人間の心を癒すという音楽の、本来持っている働きがあります。

子供たちは、あの暗黒の時代に、替歌をうたうことで、自分をはげまし、心 をいやしていました。

戦争中の替歌など、低俗で下品で、単純で軟弱で、こんなものは音楽ではない、とおっしゃる人もいることでしょう。

あの時代、子供たちにとって、替歌が唯一の楽しみだったのです。

NHK連続ドラマ『エール』の主人公古山裕一(窪田正孝)モデル古関裕而の戦時中の軍事歌謡の大ヒット曲『露営の歌』も子供たちにとってはかっこうの替歌の材料でした。

子供たちは『露営の歌』を自由に替歌としたのです。

『露営の歌』の替歌

『露営の歌』1937 (昭和12)作詞:藪内喜一郎、作曲:古関裕而

元歌

勝って来るぞと 勇ましく/ちかって祖国を 出たからは/手柄たてずに 死なりょうか/進軍ラッパ 聴くたびに/まぶたに浮ぶ 旗の波

この元歌を子どもたちはこんな替え歌にしました。

替歌

負けて来るぞと情なく/しょぼしょぼ国を出たからは/手柄などとは、おぼつかない/チャルメ ルラッパ聞くたびに/瞼にチラチラ敵の剣

なんと子供たち勝手くるぞを反対の負けてくるぞにしてしまいました。

大人では考えられないことです。

替歌

負ケテ来ルゾト勇マシク/誓ツテ国ヲ出タカラハ/手柄ナンゾハ知ルモノカ/退却ラツパ聞ク度 /ドンドン逃ゲ出ス勇マシサ

今度は全てを正反対にしました。

勝つ負ける、手柄たのむ らん、進軍ラッパ退却、としておいて、どんどん逃げだす勇ましさとしてしまいます。

軍歌を反対にすると反戦の歌になってしまいました。

子どもたちに深いイミがあったのではなく、あそびはんぶんで反対表現をして、最後に こうまとめたら、大人がドキッとするような、結果として思想的な歌になってしまったのです。

ほんと子供の発想は驚くばかりです。

替歌

勝って来るぞと勇ましく/誓って国を出たからは/手柄たてずに支那料理/進軍ラッパ聞くたび /まぶたに浮かぶ支那料理

歌詞のあるね部分を、ひとつの単語に固定してしまう、という作り方です。

当時の子供たちは、死なりょうかが、支那料理に聞えたらしい。

ぼくは、聞き違いから生れた『支那料 理』なんともナンセンスでおかしい替歌が出来上がりました。

支那料理が食べたかったのかも

終わりに

大人が一生懸命戦っている時に不謹慎と言えば不謹慎です。

ほんと子供と言うものは正直ものと言うか、怖いもの知らず。

将来にわたり5000曲以上を作曲した大作曲家古関裕而さんより子供たちの方が戦争の本質を知っていたようです。

確かに兵士が進軍ラッパを聞くたびに逃げだしていたら戦争にならないですものね。

こんないかにも大人が聞いたら怒りそうな軍歌の替歌が子供たちの中では歌われていたのは驚きです。