NHK連続ドラマ『エール』主人公古山裕一(窪田正孝)はビルマのインパール作戦に従軍することになる。 1944年(昭和19年)3月帝国陸軍はインドのインパールに向けて進軍を開始していた。

 インパール作戦こそ食料・弾薬の補給が全くない精神論だけで突撃(竹槍作戦)をし約3万人の命が奪われた大惨事となった地上最悪の作戦でした。

 日本のマスコミではインパール作戦が開始する前に陸軍の竹槍作戦を痛烈に批判した記事が出ていたのです。

■1944年(昭和19年)223日付の『毎日新聞』朝刊に掲載記事

 『「勝利か滅亡か 戦局はここまで来た」

「戦争は果たして勝っているのか」

「ガダルカナル以来過去一年半余、我が陸海将兵の血戦死闘にもかかわらず、太平洋の戦線は次第に後退の一途を辿っている事実をわれわれは深省しなければならない」

「日本は建国以来最大の難局を迎えており、大和民族は存亡の危機に立たされている。大東亜戦争の勝敗は太平洋上で決せられるものであり、敵が日本本土沿岸に侵攻して来てからでは万事休すである」

「竹槍では間に合わぬ 飛行機だ、海洋航空機だ」

「大東亜戦争の勝敗は海洋航空兵力の増強にかかっており、敵の航空兵力に対して竹槍で対抗することはできない」

「ガダルカナル以来の我が戦線が次第に後退のやむなきに至ったのも、アッツの玉砕も、ギルバートの玉砕も、一にわが海洋航空戦力が量において敵に劣勢であったためではなかろうか」』

 社説「今ぞ深思の時である」

でも精神主義についての批判が行われた。

 『「我らは敵の侵攻を食い止められるのはただ飛行機と鉄量とを敵の保有する何分の一かを送ることにあると幾度となく知らされた。然るにこの戦局は右の要求が一向に満たされないことを示す」

「勝利の条件にまず信念があることに相違はないが、それは他の条件も整った上でのことであって、必勝の信念だけでは戦争に勝たれない」』

記事には陥落したばかりのマーシャル・ギルバート諸島から日本本土や台湾・フィリピンへ至る米軍の予想侵攻路が添えられていた。

 この日の一面のトップ記事は東条首相が閣議で上記の「非常時宣言」を発表した記事が載っており、その下に置かれた「竹槍では間に合わぬ 飛行機だ、海洋航空機だ」の見出しはこれに対し真っ向から挑戦する見出しであった。

 この記事を書いた記者、新名は開戦時から海軍を担当、181月から約半年間はガダルカナルで従軍して前線の惨状をつぶさに見聞きし、またマーシャル・ギルバート陥落では大本営が20日間も報道発表をためらって大騒動を演じている様子を見ており、日本の窮状と大本営作戦の内容を把握してい。

 精神論だけでは戦争には勝てない、まことに正論です。

毎日新聞発売・頒布禁止

 陸軍報道部は、毎日新聞に処分を要求。更に内務省は掲載新聞朝刊の発売・頒布禁止と差し押さえ処分を通達した。(ただし、この時点で問題の朝刊は配達を終えていた)

そこへ火に油を注ぐように、同日夕刊トップでは「いまや一歩も後退許されず、即時敵前行動へ」と題する記事が掲載された。

 『日本の抹殺、世界制圧を企てた敵アングロサクソンの野望に対しわれわれは日本の存亡を賭して決起したのである。敵が万が一にもわが神州の地に来襲し来らんにはわれらは囚虜の辱めを受けんよりは肉親相刺して互に祖先の血を守つて皇土に殉ぜんのみである。しかも敵はいまわが本土防衛の重大陣地に侵攻し来つてその暴威を揮ひつつある。われらの骨、われらの血を以てわが光輝ある歴史と伝統のある皇土を守るべき秋は来たのだ。』

 記事の趣旨は戦争自体を肯定した上で戦況が悪化している現状を伝え、その打開策を提言したものでした。

毎日を廃刊にしろ

 東條は「統帥権干犯だ」として怒った。夕刊記事の執筆は新名ではなく清水武雄記者によるものだったが、この責も新名が引き受けた。

 新名は責任を感じ、吉岡文六編集局長に進退伺いを提出したが、吉岡はこれを受理せず、31日、自身が加茂勝雄編集局次長兼整理部長とともに引責辞任した。

 この記事は読者から大きな反響を呼び、毎日新聞では全国の販売店や支局から好評との報告が入った。

 海軍省報道部の田中少佐は「黒潮会」で「この記事は全海軍の言わんとするところを述べており、部内の絶賛を博しております」と述べた。  

 東條は内閣情報局次長村田五郎に対して「竹槍作戦は陸軍の根本作戦ではないか。毎日を廃刊にしろ」と命令した。

 村田は「紙の配給を停止すれば廃刊は容易」とした上で「日本の世論を代表している新聞のひとつがあのくらいの記事を書いたことで廃刊になれば、世論の物議を醸し、外国からも笑われます」と述べ、東條を諫めた。

 24日には陸軍報道部が朝日新聞に「陸軍の大陸での作戦は海軍の太平洋での作戦と同じくらい重要」という内容の指導記事(政府・軍部が予め内容を指示した記事)を掲載させた。

古関裕而の決心

 インパール作戦の前に竹槍作戦を痛烈に批判されたにもかかわらず、大本営はインパール作戦を実施する。これはなぜなんだろうか。

 大本営自体がもはや正常な判断ができる存在ではなくなっていた。

 それにしても、無謀な作戦に従って突撃を繰り返した兵隊たちはなんて悲惨なことだったんだろう。

 国家に逆らえない個人は虫けらのように死んでいくしかなかった。

 こんな戦争を見せられて古関裕而はただただ、この頃のことは語らないと決心したのです。