NHK連続ドラマ『エール』古山裕一の妻、音(二階堂ふみ)の音楽の指導先生役として登場する双浦環(柴咲コウ)。脚本家も日本を代表するオペラ歌手三浦環さんをモデルに描いた人物だと思われます。

現代、三浦環さんと言う名前出すだけで「お蝶夫人」を演じて世界を公演して回った凄い人と言う良いイメージを持ちます。

しかし、彼女の生きた時代は芸術は重要とされておらず、男尊女卑の時代でした。

当初は世間を騒がすアイドル歌手的な存在でしかありませんでした。三浦環(旧姓柴田環)さん16歳で音楽学校に行くなら結婚をするように言われます。

昔と今とでは音楽や芸術に関する価値観が非常に違っています。

三浦環(旧姓柴田環)の父は彼女の音楽学校入学を大反対しています。

「女は女学校を卒業したらお嫁に行くもの、お琴や長唄などの芸事はお嫁入りの資格として習うものだ、」

まさに女性蔑視、ただ、この時代の父親はみな似たような考えですね。

女性はお嫁に入り家庭を守るのが一番の幸せだと考えられています。

「音楽家だなぞというが、ありゃ西洋の芸者じゃないか、私は自分の娘を芸者にすることなぞ大反対だ」

とこんな感じなんです。音楽や美術などの芸術に対する評価はかなり低い。


しかし、その当時は音楽らしい音楽は日本にはありませんてした。

1928年(昭和3年)佐藤千夜子が31歳のとき、わが国最初のレコード会社「日本ビクター」で 「波浮の港」を吹き込み、レコードアイドル歌手第1号となったのが最初です。

日本ではまだ芸事をするのは芸者しかいなかったのです。

「環がそんなに音楽学校に入りたがっているなら希望を叶えてやってもいい。その代りお父さんが選んだ養子を貰いなさい」

なんだか凄い話しになってきました。

柴田家には男子がいなく、養子を取るようにいわれたのでした。

音楽学校に入るのなら結婚しなさいと言われます。

当時の家長の権限は大きく。父親の命じたまま結婚せざるを得なかったようです。

環は

「父親の選んだのは藤井善一という陸軍三等軍医正、12歳上の人でした。私は上野の音楽学校にはいれさえすればそれでよい。お養子のことはお父さんの希望通りにいたしました。」

と述べています。

今から120年前の日本の話です。随分と今とは違って結婚とか音楽とかの見方や見識が違うものだと思います。

今日は三浦環の初めての結婚の経緯を書いてみました。時代、時代でものの見方や考え方や価値観が違うものですね。NHK連続ドラマ『エール』もいろんな時代背景を考えながら観ていくともっと楽しくなるのかも知れません。