今年もいろんなことがあった。長年勤めていた会社も再雇用終了。65歳からの再就職試験。spipcで受けたり、ネットで申込したり。65歳の壁は険しい。まあ、でも、なんでも挑戦するのは楽しいね。


結局、なんとか再就職。しかし、安給料に、こんなんやってられるかよと言いながら毎日、仕事に出かけながら、資格を取って、再度挑戦に燃えている。何歳になっても負けず嫌いに笑うしかない。


面接の時に何歳までやれるのかと聞かれたので親父が83歳まで仕事をしたので、そこらまではと答えた。面接官にとってはいい迷惑。さすがに落とされた。


日本人って年齢、年齢って言い過ぎるんだよね。こう思う私は、ある意味変人なのかも知れない。


2020年人生2回目のオリンピック。なんとか参加したいと思いボランティアやチケットに応募したが見事に落ちた。オリンピックはどうしょうか。


ネットで面白い記事がでていた。


新任高齢者のツイート  阿川佐和子


いよいよ高齢者の仲間入りをした。人呼んで前期高齢者。だからなんだという感慨は別にないけれど、あと何年ぐらいこうして万事おおかた滞りなく日々を暮らしていけるだろうかと、ふと思う。十年後には七十五歳。その名称が残っているとするならば、後期高齢者に突入する。十年なんてあっという間だ。十年前に何をしていたかを思い出すと、時の流れの速さを実感せざるをえない。


そもそも高齢者を「前期」とか「後期」とか、誰が二分割したんだ? 「前期」には、「そろそろ身の回りを整理して、終活を始めてくださいね」、さらに「後期」という言葉には、「まもなくお迎えがきますよぉ。準備はよろしゅうございますか」という囁きが込められているように聞こえるではないか。


そんな呼称をつけておきながら、一方で国は「人生百年時代到来」を唱え、「もっと働いてください」と言い出した。どっちなんだ。長生きはめでたいのか、それともお荷物なのか。もはや全人口の三分の一に近づきつつあるという高齢者(六十五歳以上)は皆、引退したほうがいいか、はたまた老体に鞭打って第二の人生を模索するか、鈍り始めた頭と身体でよれよれ迷っておりますぞ。


十年後、いったい私はどれだけ背筋を伸ばして歩き回り、人の話が耳に届き、たまに好きなゴルフをして、とりあえず台所に立って料理をしたり、テレビ画面に向かって、「くだらん!」と悪態をついたり、夕方になるとビールを飲みたくなったり、おいしいものを「おいしいぞ」と言いながら食べたりしていられるだろうか。


すでにけっこうな腰痛持ちである。朝、ベッドから起き上がるとき、「イテテテ」と言わずに立つことができない。洗顔の際、前屈みになって両手に水をすくってゆすごうとする、その姿勢がまた「イテテテテ」である。


すでに耳が遠い。補聴器が必要なほどではないが、頻繁に人の言葉を聞き間違える。どんな聞き間違えをしたかと、ここで気の利いた例を挙げたいところだが、とんと思い出せない。


先日、ゴルフ場で久しぶりに会った友人に、「アガワ、耳、遠くなった?」と鋭く指摘され、「そうなのよ」と応えながら、「こんな聴力でインタビューの仕事を続けていいものか?」と心中で自問し、かすかに動揺した。動揺したことは覚えている。でも、どういう聞き間違えをしたかは思い出せない。って、さっき書いたね。


だからすでに記憶力にも自信がない。耳が遠くなり、記憶力が低下して、いつまで仕事を続けられるだろう。いや、続けていいのか悪いのか。その引き際を潔く自分で定められるかどうか。それが心配だ。

幸か不幸か、組織に勤めぬ私のような商売の人間には定年がない。強制的に区切りをつけてもらう機会がない。だから、いくつになろうと意欲さえあれば仕事を続けられる。それは有り難いことと受け止めるけれど、自ら引退宣言をしないと、他人に迷惑をかけることになりかねない。


「アガワさん、言ってることもやってることもボケてきたけれど、やる気だけあるから困るよねえ。誰かが鈴をつけないと、あの人、仕事辞めないよ」なんて陰で囁かれるのも嫌だ。さりとて早々に引退して、その後やたらに長生きしてしまったら、それはそれで厄介だろう。


父は九十歳を前にして断筆した。長く続けていた連載を打ち切り、「もう書かない」と宣言した。苦渋の決断かというと、そうでもなく、案外、あっさりしたものだった。


「書けばいいのに。老人の愚痴でも世間に対する腹立ちでも、普段、ウチでさんざん吐いているのだから、そんな話題を気楽に書けば、共感してくれる読者もいると思いますけどねえ」


さりげなく説得してみたが、思いのほか、父の決心は固かった。しかし家族としてはやや心配だった。生涯のほとんどを原稿用紙に向かう時間に費やしていた父が、その生活を突如として止めてしまったら、たちまちボケるのではないか。あるいは生きる気力を失って急激に老いるのではないか。


ところが父にはそういう兆候はさして見当たらなかった。もちろん年齢なりの老いはあったが、余った時間で読書をしたり好きな麻雀に興じたりして、「旨いものを食いたい」欲と、家族の前で不機嫌になる体力は相変わらず旺盛だった。


そんな隠居生活を四年あまり続けた末、大病に罹ることも認知症状を起こすこともなく、九十四歳にして老衰で亡くなった。今思えば、父が仕事を辞めたタイミングはなかなか絶妙だったように思われる。


父の晩年がそうだったからといって、娘も首尾良くいくとはかぎらない。まして、父のように直前まで頭がしっかりしている自信はさらにない。むしろ母同様、認知症になる確率のほうがはるかに高いと思われる。ならばどんな高齢者時代を設計すればいいだろうと、ときどきそんな不安が頭をよぎるのだが、実際のところは原稿の締め切りやインタビューの準備に追われて日々をあたふたしのぎ、そしてまた今年が終わろうとしている。


知り合いの知り合いの、つまり見知らぬ男性の話だが、その人、会社を定年退職したのち、道路工事現場での交通誘導員の職に就いたという。ヘルメットをかぶり、旗や誘導棒を手に自動車の通行を整理する係のことである。その噂を耳にした友人たちが同情した。気の毒に。さぞやつらい思いをしていることだろう。ところが本人は、いたって元気に答えたそうだ。


「会社じゃ誰も自分の言うことを聞いてくれなかったが、今は俺の意のままだ。『止まれ!』と言えば車は止まる。『行け』と合図すれば発進する。こんな気持のいいことがあるものか!


ポジティブとは、もしかして、本人ちっともポジティブと自覚していない生き方のことを言うのか。自覚なきポジティブ老後はなかなか悪くない。


人生って生てるだけでまるもうけ


これから寒さを増しますのでご自愛下さい。

みなさまには、よいお年をお迎えください。