NHK連続ドラマ「わろてんか」ではお国のために北村笑店「わろてんか隊」が出陣しました。


みんな緊張感のある表情でした。


慰問とは言え戦地の知らない土地へ赴く気持ちはどんな気持ちだったんでしょうか?


<明日のわろてんか>風太らはお国のため 「わろてんか隊」が出陣!

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180304-00000028-mantan-ent


当時の慰問団の次のような記録がありました。


「演芸慰問団」


戦時中、日本軍は「皇軍」と呼ばれました。


外地にいるその皇軍のため内地から駆り出された「演芸慰問団」の数は大変なものでした。


芸能人と呼ばれる人で行かなかった人はいないといわれたほどに、みんな出かけています。


昭和134月から昭和168月にかけて外地に行った慰問団の資料があります。


陸軍恤兵部派遣が満州に21団、166人、970日。


北支に38団、435人、1594日。


中支に43団、382人、2182日。


南支に20団、197人、1160日。


122団、1180人、のべ5906日。


各府県派遣が満州に45団、405人、2525日。


北支に72団、647人、3026日、中支に66団、609人、2831日。


南支に54団、422人、2010日。計237団、2083人、のべ10392日。


おどろくべき数字といえます。


当時中国は支那(しな)と呼ばれていました。


支那とは、中国またはその一部の地域に対して用いられる地理的呼称、あるいは王朝・政権の名を超えた通史的な呼称の一つである。


現代の中国において、この呼称が悪意的、侮蔑的呼称であるとされることもある。


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北支は華北


中支は華中


南支は華南


当時の日本人からすれば中国は途方もなく広大な地域でした。


ただ、ただ国のためにと思い芸能人は中国のあちこちを慰問してまわっていました。


吉本興業の「わらわし隊」


吉本興業もこの例にもれなかった。


昭和13年に朝日新聞と吉本がタイアップして「わらわし隊」という慰問団を結成した。


当時、陸軍の飛行隊は「陸の荒鷲隊」、海軍は「海の荒鷲隊」と呼ばれ、時代の花形であった。


それを「笑鷲隊」とモジったネーミングで洒落ていた。


命名は吉本の長沖一(漫才作家)と伝わる。


誰もがお国のためを思って慰問団に参加したのでした。


戦争は国と国の戦いであり


ある意味、国民を盲目にさせる。


そして勝つことのみが目的となる。


ある国が勝てば他の国が負ける。


人類の歴史はある意味戦争の歴史である。


歴史は繰り返されると言うが、戦争の歴史の終わりの最終章は人類の滅亡でしかないのだろうか?


- ジョン・F・ケネディ -


人類は戦争に


終止符を打たなければならない。


さもなければ、


戦争が人類に


終止符を打つことになるだろう。