NHK連続ドラマ『エール』の主人公古山裕一の妻(二階堂ふみ)音はオペラ「ラ・ボエーム」の稽古で、皆と明らかな実力の差を感じた。

 稽古後も、ベルトーマス先生(広岡由里子)とのレッスンや自つさかお宅での練習で必死にがんばるが、てもうまくいかない。

 音楽の才能に悩む音の姿がドラマでは展開しました。

 実際の音のモデル、古関裕而の妻、金子の戦後はどうだったんでしょうか。

古関金子の戦後

 古関金子は戦後の昭和21526日に日本初の国際的オペラ歌手・三浦環が死去すると、古関金子は尊敬する三浦環の意思を引き継ぎ、声楽の勉強を再開しました。

 そうなると金子は声楽の道に一直線。

 古関裕而が自分たち夫婦のことを「ウルトラ夫婦」と言っていたが、妻の声楽の才能も夫に負けてはいなかった。

 しかも夫とは違って社交的ときています。

 古関裕而より妻金子の方がパワーがあったのです。

 負けず嫌いの妻、金子は弱音を吐くことはありません。

音のモデル古関金子の真の姿

 ここに息子、古関正裕さんの証言があります。長くなりますが引用します。

(古関裕而と妻金子)は昭和6年に、世田谷代田に家を構えます。

当時近くに帝国音楽学校という音楽学校があり、金子はそこでベルトラメリ能子(よしこ)に師事し、本格的に声楽の勉強を始めます。当時一緒に声楽を勉強していた学生に、後に歌手になる伊藤久男がいたほか、ベルトラメリ能子の門下生には蘆原邦子もいました。

母の声楽の才能は抜きん出ていて、その声は中山晋平にも絶賛されていたようです。

ベルトラメリ能子の門下生の中では一番弟子で、カヴァレリア・ルスティカーナとかトスカとかの舞台を踏んだようです。

戦後、私が生まれると、子育てに専念するために声楽を止めたので、私は母がよく歌っていたのは覚えています。』

 息子さんの証言が一番真実なのではないかと思います。

 古関金子さんの名誉のためにも「古関金子の声楽の才能は誰にも負けることはなかった。」と主張します。

 ドラマでは、他の声楽歌や音楽に対する音の悩みを描いてますが、これは脚本家の演出だと思います。

 ドラマでは有名な作曲家、古山裕一の妻だからオペラの主役に選ばれたと言うことにもなっていますが、モデル古関金子に関して、またオペラの世界では、そんなことはありません。

 頑張れ音!モデル古関金子は才能溢れた人。モデルに早く近づけ音!と応援したくなりました。

 オペラは実力の世界、そんな甘い世界ではないのです。

 真に音楽関係者からの古関金子の歌声は評価が高かったのです。

 音楽関係者から夫・古関裕而に「奥さんの為に曲を作るべきだ」と助言されて古関裕而はオペラ「朱金昭」「トウランドット」「チガニの星」を3編を作りました。

 昭和24年から昭和25年古関作曲の3篇の放送オペラ『朱金昭』(チュウ・チン・チョウ)、『トウランドット』『チガニの星』は古関金子・藤山一郎・山口淑子・栗本正・小夜福子の出演でNHKで放送され、多くの方から好評を得ています。

 NHK放送オペラとして全国放送され古関裕而さんの二人で一つの作品を作り上げると言う夢が かないます。

 古関裕而と金子さん夫妻二人で寄り添い作った人生の集大成となりました。

 しかし、古関金子は、昭和217月に長男・古関正裕(まさひろ)が生まれてから、歌手活動を続けるのは不可能だと悟り、オペラ3作を最期に声楽から引退しました。

 オペラ歌手、三浦環はオペラのために人生を捧げました。古関金子は家族のためにオペラから引退しています。

 どちらが幸せかは、わかりませんが、三浦環にとっては、古関金子にとっては、その選択が人生にとって最良のチョイスだったのでしょう。