昭和20815日、終戦を迎えた日本。しかし、ここから本当の闘いが始まった子どもたちがいました。

親を失い、路上で生きることになった戦争孤児。

 当時「浮浪児」「駅の子」とも呼ばれていました。

戦争孤児

 太平洋戦争では軍人や民間人あわせて310万もの人が亡くなり、戦争末期には、日本各地が空襲により大きな被害を受け、その結果、多くの子どもたちが親を失い、孤児となったりました。

ある孤児の話しより『子どもたちは夜になると寒さをしのぐため地下道に寝ていたのです。

「夜になるとほとんど空いているところはありませんでした。ここ(壁)に寄りかかって、妹と弟と3人で寝ました。お母さんとお父さんがいたらなあと、毎日思わない日はなかったです。」

終戦直後の上野。そこは連日のように死者がでる過酷な状況だった。わずかなお金しかなかった買えたのは、11本のサツマイモだけ。  ほかの人に見えないよう、きょうだい3人で分け合って食べた。食べる物のない子どもが命を落としていく様子を見て、強い罪悪感にさいなまれたという。

「自分を守るので一杯で、あげられないんです。かわいそうだなと思うだけで、私ひとりじゃない、弟と妹がいるから。ただ亡くなるとかわいそうだなと思うだけで、自分のことで精一杯でした。」

当時、上野にはすでに闇市ができ、お金さえあれば、食べ物を手に入れることができた。

しかし、地下道で飢えている子どもたちを気にかけてくれる大人はいなかった。

「周りにこういうところ行けとか、大丈夫かとかそんなことは一切なかった。そんな優しい人はいませんでした。なんで政府はおにぎり1つもくれないのかなって、それは思いました。」』

 終戦後の日本は、多くの人が食べる物に困るような状況でした。

田畑は焼け果て、戦争から次々と復員兵が返ってきます。

都会は大空襲で焼け野原となったうえ、資材も物資もありません。

日本政府は戦前と同様、配給制を継続していましたが、十分な配給はされていませんでした。

 全国に存在した約12万の戦争孤児たちは、多くは身元もわからなく、当然、配給など受けられるはずもなく、見捨てられた存在となっていたのです。

戦争孤児救済ドラマ「鐘の鳴る丘」

 そんな状況を見かねたGHQ民間情報教育局の要請でつくった戦争孤児救済のためのキャンペーンドラマが「鐘の鳴る丘」です。

 GHQより依頼を受けた菊田一夫が脚本を書き、ラジオ音楽を担当したのが古関裕而でした。

 1947(昭和22)7月ラジオから流れてきたのがNHKラジオドラマ「鐘の鳴る丘」でした。

 オープニングのテーマ曲は菊田一夫が作詞しています。古関裕而は「なんという愛らしく、優しく詩情に満ちた美しい詩であろう。幼い日に不遇であり寂しさを味わった菊田さんならではの詩である。」と弾むような明るいメロディーをつけました。

緑の丘の赤い屋根

とんがり帽子の時計台

鐘が鳴ります キンコンカン

メーメー子山羊も啼いてます

風がそよそよ丘の家

黄色いお窓は俺らの家よ

…(そして最後に)

明日はもっと しあわせに

と続きます。

 どこまでも明るく楽しいメロディ、1度聞いたら頭たまから離れません。誰もが何度も何度も歌いたくなる曲でした。

 菊田一夫の描いた、物語「鐘の鳴る丘」は、復員して来た主人公は加賀美修平。戦争から役目を終え、戻ってきた青年です。

 修平は戦争で両親を失い、弟の修吉は孤児収容所に入っていました。

 東京に修吉を迎えに来た修平。

 そこでは戦災孤児たちが、街頭で靴磨きなどをしながら暮らしていました。

 誰も彼らを助けようとはしませんでした。

 そのときは大人も食べていくのがやっとで、救済の手はなかなか伸びなかったのです。

 そんな様子を見て修平はその子たちのために、自分の故郷、信州に住むところを作ってあげたいと決意します。

 修平と孤児たちは共同生活を始め、か明るく強く生きていくさまを描いています。

 菊田一夫は孤児たちが生活の中で、もがき苦しむ姿を描いているため「ぶっ殺してやる」「ば、かやろう」といったセリフも多く使っています。

 彼は「人生のすみっこで、だれからも話しかけてもらえないような子どもたち」に語りかけられるように子どもたち目線のドラマにしています。

 戦争で家族を亡くしたり、復興の見通しも立たず、誰もがみなしごのように不安におびえていた時代。

「おいらは元気」と自らを鼓舞する歌とドラマは孤児であろうとなかろうと、多くの人を励ましたのでした。

 あれから73年、世の中は随分変わりました。「鐘の鳴る丘」と戦争孤児の話しは、ほとんど聞くことがありません。

 先日、小さな子が♪鐘が鳴りますキンコンカン♪メーメー山羊もないてますと歌っていました。お母さん「へえ、可愛い歌ね 何のお歌?」と聞いていました。子ども「知らないの とんがり帽子 連続ドラマの古山さんが作った歌よ」と言っていました。

 音楽の力は偉大ですね、当時の時代を知らなくても時代と時代を通して良い音楽は歌われ続けていくようです。