NHK連続ドラマ『エール』ではコロナのため627日でドラマ中段し、最初の場面からの再放送となってます。

コロンブスの新人歌手オーディションで最後はおおいに盛り上がっていたのに残念ですね。

今日は喫茶店バンブー店主梶取保(野間口徹)と妻恵(仲里依紗)と古山家の人々との憩いの場所、喫茶店とコーヒーに関してのお話しです。

時代は昭和10年頃、その頃は憩いの場所が東京のあちこちにあり、現在のように落ち着ける場所の提供をしていました。

さて、あの独特なコーヒーの味が日本に根付くようになったのか、喫茶店がどんなふうに親しまれるようになったのかみをていきたいと思います。

日本におけるコーヒーと喫茶店の歴史

日本にコーヒーが伝来したのは今から約500年前の江戸時代、徳川綱吉の頃、長崎の出島に於いてオランダ人がコーヒーを振る舞ってくれたのが最初だと言われています。

1804(文化1)は、日本人自身の手によるわが国最初のコーヒー飲用体験記が大田蜀山人により記されています。

「紅毛船にてカウヒイ"というものを勧む、豆を黒く炒りて粉にし、白糖を和したるものなり、焦げくさくて味ふるに堪えず」(瓊浦又綴)

当時の日本人の嗜好にはなじまなかったようです。

その後、長崎、函館、横浜などの開港地を中心として西洋料理店が開店するようになり、そのメニューの一部としてコーヒーが一般庶民の目に触れるようになります。

1877(慶応2)には輸入関税が決定しコーヒーが正式に輸入されるようになります。

1876(明治9)写真家の下岡蓮杖が浅草に『油絵茶屋」、1874(明治7)神戸元町「放香堂」、1886(明治19)東京日本橋「洗愁亭」にてコーヒーが提供されるようになってきます。

1888(明治21)東京に日本で最初のコーヒーのお店「可否茶館」がオープン。

1891(明治24)年、文筆家・石井研堂が自著『明治事物起源』の中で、東京・神田の氷屋で「氷コーヒー」というメニューがあることを紹介しています。アイスコーヒーも既にこの頃には販売されています。

明治の終わりごろになり、日本に喫茶店の文化が根付いて来ます。

銀座にカフェパウリスタやカフェプランタンなどの喫茶店が次々とオープンしていき、オシャレに関心が高い人や、芸術家などが集まる人気スポットとりました。

カフェー・プランタンは「初の会員制カフェ」として、カフェー・パウリスタは「初の庶民喫茶店」「初のチェーン店舗型喫茶店」として人気がありましな。

カフェー・ライオンは「初のメイド喫茶」としてまた、この頃、暖めた牛乳を提供する「ミルクボーイ」も登場し、学生などに人気を博しました。

1935(昭和10年)には東京市だけで10,000店舗を数えるなど順調に増え続け、サービスや提供形態の多様化が進みました。

銀座は高級感を売りに出した店舗が特徴として知られるようになり神田は容姿端麗な女性給仕を揃えた学生を対象としたサービスを展開、神保町は落ち着いた雰囲気で本を読みながら過ごすスタイルが定着したのです。

日中戦争が勃発。戦時体制が敷かれるようになるとコーヒーは贅沢品に指定され、1938(昭和13年)には輸入制限が始まりました。

1939年第二次世界大戦が始まると完全に輸入が禁止され、供給源を断たれた喫茶店は次々と閉店していきました。

そのような中でも大豆や百合根を原料とし代用品をもちいて細々と経営を続ける店も見られました。

また喫茶店から別の業種へ転向した店も多く見られ、「千疋屋」「ウエスト」「コロンバン」「中村屋」などはその転向が成功して現在に至っています。

喫茶バンブーはどうなるの?

NHK連続ドラマ『エール』は戦争の話しもあまりないまま中段となりました。

古山裕一モデルの古関裕而が露営の歌を作曲するちょうど直前の時代でドラマは中段。

喫茶店も日中戦争頃はコーヒーが輸入禁止となり、営業が困難になるはずです。

さあて、今後、喫茶バンブーはどうなるのか?なんだか心配ではあります。