NHK連続ドラマ『おちょやん』始まりました。

 タイトルの「おちょやん」とは、小さい女中さんを表す「おちょぼさん」がなまった大阪言葉で、親しみやすさとかわいらしさ、意地と誇りなどの象徴としてタイトルに付けられた。

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 大正5年大阪・南河内の貧しい農家で、養鶏業を営む家に生まれた竹井千代(毎田暖乃)は、幼いころに母を亡くし、飲んだくれの父テルヲ(トータス松本)と弟ヨシヲの3人で暮らしていた。

 千代は口が達者な元気な女の子だったが、弟や鶏の世話などで忙しく、小学校にも通えずにいた。

 千代とヨシヲが鶏の世話をする中、朝っぱらからお酒を飲み続けるテルヲはまさに朝ドラ名物なダメおやじ。

 しかし千代はそんなテルヲに困り果てるのではなく、真っ向から彼を叱り飛ばす。

 千代に押され気味なテルヲは「親に偉そな口たたきさらすな!」と言い返すのだが、千代は母・サエ(三戸なつめ)とした「ヨシヲと家を守る」という約束を胸に決して姿勢を崩さなかった。

 「親やったら親らしいことをさらせ!」

 ドラマの時代は大正10年頃の話しか。

ドラマの時代背景

 日本は明治維新後、急激に工業化をすすめたが、国全体を見れば、「貧しい農村社会」だった。もともと江戸時代の人口の9割近くが農業をしていたくらいなので、おいそれと改善できるものではない。

 昭和5年の調査では、第1次産業47%、第2次産業20%、第3次産業30%で、就業人口2900万人のうち1370万人が農業に従事していた。そのうち半分近くの600万人は女性だ。男性も女性でも、もっとも多い職業は「農業」だったのだ。

 昭和20年の時点でも農業人口は就労人口の50%近くあり、職業人口としては農業がダントツのナンバーワンだった。

 都市の生活者たちは現在の人とあまり変わらないような、便利で文化的な生活をしていた。しかし、当時の人口の半数近くを占めていた農山村では、まだ江戸時代とほとんど変わらないような生活をしていた。

 農山村では、昭和に入っても上下水道の設備が整っていないところが多く、そのため、生活水は近くの川や井戸から汲んでくることになる。それは大変な重労働であり、農山村の生活の上で「水汲み」は大きな位置を占めていたという。

 また、ガスも入ってきていないところが多かったので、煮炊きにはかまどや囲炉裏を使う。これらには薪や柴が必要であり、その調達も農山村の生活には欠かせないものだった。

 この時代の養鶏は,いわゆる副業的養鶏というべきものであって,農家の庭先で,雄鶏1羽と雌鶏2~3羽を飼う程度のものが多かった。

 そして2~3日に1個程度,産卵したものを,1週間か10日間蓄えて置いて,これを販売し,農家の副収入としたものである。

 副収入といっても明治20年代に米価が1キログラム当たり2銭3厘のとき,鶏卵は1キログラム当たり20銭前後であったので,上手に飼っている人にとっては大きな現金収入であった。

「おちょやん」浪花千栄子のエピソード

 「おちょやん」モデル浪花千栄子は貧しさゆえ、小学教育を受けられず、字が読めないために苦労を重ねた。その後自らの努力で読み書きを習い、文盲から脱した。

 あるとき「驚」という字が読めず、字をそのままうつしたつもりで人に読みを聞いたところ、「けいま」と読むのだと教えた。

 いくらなんでも少し変だとよく考えてみたところ、それはうつす際に「敬」と「馬」の間を離して書いてしまったためだった。

 なんとも笑えない話しである。

「おちょやん」の生まれた年はエイプリルフールが流行った。

 ちなみに浪花千栄子の生まれた大正54月にエイプリル・フールが日本でも流行し始めたのだそうだ。

 エイプリルフールを直訳した「四月馬鹿」として広がりました。 実はそれまで41日は、中国伝来の風習で「不義理の日」とされ、ご無沙汰してしまっている(義理を欠いてしまっている)人たちに手紙などであいさつをして日頃の不義理を詫びるための日とされてきました。

 しかし、世界では1698年江戸時代の元禄11年イギリス「ウソの歴史博物館」の館長アレックス・バーザ氏によると、記録に残る最も古いエイプリルフールのウソは1698年のこと。

 「年に一度、ライオンを入浴させるという儀式がロンドン塔で見られるという話を聞きつけて、ロンドン中の人が集まってきたのですが、そんな儀式はそもそもありませんでした」

 イギリスでは既に嘘が笑いになっていたのです。

 なんとも世界の笑いの歴史は古いものです。