加島銀行の資料は存在していませんが、明治35年 ( 1902年 )にアメリカのペンシルバニア州フィラデルフィアの新聞に広岡浅子の記事が残っていました。







"The Philadelphia Press"

「 ザ・フィラデルフィア・プレス 」

"A JAPANESE WOMANBANKER"

「 日本の女性銀行家 」

"the founder and actual guiding spirit of the famous banking firms of Kajuna"

「 有名な加島銀行の創業者かつ実質的経営者 」


one of the pioneer coal miners in Japan"


「 日本における炭鉱事業のパイオニアの一人 」


"She also takes a keen interest in educational matters; is at present promoting a university for girls, and, by way of giving practical encouragement, employs many educated girls at her banks, and has lately opened a new department which she has placed exclusively in the hands of ladies."


「 彼女は教育にも強い関心を持っており、女子大学の設立も支援している。また、女性活躍の実績を作る観点から、教育を受けた女性を自らの銀行に多数採用し、最近では、女性のみで運営する部署を新設した。」








明治21年 (1888年 )1月15日に広岡浅子は加島銀行を設立登記しています。




日本で1番最初に女性銀行員の採用をしたのはドラマ通り、広岡浅子の設立した加島銀行だったのかも知れません。




広岡浅子は女性銀行員に算術や簿記、そろばんなど女性が一人で社会で仕事をして、自立してお金を稼いでいけるように教育にもかなりの熱が入っていたようです。



今では、女性銀行員は当然のように思いますが、「あさが来た」NHK連続ドラマのあさのモデル広岡浅子が銀行に女性を採用したのが始まりだと思うと、なんだか不思議な感じがします。

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