19451123日長崎の浦上天守堂の廃墟で合同葬が行われ、永井隆は浦上カトリック信徒代表として『原子爆弾死者合同葬弔辞』を述べている。

『原子爆弾死者合同葬弔辞』

「昭和2089日午前1030分から、大本営に於いて戦争最高指導会議が開かれ、抗戦か終戦かを決定することになりました。この会議の結果に日本の運命のみならず世界の運命がかかってきました。世界に新しい平和をもたらすかそれとも人類を更に悲惨な戦乱に陥れるか、運命の岐路に世界が立っていた時、即ち午前112分、一発の原子爆弾は吾が浦上の中心に爆裂し、信者八千の霊魂は一瞬にして炎々と燃え上がりし猛火は忽ちにして東洋の聖地を灰の廃墟と化し去ったのであります。その日の真夜半天主堂は突然火を発して炎上しました。それと全く時刻を同じうして大本営に於いては畏くも天皇陛下が軍部の強硬なる抗戦論を押さえ 世界平和の為に終戦の聖断を下し給うたのでございます。

 八月十五日終戦の大詔が発せられ、世界あまねく平和の朝を迎えたのでありまするが、この日は実に聖母の被昇天の大祝日に当っておりました。日本は聖母に献げられた国であり、吾浦上の天主堂もまた特に聖母に献げられたものであることを想い出します。

 これらの奇しき一致は果たして単なる偶然でありませうか、それとも天主の妙なる摂理の現れでありませうか。長崎市の中心、県庁付近を狙った原子爆弾が天候のため北方に偏り浦上のしかも天主堂の真正面に流れ落ちたという事実や、この原子爆弾を最後として地上何処にも戦闘の起こらなかったという事実などを併せ考えまするならば浦上潰滅と終戦との間に深い関係の在ることに気付くでありましょう。即ち、世界戦争という人類の罪の償いとして浦上教会が犠牲の祭壇にそなえられたのである、いと潔き羔として選ばれ屠られ燃やされたのであると私共は信じたいのであります。

 アダム・エワが知恵の木の実を盗んだ罪と、弟を打殺したカインの血とを承け伝えた人類が、同じ天主の子でありながら愛の掟に背いて、互いに憎み合い互いに殺しあったのがこの世界大戦争でありました。昭和六年満州事変以来十五年間の戦乱を終わり再び平和を迎えるためには世界人類が深くその罪を悔い改めるばかりでなく、適当な犠牲を天主に献げてお詫びをせねばなりませんでした。これまでうちに幾度か終戦の機会はあり、爆撃により全滅した都市もまたいくらもありましたが、しかしそれは犠牲としてふさわしくなかったから天主はいまだこれを容れ給わなかったでありましょう。然るに浦上教会を挙げて献げた時始めて天主はこれを善として容れ給い、人類の詫びを聞き入れ、忽ち天皇陛下に天啓を垂れ、終戦の聖断を下させ給うたものに違いないと拝察するのであります。言い換えれば浦上が犠牲になったからこそ終戦となったのである、この犠牲によって十数億の人類が戦乱の惨禍から救われたのであると思うものであります。

 信仰の自由なきわが国において豊臣徳川の迫害に滅ぼされず、明治以来、軍官民の圧制にも負けず、いくた殉教の血を流しつつ四百年、正しき信仰を守り通したわが浦上教会こそはまこと世界中より選ばれて、天主の祭壇に献げられるべき潔き羔の群れではなかったでしょうか。ああ世界大戦争の闇まさに終わらんとし平和の光さしそめる八月九日この天主堂の大前に立てられたる大いなる燔祭よ。

悲しみの極みのうちにも私共はそれを美しきもの、潔きもの、善きものよと仰ぎ見たのでございます。

 西田神父様、玉屋神父様。純心や常清の童貞様、宿老様、教方様、十字会の姉様、親戚、友達、うちの者・・・・・・誰を思い出しても善い人ばかり・・・・・・しかもふくれ饅頭の祝日のために告解を済まし或いは糾明を終えていたあなた方でありましたから八千人お揃いで天国行きの雲にのせられたことと思っています。

 敗戦を知らずにこの世を去ったあなた方こそ幸福であると言わねばなりません。潔き羔として天主の御手に抱かれているあなた方に比べ、生き残った私共はなんという哀れな惨めな者でしょうか。日本は負けました。浦上は全くの廃墟です。見ゆる限りは広々とただ灰と瓦。住むに家無く、着る衣無く、薯畑も荒れ果て耕す人もなし。大事な働き手だったあなた方を失った私共わずかばかりの遺族はただぼんやり焼け跡に立ち、迫りくる雪空を仰いで祈りを捧げているのです。あの日、あの時あなた方となぜ一緒に死ねなかったのでしょうか。なぜこんな惨めな敗残者として生き残らねばならないのでしょうか。

 今こそしみじみ私の罪の深さを知らされました。私どもはまだ償いをはたしていなかったから選び残されたのです。余りに罪の汚れが大きいために祭壇に供えられなかったのでありましょう。

 私共がこれから歩まねばならぬ敗戦国民としての道は真に悲惨であり苦難に満ちたのものであるに違いありません。又ポツダム宣言に基づき私共に課せられる賠償は実に大きな重荷であります。この重荷を負うて行くこの苦難の道こそ然しながら私どもの罪の償いをはたすことのできる希望の道ではありますまいか?

 福なるかな泣く人、彼らは慰めらるべければなり。この御言葉を信じ天国に容れられる喜びを予期しつつこの苦難の道を私共は正直に、ごまかさずに進んでゆこうと思います。嘲られ、罵られ、鞭打たれ、汗を流し、血にまみれ、飢え渇きつつ私共が賠償の重荷を担い行く時、かのカルバリオの丘に十字架を担いのぼり給いしわが主イエズス・キリストは必ず私共を勇気づけて下さるでしょう。どうか特別の勇気を弱き私共に賜りまする様、聖母の御取次ぎにより天主に御願い下さいませ。

 本日は長崎教区主催にてあなた方のために、この浦上天主堂の廃墟に於いて合同葬が営まれ仙台浦川司教様の歌ミサと赦祷式とがあげられました。浦上出身の司教様、神父様、童貞様が日本中から帰り来られ八千本の十字架をかかげる二千名の遺族と共に心しみじみ祈りを捧げております。天主の御憐みによりこの御ミサの功徳により、煉獄の火に浄められて早く天国へ上って下さい。

 ああ、全知全能の天主の御業は常に讃美せらるべきかな!浦上教会が世界中より選ばれ燔祭に供えられたことを感謝致しましょう。浦上教会の犠牲によりて世界に平和が恢復せられ、日本に信仰の自由が与えられたことを感謝致しましょう。

 願わくは死せる人々の霊魂、天主の御哀燐によりて安らかに憩わんことを。アーメン。

(長崎大学論叢 第18号 小西哲郎「永井隆の原子爆弾死者合同葬弔辞」より)

祈りの歌『長崎の鐘』

 永井隆は原子爆弾を神の摂理と述べている。多くの犠牲者の冥福を祈りながらも、彼らにより、世界平和が回復し、信仰の自由が勝ち取られたことを神に感謝し、残された人間は未来に進むべきであると述べたのです。

 永井隆もNHK連続ドラマ『エール』の主人公になっている古関裕而も、ともにキリスト教徒で思考方法も非常に良く似ていると思います。

二人とも純粋で直向き、一途な性格で後ろを向いてはいません。未来思考です。

 古関裕而のドラマでは軍歌の作曲で多くの若者が戦地に赴き亡くなったことを後悔し、作曲を中断するシーンもありましたが、古関裕而は戦後も作曲をやめることはありませんでした。

 二人とも作曲も医療や執筆活動が神より与えられた使命だと考えていたからでしょう。どんな辛苦が訪れても、神の与えられた試練に乗り越えられないものはないと思われていたからでしょう。

 ただ、二人が純粋であればあるほど、皮肉なことに二人とも政治に利用されることが多かった。

 この合同葬弔辞も著書『長崎の鐘』でも原爆が神の摂理であると述べています。

 神な摂理なら無謀な十五年戦争を開始、遂行し、戦争の終結を遅延させた、天皇を頂点とする日本国家の最高責任者の責任は免除されることになります。

 また、原子爆弾を使用したアメリカ合衆国の最高責任者たちの責任もまた免除されることになります。

 浦上燔祭論の果たした歴史的役割は、日本の戦争責任とアメリカの原爆投下責任の二重の免責を与えたことになるのです。

 当時は占領軍のプレスコード(19459月指令)によって厳しい言論統制が行われ、原爆に関する報道や調査研究は禁止されていました。

 それでも、なせが永井の著書は次々と発表がGHQに許可されていった。

 GHQが政治利用「二重の免責の功績があったからこそ、そのような特典に預かった」のではないかと思われます。

 永井隆の神の摂理の発言が「祈りの長崎」の性格が形作られ、古関裕而の代表作である『長崎の鐘』を生むことになります。それはまさに長崎への祈りの歌となっていました。