1955(昭和30)東宝の創業者小林一三が菊田一夫を東宝に迎えていきなり取締役に抜擢しました。東宝の演劇を全部任された菊田は、1956(昭和31)から、第1回東宝ミュージカル「恋すれど恋すれど物語」(菊田一夫脚本・演出、古関裕而音楽)をはじめました。「泣きべそ天女」という飯沢匡さんの作品との2本立てでした。

 「恋すれど恋すれど物語」出演者は榎本健一(エノケン)、古川緑波(ロッパ)、越路吹雪、宮城まり子

等。注目は当時の喜劇王、エノケンとロッパの共演だった。

 お互いライバルとして戦前は浅草で人気を二分し、一切共演をしなかったが、戦後、1947(昭和22)にエノケン劇団とロッパ一座の合同公演にてついに初共演を果たしていた。

 その二人を迎えてのミュージカルだった。内容は時代劇のドタバタ喜劇でした。

 最初の台本では東宝喜劇「恋すれど恋すれど物語」だったのですが、代表の小林一三かわ「東宝喜劇」の「喜劇」を赤鉛筆で消されて「ミュージカル」と修正してしまった。

菊田一夫は本格ミュージカルをやりたかったので、この喜劇ミュージカルと名がつくことに思うところもあり社長に「これはアチャラカです」と言うと小林は「面白ければいいじゃないか」と言って「東宝ミュージカル」でいくことになってしまった。

 当時の笑いに飢えていた人々にうけないわけはなかった。「喜劇王」エノケンこと榎本健一は庶民の生まれ,軽妙な動きで観客を魅了した.「笑の王国」を率いた古川ロッパは華族の家柄,声帯模写で人気を博す.華やかなレビュー,しゃれた寸劇,パロディにナンセンス・ギャグ、浅草で花開きついには丸の内を席巻した。

 以後「東宝ミュージカル」として公演が十何回まで続きました。笑いあり、歌あり、踊りあり、それで最後にちょっと泣かせて、最後に必ず豪華なショー場面が付くもので、豪華な顔触れのスターたちばかりで観客は常にたくさん入っていました。

 1年に34本、新作が制作されて、そのほとんどの作品が菊田先生の脚本、古関先生の音楽によるものでした。

 このミュージカルの成功を受けて東宝で1956(昭和31)81日映画「恋する恋いする物語」は公開されています。

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監督:斎藤寅次郎、原作:菊田一夫東京宝塚劇場『恋すれど恋すれど物語』より

脚本:菊田一夫撮影:西垣六郎音楽:古関裕而美術:加藤雅俊出演:有島一郎、三木のり平、榎本健一、古川縁波、柳家金語楼、宮城まり子、雪村いづみ、大河内伝次郎物語:謎の壺を長崎から江戸まで運ぶ二人組(有島、三木)が繰り広げる珍道中。菊田一夫のミュージカルを映画化したオールスター時代物喜劇。いづみが歌で冒頭から盛り上げ、大物喜劇人に大笑い必至!

やはり、昭和初期の戦後の暗い世相の中で、お笑いだけが庶民の心を癒やしてくれる唯一の存在だったようです。

 1963(昭和38)1月には渥美清の「恋すれど恋すれど物語/もててもてて困ってしまう」がレコードで発売されました。

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 渥美清はご存知、映画「男はつらいよ」の風天の寅さんさんである。

渥美の歌の才能に目を付けたのは、当時コロムビアで井上ひろしや守屋浩を担当していた花形ディレクター、長田幸治氏であった。作曲は土橋啓二。ヒットにこそ至らなかったものの、この歌がきっかけとなり後に映画「男はつらいよ」に繋がることになる。

 それにしても榎本健一や古川ロッパ等、名だたる喜劇人たちは皆レコードも数多く吹き込んでおり、歌でもやはり一流なのです。そして渥美清もまた然り。もの凄く上手いというわけではないけれど、なんともいえない味わいがあって思わず聴き惚れてしまう。日本人なら知らない人はいないであろう寅さんのテーマソング「男はつらいよ」がその最たるものでした。

 お笑いとミュージカルなかなか繋がらないようですが、昔のテレビ番組「てなもんや三度笠」(196256日から1968331)まで朝日放送制作藤田まことや白木みのるが歌って踊って時代劇を繰り広げていた、そんな喜劇に繋がったのでしょう。

 古関裕而と菊田一夫が作った「恋すれど恋すれど物語」が昭和のテレビや映画の流れを作っていったのは間違いないのだと思います。