ケイのblog

愛媛県の宇和島出身。現在は横浜市で会社勤務。NHK連続ドラマ『エール』裕一(窪田正孝)音(二階堂ふみ)の主人公とその他ドラマ登場人物をモデル、古関裕而と妻金子の史実と時代背景を比較しながら、このブログでもっとドラマが楽しく見られたらいいなと思っています。

NHK朝の連続ドラマ『エール』■音の母、光子(薬師丸ひろ子)の台詞「二人が接吻しているのを見ちゃったの。汽車はもう走りだした。止まりません。…頭はダメって言ってるけど、心はいいって言ってるの。だから私は認める」こんな無茶苦茶な台詞。テレビドラマで観たことはありません。明かにテレビ劇場芝居■面白いです。私が勝手気ままに書いているブログです。でひ読んでみてください。

カテゴリ: あさが来た

『あさが来た』NHK連続ドラマの新次郎の葬儀の場面であさもはつも千代もみんな女性は白の喪服でした。









あれっ、葬儀って黒の喪服ではないの?



『びっくりぽんや』



なんだか見慣れない場面に違和感を感じてしまいました。



白って死の旅立ちに着るもの大阪ではそんな風習があるのか、または何かの勘違いかなと思ってしまいました。



昔は日本も韓国や中国と同様に喪服は白だったようです。



明治以降にヨーロッパやアメリカの喪服が黒である西洋の様式にしたがって黒の喪服を着るようになったみたいです。



2012年に中村勘三郎さんの本葬の際に妻・好江さんが白い喪服をお召しになっていたことが話題になりました。



「あなたの死とともに私も死にました」という悲しみの無が詰まった正装だったそうです。



夫を思う妻の気持ち素敵ですね。



★昔は主流だった?見慣れない人も多い「白の喪服」に込められた深い秘密と歴史




日本書紀などの古代の文献によると、その頃の喪服は白であったという記録が残されています。


白い喪服って随分と昔か日本では着られていたんですね。



『あさが来た』NHK連続ドラマも時代考証の上に女優は白の喪服を着ていたみたいですね。



な〜んだ、昔は日本の喪服は白だったのか。



それにしても、男性俳優が全員が黒の喪服で女優が白の喪服だと白と黒のコントラストが鮮明すぎて違和感を感じさせますよね。






『あさが来た』NHK連続ドラマも最終回となりました。主人公あさのご主人新次郎さんも亡くなってしまいました。




和服姿の小粋な新次郎さん、今でも忘れられません。








許嫁のあさに新次郎は言います。



「あさちゃんの好きにしたらええ  ようよう考えてみい  、ようよう考えて進んだ道には必ずあさがくる」



あさと新次郎はそれから毎日新しいあさを迎えます。







『あさが来た』NHK連続ドラマ主人公あさと新次郎を観ながら新しいあさを迎えていた毎日でしたが今日で最後です。



『あさが来た』ロスになるかも知れません。



ところで主人公のあさ史実モデルの広岡浅子ですが新次郎が亡くなってから15年後に亡くなられます。









★広岡浅子の死




広岡浅子は大正8年(1919年)1月14日、腎臓炎のため東京・麻布材木町(現六本木6丁目)の別邸で死去。満69歳。



死の2日前まで、訪問客と社会情勢を論じ、天文学について質問をしていたといいます。



1日おいた16日、新聞各紙に「広岡浅子刀自逝く」として訃報が載っています。



東京朝日新聞訃報

 
「大阪加島屋の女主人廣岡浅子刀自は昨年春以来健康を害ひ兎角病状に親しみ勝ちで旧臘(昨年12月)19日から宿痾の腎臓炎でドッと床に就き麻布材木町の家にて療養しつつあったが14日午後8時病俄に革(あらた)まって白玉楼中の人となった享年71昨朝大阪から男恵三氏上京して喪を発した程でまだ葬儀の日取は明らかでない」
 


「男勝りの女性」「女性教育に貢献」と見出しをつけ、夫を助けて加島屋を隆盛に導き、日本初の女子大学「日本女子大学」建設に尽力したという解説もついていました。



新聞各紙「男優りの女傑」「女傑伝中の第一人者」という見出しが躍りました。



葬儀は21日に東京・神田青年会館で、23日に大阪市西区土佐堀青年会館で行われた。



東京では約1300人、大阪では約 900人が列席。



日本女子大学では、同年6月28日に大規模な追悼会が行われました。



日本女子大学校では、校長の成瀬仁蔵が、浅子の後を追うように1ヵ月半後の3月2日に亡くなっています。



大隈重信弔辞



「 浅子夫人は常に『たとひ女子であっても努力さえすれば男子に劣らぬ仕事ができるものである、また力があるものである。



而して人間は、その境遇を切り開いて自分の思う理想に達することのできるものである』という固い信仰を持っておられました。



このように浅子夫人は、男子も及ばぬような偉大な力をもって全ての事にあたられましたので、ある一部分の人からは多少誤解も受けましたが、しかし浅子夫人の活動は実に目覚ましいものでで、ただにその広岡家のためのみならず、社会的の活動は本当の手本としなければなりません。」


「天性偉大な廣岡夫人」(『家庭週報』第524号、1919年(大正8年)



浅子が最も愛した聖書の言葉は



「愛する者よ、我 等いま神の子たり」

(使徒ヨハネ第一書 3.2/大正訳)


でした。



愛する夫を亡くし、怒濤の人生を歩みきった広岡浅子にはキリスト教は富や業績には換えられない大きな慰めがあったようです。




『あさが来た』NHK連続ドラマはほんとうに面白いドラマでした。



もう、主人公のあさや新次郎は毎朝観ることは出来なくなりましたが、わたしたちのあさは毎日やってきます。



主人公あさのように人生楽しく明るく生きていきましょう。





『あさが来た』NHK連続ドラマの主人公あさも今日と明日の2日となりました。







朝の楽しい時間をありがとうございました。



明日はどんなドラマになるのかと期待して毎日観ていました。



『あさが来た』NHK連続ドラマが観られなくなると、なんだか寂しくなってしまいます。



明治時代の女傑広岡浅子を描いたドラマはほんとうに面白かった。



この時代に女性の活躍するドラマは少ない。



なぜなら、社会が女性の行動を制限していたからです。



世の中には人間は男女しかいません。



今までの世界の歴史を見ても指導者は男性です。



結局、男性の方が女性よりも肉体的に力があるからと言う理由なのでしょう…。



男性の導いた歴史と言えば悲惨なものです。



高校の歴史教科書を見て下さい。



世界の歴史と言うから輝ける人類の歴史かと思いきや、ほとんど戦争にあけくれる悲惨な歴史ではないですか。



明治時代の指導者の男性達も同様でした。



富国強兵を謳い、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦と戦争をエスカレートさせていったのです。








『あさが来た』NHK連続ドラマの主人公あさ史実の広岡浅子は次のように語っています。



『軍国主義を離れることこそ、人類の幸福につながる』

 
『婦人週報』1919(大正8)年1月10日号

 
「 婦人は何をもって勝利を得なければならないか。  


まず第一に世界の根底に流れてやまないひとつの大きな思潮、キリスト教によることが大切です。


この思潮こそ、人類が剣戟を振るって尊い血を流し合うことを理想とする軍国主義を離れて、互いの幸福を増し、公平な神の恩寵を享けることのできる民本主義に移っていく大きな傾向であります」


 
「 婦人にとっての民本主義は、自らを公平な立場に立たせる幸福な糧ともなり、他方、軍国主義よりも理解されやすく、婦人がこれを世に行うにふさわしい思潮です。


すなわちその思想の淵源は、人類を愛する思いと、互いに愛を持って仕えあう思いに帰るものなのです」




民本主義(みんぽんしゅぎ)とは、法学的問題である「主権の所在」を問わず、人民多数のための政治を強調する主義のこと。「democracy」の訳語



明治時代の女傑、広岡浅子はいかに平和を愛し、戦争を憎んでいたかがわかります。



現代の社会も、男性のリーダー達のによって戦争の危機が迫っているのではないかと思います。



男性は争いごとを好みますが、女性は争いごとは好きではありません。



なぜ、世界の国のリーダーの多くが男性でなければならないのか。



世界の国のリーダーをいっそ女性にすれば戦争のない世界が訪れるのではないでしょうか。



広岡浅子



「私は婦人でも十分に経営する才能があることに自信をもっています。婦人でもできないことはありません。必ずできるのです」




『あさが来た』NHK連続ドラマもそろそろ最終回に近づいて来ました。



あさのほんの15分のわずかな時間、何回観てもあきないドラマでした。







私たちにはドラマの楽しい時間しかわかりませんが、撮影をしている現場はたいへんだったようです。



★朝ドラの現場は想像以上に過酷なもの










新次郎役の玉木宏さんは



「正直に言うと、楽しいだけではありませんでした。長丁場の撮影ですから、季節や天候も変わっていく。夜中まで続く撮影はゴールが見えず、いったいどれだけ撮ればいいんだと途方に暮れることもありました。



 『よう頑張りましたな』。クランクアップを迎え、まず波瑠さんに掛けた言葉です。彼女は面には出しませんでしたが、体調的にも精神的にも追い込まれ、苦しんでいるのを何度も見てきましたから……。僕が十分フォローできたかは分かりませんが、苦闘を知っている人間として自然と口に出てきました。



波瑠さんは泣いていて、それを見て僕ももらい泣きしてしまった。振り返って(脚本家の)大森(美香)さんを見ると、大森さんも泣いている。それを見て、またもらい泣きしてしまうという連鎖に(笑)。



玉木宏が語り尽くす『あさが来た』撮影秘話 いよいよ感動の最終回




なんだか、『あさが来た』NHK連続ドラマ観ている方は楽しいんですけど、演じる役者さんはたいへんな苦労や努力をされていたみたいです。



ほんとにスタッフのみなさん、役者のみなさん毎日楽しませていただいて、ありがとうございました。



★やはり新次郎とあさの夫婦が最大の魅力








『あさが来た』NHK連続ドラマの中のあさと新次郎の夫婦、この夫婦の存在が最大の魅力でした。



あさを見守り影ながら助ける新次郎。



うん、考えると普通と逆か?



次々と積極的に事業を展開するあさ、わては商売は苦手やからと笑う新次郎。



うん、考えると普通と逆か?



まあ、プラスとマイナス夫婦の補い助けあい生きていく夫婦は最高でした。



二人の会話も実際の夫婦の会話のよう。



いつも夫婦間に優しさと愛情が溢れていて素敵でしたね。



役者の波瑠さんと玉木宏さんの会話もなんだか、ドラマと同じ夫婦のような会話です。



波瑠と玉木宏さん対談




なんだか役者、波瑠さんと玉木宏さん、もとから相性がいいのではないかと思ったりもしました。



二人の対談も思いやりのある言葉の往復です。



ドラマの夫婦のようにお似合いの二人のようです。



『あさが来た』NHK連続ドラマのあさと新次郎の夫婦のように、男女が助け合って生きていけるのが最高の幸せなのかも知れません。



『あさが来た』ドラマもあと3日、始めがあれば終わりが来ます。



さあ、今日はドラマの中であさと新次郎のどんな顔が見られるのか楽しみですね。





『あさが来た』NHK連続ドラマに平塚明( 大島優子 )こと平塚らいてうが登場した。



なぜ、『あさが来た』NHK連続ドラマに平塚らいてうなのか?







主人公あさと性格も育った環境も違うし、史実も広岡浅子と平塚らいてうが直接話しをしたと言うこともないようなのだが…。



平塚らいては裕福な家庭に育ち日本女子大学に学んでいながら心中未遂事件を起こしたかと思うと女性雑誌『青踏』を発刊してみたりとスキャンダラスな女性にみえます。



平塚らいてうただのスキャンダラスなだけの女性ではないのです。







心中未遂事件?



愛する二人が家族に反対されたて心中を試みたと思うのが普通なのですが、どうもそう言うことでは全くないようです。



★平塚らいてうはどんな女性なのか?



平塚明( 平塚らいてう )は1908年(明治41年)に森田草平と、栃木県塩原で心中未遂事件を起こします。



3月21日、雪のある塩原温泉を目指して汽車に乗ります。明子は出発前に遺書を書き残しています。



「われは決して恋のため人のために死するものに非(あら)ず、自己を貫かんがためなり、自己の体系(システム)を全うせむためなり、孤独の旅路なり」



書いてありました。



22歳になった明と27歳になった森田。



森田は愛のための心中を覚悟したけれど、明にとっては、命を賭けた自我完結の実験に過ぎず、ふたりが統合することはありませんでした。



ふたりがこれから死のうというのに、この世での最後の肉体的な結合もなく、あくまで知的に振る舞う明の魔的なまでに肥大した精神のまえで、彼はおもいを遂げることもできなかったのです。



そしてふたりが塩原温泉に宿をとった3月22日、雪が降って寒い夕方でしたが、森田は明のからだを求めますが、彼女はふたたび拒絶します。



翌日、塩原湯本まで車でいき、そこから会津方面の向かって雪の山道を歩きます。夕暮れがせまり、森田は、明を抱き寄せ、懇願するようにいいます。



「私への愛のために死ぬ、そういってください」



明はこれにはこたえず、もとより明は、自分以外の人のために死ぬことはできない、そのように、深くこころに決めていました。



森田は気づきます。



明は自分の死の劇化を望んでいるにすぎないのだと。



死への漠然としたあこがれを、より確かなものにするために、自分を道連れにしているに過ぎない。



森田は、明子が持ち歩いている黒革の懐剣を取り出すと、彼は谷間にぽーんと投げ捨てます。



「私は生きる。私はもう自分じゃ死なない。あなたも殺さない」



といって、明の瞳を見つめます。



彼の懐にはピストルがありましたが、それを使う気にはなれませんでした。
夜になり、ふたりは抱き合って雪の上で眠ります。



翌日、ふたりが宿にもどると、ふたりの共通の友人生田長江がきていました。


明が何通か、手紙を出していたので、心配してやってきたのです。



その日、宿を引き払って長江とともに東京へ舞い戻った森田は、師である夏目漱石の家で居候として過ごすことになります。

 

森田は事件の顛末を語りはじめます。



彼の話によれば、ふたりが恋愛以上のものを求め、人格と人格の接触による、霊と霊の結合を期待していたのだといいます。


なんだか、ロマンチックな話をします。


漱石はいいます。



「ばかなことをいうものではない。男と女が人格の接触によって霊と霊の結合を求めるのに、恋愛をおいて道があるものか! ……女も、そうまじめだとは思わないね。やっぱり遊んでいたんだよ。ぼくから見れば、いうことなすこと、みな思わせぶりだな。それが女だよ。女性の中の最も女性的なものだね」



夏目漱石は、明のことを「アンコンシャス・ヒポクリット」と評します。


彼女の場合、自我が強烈で、人格のはるか上にあって、自我というものが広大無辺なものに拡大されていて、それが森田を引きまわしてしまった。



漱石は、それを「Unconscious Hypocrite(無意識の偽善)」というのだと説明しています。



漱石の忠告によって、この心中未遂事件のあらましをもとにして、漱石の推薦で、翌年「煤煙」という小説を朝日新聞に連載し、これが森田草平の文壇デビューとなります。



漱石にも「三四郎」という作品があり、そこに登場する里見美禰子という女性のモデルとして、平塚らいてうが描かれています。



平塚らいてうと言う女性、理解するのが相当難しい女性みたいです。



夏目漱石も誰も出会ったことがない女性『新しい女』の誕生なのでしょう。





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