NHK連続ドラマ『エール』主人公、古山裕一(窪田正孝)は大事な小学校の藤堂先生(森山直太朗)がビルマで戦死しました。

 古山裕一にとっては小学校時代より自分を励まして、音楽の道に導いてくださった先生です。とても辛く悲しい気持ちでいっぱいでした。とても作曲するような状況ではありません。

 しかし、帰国していた彼を待っていたのは軍部からの軍歌の作曲依頼でした。

 NHK連続ドラマ『エール』と同様、古山裕一モデルの古関裕而も軍部よりの作曲依頼が来ていました。

「比島決戦」の歌

 戦争が熾烈(しれつ)さを増してきた1944(昭和19)年、軍部は読売新聞社を通して「比島決戦の歌」の作成を西條八十、古関裕而に依頼してきました。

 西條の歌詞ができて読売新聞社に集合した時、古関は「軍部の或る将校が、『この歌にはぜひ敵将のニミッツとマッカーサーの名前を入れてくれ』と強硬に主張して譲らなかった。

 陸軍報道部の親泊中佐がその場で「いざ来いニミッツ、マッカーサー出てくりゃ地獄に逆落とし」と代筆してこの曲が出来上がった。

 西條は『人名を入れるのは断る』と語気を強めて反論したが、遂に折れざるを得なかった」(自伝『鐘よ 鳴り響け』)と回顧しています。

古関裕而の全集入りを拒否

出来上がった歌詞は

「比国決戦の歌」(昭和193月)

決戦かがやく亜細亜の光 

命惜しまぬ若桜

今こそ咲き競うフィリッピン 

いざ来い二ミッツ゚、マッカサー

出てくりゃ地獄へ逆落とし 

 まさに、勇ましさを通り越したもの。軍部の圧力によるものでした。

 後にレコード会社が古関裕而の全集を発売する時、この歌のレコードと楽譜が見つからず、古関本人に尋ねたところ「もうこの歌だけは勘弁してくれ」とレコード化を拒否しました。よほど、当時の思い出が辛かったのでしょう。

古関裕而の戦争犯罪騒動

 西條も古関も「この歌によって戦後、戦犯だと騒がれた」と述懐しています。

 占領軍司令官マッカーサーの名前を入れ地獄へ逆さ落としなのですから

 占領軍もこの歌のことを知っていましたが戦犯責任を問われませんでした。

 「マッカーサー司令部では、『日本の流行歌には思想がないから問題にする必要はない』という考えであった。おかげで助かった代わり、侮辱されたことにもなる」(高橋掬太郎『流行歌三代物語』)。

 また、菊田一夫は「幸いなことに第2次世界大戦中の作家の戦争協力は追及されないことになりました」(小幡欣治「評伝菊田一夫」)と述べています。

 古関裕而は軍部に協力し、次々と軍歌を作曲したにもかかわらず、3度の海外従軍を強いられ、兵役にも入り散々な辛苦を軍部から味合わさせられました。

 古関裕而の「軍歌を作曲して戦地に向かう兵隊を応援したい」純粋な気持ちが、軍部に利用され、多くの人の命の責任、戦争の責任を背負わされることになっていきます。

 音楽を作曲する作曲家になんの責任もないと思います。彼は戦争によって不本意な作曲を無理強いされた犠牲者であった、とも言えるのではないでしょうか