NHK連続ドラマ『エール』では美しい双浦環(柴咲コウ)と大作曲家小山田耕三(志村けん)が何度か登場しています。


二人のモデルは三浦環さんと山田耕作さんなんですが、実際は二人の年齢は2歳しか違っていません。しかも、三浦環さんが山田耕作さんの先生をしていたそうです。


随分とドラマと現実は違うようです。


ただ、三浦環さんは双浦環役、柴咲コウさんと同様にとても美しい方でした。


三浦環さんは「自転車美人」と呼ばれていました。


■ 三浦環「自転車美人」


明治の終わりに『魔風恋風』という新聞小説が人気を集めていた。主人公は帝国女子学院を卒業する間際の美少女、萩原初野。


主人公が登場する最初の情景はこうだ。


「此の時しも坂の曲角に立つ人々の眼は、皆一様に輝いて下の方に向いた。此方に立つ群衆も、そりやこそ御出だと首を伸し、人の背後なるは足を爪立てた。/鈴(ベル)の音高く、現れたのはすらりとした肩の滑り、デートン色の自転車に海老茶の袴、髪は結ひ流しにして、白リボン清く、着物は矢絣(やがすり)の風通(ふうつう)、袖長けれど風に靡(なび)いて、色美しく品高き十八九の令嬢である。/両側に列ぶ幾万の目は、只だ此の自転車を逐うて輝くのであるが、娘は学校にのみ心急ぐか、夫(それ)とも群集の前を羞かしいのか、切(しき)りにペダルを強く踏んで、坂を登れば一直線に、傍目も触らず正門を指して駈付けんとすると、今しも腕車を曳き込んだ雑踏の間から、向う側に移らんとしたらしく、二人の書生が不意に躍出した。/曲角の出合頭、互に避くる暇もない、後なる書生に自転車が衝突(つきあた)つたと思ふ間も無く、令嬢の體は横樣に八九尺も彼方に投げられ、書生は仰向きに其處(そこ)に倒れたのである」


小杉天外『魔風恋風』より


小杉天外(18651952)はすでに忘れられた作家だが、1900年代から20年代、明治末から大正期に流行作家として知られていた。『魔風恋風』は1903(明治36)年2月から9月まで「読売新聞」に連載された小説である。単行本は1904年に春陽堂から3分冊で発売され、ベストセラーとなった。


色彩鮮やかな書き出しによって自転車で通学する萩原初野が登場し、転倒することで悲劇的な運命まで暗示している。


 『魔風恋風』の「自転車美人」のモデルが三浦環(当時は柴田環)だった。小杉天外の新聞連載は19032月から9月、環が自転車美人と騒がれたのは1900年から数年間だから、間違いなく天外は環の姿をモデルにしたのである。


「あさが来た」颯爽と自転車にのる女性 三浦環。ケイのblog


http://keijidaz.livedoor.blog/archives/53249411.html


三浦環と山田耕作

三浦環1900(明治33)年9月に東京音楽学校へ入学する。17歳だった。自伝ではこう書いている。


三浦環


「上野の音楽学校への通学ですが、私は前髪を赤いリボンで結んで、紫の矢絣の着物に海老茶の袴、靴を履いて自転車で芝から上野に通いました。当時女が自転車に乗るのは珍しく、殊に女学生で自転車に乗るのは私と、後で女の小学校の校長さんになった木内キヤウさん位だったので大変な評判で自転車美人だなんて新聞は書きたてる」


吉本明光『三浦環のお蝶夫人』より


山田耕筰(18861965)が東京音楽学校へ入学したのは1904年、環はこの年に卒業し、奨学金を支給されて研究科に入り、同時に「授業補助」の辞令を受けて声楽を教えた。声楽科に入学した山田耕筰の先生となったわけだ。


山田耕作


「当時はまた、三浦環女史が、自転車美人の評判を高くしていた。美校の先生が牛の背で通う同じ上野の山内を、その頃文明開化の尖端であった自転車を、しかも妙齢の美女、環さんが走らせるのだから、評判にならないはずはない。しかし、私たちにとっては、それはいい悪戯の目標でしかなかった。/ある日私たちは山内で、自転車に乗った三浦さんに行き合った。/「それッ!」/と私の目くばせをうけるまでもない。咄嗟に美校と音校の連合軍は、腕を組んで自転車の行く手を遮ってしまった。三浦さんが右へかわそうとすれば、悪童たちはその方へ寄る。左へかわせば左へ追う。スクラムを組んだまま道路を右へ行き、左へ行き、この動く関所は自転車の通行を許さなかった。追い詰められた三浦さんは、とうとう操縦の自由を失って、精養軒わきの浅い空溝へ自転車もろとも落ち込んで終った」


山田耕筰『自伝若き日の狂詩曲』より


三浦環


「また上野の音楽学校の男生徒と美術学校の生徒はとても茶目、私のことを『タマちゃん、タマちゃん』と云ってひやかしているうちはよかったのですが、だんだん悪戯が嵩じて、しまいには往来を横に一列になって通せんぼうをする、私がそれをよけて右へ行くと右へ、左へ行くと左へ立ちふさがって、とうとう上野の精養軒のわきの溝の中に、自転車ぐるみ私を落っことして手を叩いて大笑いするのです。憎らしいのなんのって、その悪戯者の中では山田耕筰さんなんかが餓鬼大将だったのです。(略)もっとも先生と云っても私と山田さんとは年が二つしか違わない。いくら女の方が早く大人になるとは云え二つ違いの兄さんなら粋なのだけれど二つ違いの生徒では、手古摺らされるのは当り前だったかも知れませんね」


先生の三浦環さんをからかう、山田耕作さんいたずら好きで随分と餓鬼大将だったようですね。その点は志村けんさんと似てるかみも知れません。NHK連続ドラマ『エール』で見ると小山田先生と双浦環さんは年齢がかなり開いてるとみえますが、モデルの三浦環さんと山田耕作さんが2歳しか離れていなかったとは初めて知りました。