今日はNHK連続ドラマ『エール』裕一の友人の村野鉄男(中村蒼)モデル作詞家野村俊夫のヒット曲「東京だよお母さん」のお話なしをします。


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「東京だよお母さん」は1957年(昭和32)発表、作詞・野村俊夫、作曲・船村徹。島倉千代子が歌い、発売当初60万枚の売り上げを記録した大ヒット作です。

島倉千代子の情感のこもった歌声に、お母さんと娘さんが一緒に東京見物をする、優しい気持ちが伝わってきていい歌だなと思っていました。

「東京だよお母さん」

        歌詞

1.久しぶりに手を引いて 親子で歩けるうれしさに 小さいころが浮かんできますよ おっかさん ここが ここが 二重橋 記念の写真を撮りましようね

2.やさしかった兄さんが田舎の話を聞きたいと 桜の下でさぞかし待つだろう おっかさん あれが あれが九段坂 会ったら泣くでしょ兄さんも

3.さあさ着いた着きました 達者で長生きするように お参りしましよう 観音様ですおっかさん ここが ここが浅草よ お祭りみたいににぎやかね

ただ、これは戦後生まれの私が感じたことであって戦前生まれの人たちは全く違って感じていたのです。

実は我が子を想う母の歌だったんです。

戦前生まれの人と戦争を知らない世代と歌の感じかたがこうも違うのかと驚きました。

野村俊夫の「東京だよお母さん」の歌にこめられた想いは以下の通りです。

戦争で子供を失った田舎の母親が東京に出てきて母の行きたいところを案内します。

母の行きたい場所は二重橋、靖国、浅草の三つです。

そうです母の戦争で亡くなった兄への想いが消えないのです。母は戦争の記憶と深く結びついた場所をお参りする。

そういう歌だった。

母と娘は二重橋に行って並んで写真は撮ってはいるけれども、しかし息子が、兄さんが亡くなったことで、本当に心はなぐさめられてはいない。

それで九段に行きます。

息子が、兄が英霊として祀られている九段に行きます。それでもなおそのお母さんの哀しみは癒されません。

最後は浅草の観音様にお参りする。

親娘の姿がこの歌には実によくうたわれています。

戦死した兄が眠る靖国神社を詣でる情景が描かれた歌詞はガダルカナル島で戦死した野村の弟鈴木忠治郎(五男・福商昭和10年卒)を悼む歌詞でもあったと言われています。

この歌が作られた昭和32年は、まだまだ戦争の傷痕があちこちに残っていました。

戦後10年以上経ちましたが、多くの戦前生まれの人達の戦争の傷は癒されることなく残っていました。

野村俊夫の作詞した「東京だよお母さん」はその当時の人の共感を得て大ヒットとなったのです。

古関裕而や野村俊夫の生きた時代は「満州事変」「日中戦争」「太平洋戦争」と日本は戦争にあけくれていた時代でした。

古関裕而を語るには戦争を避けて通れませんし、彼自身が戦時中には多くの軍歌を作った事実は避けて通れないのです。

NHK連続ドラマ『エール』のドラマでは今のところ戦争にかかわる話はほとんどでていません。

NHKが公共放送局たらんとするならば、ドラマがフィクションであろうが、ドラマが古関裕而の生きてきた人生を描こうとするのならば、戦時中を生きた人々のためにもきちっと戦時中の古関裕而も描かなければいけないのです。