NHK連続ドラマ『エール』物語は古山裕一(窪田正孝)高校野球の名曲「栄冠は君に輝く」を作曲するシーンへと進みます。

「栄冠は君に輝く」名曲の誕生秘話

 1945(昭和20)815日終戦となります。アメリカ軍が日本を占領し物事が全て変わったかと言うとそう言うことではありません。

 戦後の日本は戦前の制度を引きずったまま、混乱の社会が日本の日常でした。

 教育に関しても、戦前のままでした。戦後直後の日本の学制は、最長6年間の尋常小学校を義務教育とし、その後は2年間の高等小学校や原則5年間の旧制中学校、高等女学校、実業学校など複数の進路に分かれる複線型学校体系でした。

 日本の教育制度が軍国主義を生んだと考えたGHQは、その解体を政府に働きかけ、米国の教育使節団の勧告により昭和22年に学校教育法が制定。一律に6・3・3制とする単線型学校体系となりました。

 学制改革が変更になったのを全国民に知らせるのに絶好の機会だったのが高校野球でした。

  1948年(昭和23年)、名称も全国高等学校野球選手権大会となった。

これを記念して大会歌をつくることになり、朝日新聞社が全国から歌詞を募集しました。

「全国高等学校野球選手権大会歌募集」

 朝日新聞に「全国高等学校野球選手権大会歌募集」が紙面に載りました。

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『我が国スポーツの最大行事である全国中等学校優勝野球大会が学制改革に伴い今年から高等学校に切り替えられることになったのを機会に、新しく「全国高等学校野球選手権。大会」の歌を次の規定で募集します。30年の長い歴史を誇るこの大会の精神と伝統を守りつつ、しかも新しい時代ととに発展させて行きたい念願です。

1.内容=なるべく平易な言葉を用い清新はつらつたるもの

1.長さ=三節以内

1.締切=75

1.発表=720

1.賞金=入選一篇5万円(税共)

1.送り先=大阪市北区中之島、朝日新聞大阪本社企画部「野球大会歌係」(応募原稿には住所、氏名、職業、年齢を明記のこと、原稿は返送しません)

1.審査=特設の審査員会で行う

朝日新聞社』

 昭和23年の5万円はたいへんな金額です。現在の貨幣価値で言うと約500万円です。この金額は当時一軒家が買える金額でした。

 その結果が720日の紙面に載っています。

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 5,252の作品が集まり、入選したのは金沢貯金支局勤務の加賀道子さんに決定しました。

 紙面ではさらに、『なお、作曲はラジオ「鐘の鳴る丘」で全国的に親しまれている作曲家古関裕而氏に依頼することになった』と載っています。

 「栄冠は君に輝く」作詞者、加賀大介、作曲家、古関裕而となっていますが、入選者と作曲家が違っています。

 これはなぜ?

入選は加賀道子

 これは加賀大介が自分の名前を使わず、婚約者の道子の名前を使って応募したものでした。

 その当時のことを加賀大介は「ぼくは文学者だ。文学の道を究めて芥川賞を獲るんだから、新聞社の賞金の高い応募作に、加賀大介の名前は使いたくないんだ」と述べています。

 加賀道子さんは当時を振り返って

『加賀大介は草野球に熱中し、はだしで運動場を走り回る活発な少年だった。だが16歳のとき、夢を奪われた。試合中、足先のケガがもとで骨髄炎になった。道子は夫から聞いた話を明かす。「野球は早慶戦を欠かさずラジオで聞いていて。手術のときもラジオを入れてほしいと」。実況を聞きながら右足の膝下を切断した。グラウンドに立てなくなった大介は文学に打ち込んだ。石川・能美市の自宅前に小学校がある。道子は言う。「時々、運動場に行って小学生が野球をしているのを見ていました」。大介の心が躍ったのは、33歳の486月だ。「夏の甲子園」大会歌の募集を知った。「ものすごく野球が好きでね。文芸をやっていましたので『野球』という話で飛びついたんだろうと思います。ただ『栄冠は君に輝く』の題目は、前々から温めていたものでした」一気に詞を書き上げた。道子は「自分も健康で野球をしていたのにできなくなった残念な気持ちが歌詞に十分、出ているといつも思います』と語っています。

■20年間作詞者は妻の道子だった。

 「栄冠は君に輝く」入選発表後、この事実は20年間も明かされずに過ぎます。

 全国高等学校野球選手権大会が第50回の記念大会を控えた昭和432月のこと。朝日新聞記者が、「『栄冠は君に輝く』が発表されてから丁度20年になりますのでお話を」と取材を申し入れたのがきっかけ。道子は悩みに悩むが、もう秘密を持ち続けることに耐え切れず、その記者に真実を話し、222日の朝日新聞にこの事実が掲載される。『「作詞者は夫でした」加賀さん20年ぶりに真相語る』

  この50回記念大会に加賀大介は招待されるが出席していません。そしてその後も甲子園に行くことは一生なかったと言います。

 加賀大介も婚約者の名前を使ったのは流石に気がひけたようです。