NHK朝の連続ドラマ『エール』福島に帰ってきた裕一は母親や弟から結婚を反対されます。なかなか家族や親族にみんなに喜んでもらう結婚は難しいものですね。
弟は兄を親身に考えているのは父や母、家族なんだと問いかけますが、しかし、裕一の音を思う気持ち、音が裕一を思う気持ちは変わらないようです。
二人の気持ちは文通により固く結ばれ、別れることが出来なくなっていました。
■裕一と音のモデル古関裕而と金子の結婚
1929年(昭和4年)古関裕而20歳、金子17歳の時から二人の文通は始まりました。
金子
「広い世界ににこうして結ばれた魂と魂しい。お互いが真剣に生一本な心の持ち主だったら、一致したとき必ず偉大な芸術を産み出すことが出来ると信じます。」
裕而
「貴女が不美人だろうが、なんだろうが、そんなことは第二です。ただただ貴女の、金子さんの気持ちに、その熱に、私は感じております…。」
金子
「私もただ、あなたを愛するのみです。キス、キス。私はこのレター一面にキスします」
裕而
「金子さん!貴女は、私の発想の源です」
古関裕而には、もう金子なしの人生は考えられなくなっていたのです。
1930年(昭和5年)6月1日二人は結婚します。
裕而20歳、金子18歳でした。
■生涯続いた二人の文通
結婚後も古関裕而は、妻金子に「今年も仲良くしましょうね」と年賀状を出していました。
同じ屋根の下にいる奥さんに、わざわざ郵便ポストに入れて年賀状を出していたのです。
結婚しても、妻に年賀状を出すなんて、普通は考えられませんが、これが裕而の金子に対しての変わらない愛の表現だったのです。
「今年も仲良くしましょうね」古関裕而の妻に対して一生涯続いた愛のメンツセージでした。