NHK連続ドラマ「わろてんか」では藤吉が亡くなってから4年の歳月が経過。


主人公てんは藤吉の跡を継いで北村笑店の社長になっていました。


朝ドラの北村笑店のモデルは吉本興業です。


史実の吉本興業の吉本せいも社長になっています。


昭和7年(1932年)31日、吉本興行部は「吉本興業合名会社」に改組し、吉本せい(林せい)が主宰者に就任し、弟・林正之助が総支配人に就任した。


吉本興業はどんどんと「お笑い」の世界で拡大していきます。


今日は吉本興業が「お笑い」の世界だけではなくスポーツ界にも大きくかかわっていたと言う話をします。


それもスポーツ界でもプロ野球の世界です。


まずは、巨人軍の伝説の投手、沢村栄治の話しからです。


伝説の投手 沢村栄治

 

日本の野球界に伝説の人物がいる。


「沢村の前に沢村なく、沢村の後に沢村なし」などと今でも語り継がれている沢村栄治である。


19341120日、静岡の草薙球場で行われた日米野球第8戦。


ここまで7戦全敗だった日本だが、この試合で先発した17歳の沢村が、ベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグ、ジミー・フォックスら大リーグの球史に残る名選手たちから次々に三振を奪ってきりきり舞いさせたのだ。


六回まで両軍とも得点なくゼロ行進。七回にゲーリッグに本塁打されて惜しくも01で敗れた。


これが日本で語りつがれている沢村栄治の伝説の試合なのだ。


当時、沢村栄治はどの程度のスピードでなげていたのかが最近検証されている。


実に160キロ以上のストレートを投げていたそうである。


スポーツを科学する 沢村栄治は160キロ超? 往年の名投手の球速は

https://r.nikkei.com/article/DGXZZO70816220X00C14A5000000



日本プロ野球の始まり


現在の巨人の前身にあたる大日本東京野球倶楽部が設立されたのは、昭和9年(1934年)のこと。


この年にはアメリカからベーブ・ルースやルー・ゲーリックらを擁すメジャーリーグ選抜チームが来日し、日本の野球熱も一気に過熱した年でした。

 

そのため同年の12月に大日本東京野球倶楽部が設立され、沢村栄治選手ら19名の選手が所属となっています。

 

設立の音頭をとったのは読売新聞社の社長だった正力松太郎で、大日本東京野球倶楽部の設立にあたっては様々な企業に出資を要請しています。

 

筆頭株主となったのは京成電鉄でしたが、吉本興業部も出資して株主となっています。


NHK連続ドラマ「わろてんか」風太のモデルである林正之助も役員として派遣されていました。

 

この大日本東京野球倶楽部は2年後には、東京巨人軍に改称することになります。

 

後に読売巨人軍となって、球界の盟主とも言われる読売ジャイアンツのルーツなのです。


もう一人NHK連続ドラマ「わろてんか」伊能栞( 高橋一生 )の史実モデル小林一三の話しです。


小林一三が作った阪急


アメリカのワシントンにいた小林一三は、阪神がプロ野球チームを設立したと聞いて、直ちにプロ野球チームの発足を本社に命じる。


そして1936年(昭和11年)に設立されたのが大阪阪急野球協会、即ち阪急軍だ。


しかし、新聞社である読売、そしてライバル鉄道会社の阪神に遅れを取ったのである。


それが、今後の阪急の運命に影響を与えたのかも知れない。


それでも、阪急軍は紛れもなく、日本プロ野球創成期のメンバーだった。


そしてこの頃、企業名をチーム名に冠していたのも阪急軍だけである。


1936年(昭和11年)、設立当初の日本プロ野球に参加した球団は、


東京巨人軍(現:読売ジャイアンツ)


大東京軍(現:横浜DeNAベイスターズに吸収合併)


東京セネタース(消滅)


名古屋軍(現:中日ドラゴンズ)


名古屋金鯱軍(消滅)


大阪タイガース(現:阪神タイガース)


阪急軍(現:オリックス・バファローズ)


の7チームだった。


そのうち、約半数の3チームが消滅、あるいは吸収合併させられている。


アメリカのメジャー・リーグ(MLB)では1901年(明治34年)にナショナル・リーグとアメリカン・リーグという二大リーグになってからは、一度たりとも球団消滅あるいは球団合併がないのとは対照的だ。


現在の日本プロ野球(NPB)では、巨人×阪神が黄金カードと呼ばれる。


だが、日本プロ野球の創立時は、そうではなかったようだ。


最大のライバル対決は大阪タイガース×阪急軍、要するに阪神×阪急だった。


小林一三の口癖は「タイガースには絶対に負けるな!」だったのである。


これは阪神とて同じで、タイガース初代監督の森茂雄は、ある試合で「阪急に負けた」という理由だけで、アッサリと解任されたという。


阪神にとっての最大のライバルは東京巨人軍ではなく、同じ関西の鉄道会社を母体に持つ阪急軍だった。


阪急軍と大阪タイガースとの定期戦は人気を呼び、「関西の早慶戦」とも呼ばれたのである。


阪急と阪神は、お互いの定期戦の時には社員を動員して、応援合戦を繰り広げた。


そして1937年(昭和12年)には、阪神の甲子園球場に匹敵する本格的な本拠地球場である阪急西宮球場を、同じ西宮市内に完成させたのだ。


アメリカの球場を模した造りになっており、当時の日本の球場としては初めてとなる二層式のスタンド、さらに内野にも芝生を敷き詰めていた。


このあたり、阪神に対する過剰なまでのライバル意識が見て取れます。


事実は小説より奇なり


なんだか、NHK連続ドラマ「わろてんか」のドラマの世界よりも実際の歴史の方がいろんな面白いドラマがおこなわれていたようですね。