NHK連続ドラマ『エール』ドラマはいろんな展開をしていますが、ドラマのキーマンとなっている双浦環(柴咲コウ)さんモデルの三浦環さん。

「蝶々夫人」を2000回演じ、「お蝶夫人」を演じるために生まれてきた人物であると称され、「マダム・バタフライ」として世界中に名声を轟かせたオペラ歌手です。

今日は三浦環さんの初めての結婚の話しをしてみたいと思います。


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三浦環初めての結婚

三浦環、旧姓柴田環。最初の結婚は1900(明治33)16歳の時、相手方は12歳年上の藤井軍医28歳との親の決めた結婚でした。柴田家には男子がおらず、婿養子として迎えています。

結婚は家同士の結びつき。家長の父親が、家柄や財産等で相手となる家を決めるものでした。娘や息子は、決められた相手と結婚するものであって、自由恋愛による結婚は例外的でした。

男性中心社会の明治・大正時代に女性の地位は低く、女に生まれたからには結婚して家を出て、婚家において良妻賢母となるのか、または婿養子を取るのかがあるべき姿とされていました。

明治時代の民法では、女性が結婚できる年齢は15歳からです。

しかし、15歳以下でも結婚する人が多くいたようです。

三浦環さんもその例にしたがい親の決めた相手と結婚しています。

三浦環 「お蝶夫人」より

「環さんは美人だ、とみなさんが評判する、それに東京で一番ハイカラな虎ノ門の女学校に通っていたので非常に目立つ、それで叔母さんが心配して、お父さんに、環ちゃんに間違いのないうち早くお嫁さんになさい、としきりにすすめるのでこの養子問題となったのでした。お父さんのお眼鏡に叶った養子というのは、藤井善一という陸軍三等軍医正、私より十二歳上の人でした。私は上野の音楽学校にはいれさえすればそれでよい。お養子のことはお父さんの希望通りにいたしました。」

三浦環、結婚して7年後の1907(明治40)離婚。

ご主人の藤井さんが仙台へ転勤になります。当然、一緒に行ってくれる夫に対し三浦環は行かないと宣言します。

「藤井が仙台へ転任することになったので、藤井は当然私が一緒に仙台へ行くことと思ったのでした。けれど私は音楽を捨てることが出来ない。」

夫にかしずくということは、結局一人の男を幸福にすることだ、これは女として当然のことだが、女なら誰にも出来ることだ、音楽家として歌をうたうことは社会を幸福にすることだし、日本の文化を高めることである。

「あなたには御不自由でほんとに済まないと思うんですが、お一人で仙台へ行って頂戴。私は東京であなたのお帰りをお待ちしながら、音楽をやっていますから」

「うん、お前の話はよくわかった。実はわしがお前と結婚した時は、お前がこんなに偉くなろうなんて考えもつかなかった。わしにとってはお前が偉くなることよりも、わしの世話女房になってくれることを望んでいるんだよ」

藤井はそう言って離婚を三浦環に伝えます。

三浦環の初めての結婚は7年にて終了しました。

昔の日本は家と家の結びつきなので、なかなか離婚出来なかったのではないかと思いますが、そうではありませんでした。

明治初期の日本の離婚率は、なんと3.38もありました。これは、現在の1.73の倍近いし、現代のアメリカの数字より上です。資料によれば、江戸時代の離婚率は4.8もあったらしいとのこと。現在離婚率世界一位のロシアの4.5よりもはるかに多かったんです。

日本は昔は離婚が多い国だったんです。

昔は三行半(みくだりはん)という言葉があります。これもみなさん誤解されている方が多いのですが、この三行半は、夫が妻に対して一方的に突き付けるものではありません。離婚というものは、双方の承諾がなければできませんでした。決して、夫だけにその権利があったわけではないのです。 

また、三行半は、「離縁状」というだけではなく、「再婚許可証」でもありました。江戸時代でも重婚は罪に問われました。だからこそ、離婚の証拠がないと再婚ができないのです。だから、離婚したいと思った妻から夫に対して「早く三行半を寄こせ」と要請した例も多いんです。

三浦環初めての結婚の終了ですが、世間が離婚したと知ると再婚の申し出が次々にきたそうです。

ほんと三浦環がモテモテだったと言うか、当時から男性陣が節操がないと言うか。

再婚の話しは次回またお届けします。