アメリカから帰国した啄子は、てん(葵わかな)や藤吉と久しぶりに再会し、大きく成長した北村笑店を見て驚く。


つかの間の家族団らんを楽しむ啄子は、藤吉にある思いを告げる。


また、庶民の生活の中に万歳のネタがあることを実感したキース(大野拓朗)とアサリ(前野朋哉)だが、それを上手く新しい万歳の形にすることができずじまい。


そこでてんが、万丈目(藤井隆)に台本を書いてもらうことを思いつく。


『わろてんか』第94話では、懐かしの“あの人”が再登場!

https://beauty.yahoo.co.jp/enta/articles/833373


アメリカの「しゃべくり漫才」がエンタツアチャコの原点だった。


アメリカでは当時「二人組の漫才」がありました。


戦前から戦後すぐのあたりまで、テレビやラジオで全国的な大人気コンビが活躍していました。


ボケ役とツッコミ役がはっきりと分かれた形式のしゃべくり漫才でした。



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( アボット・コステロ )


漫才のビートたけしは「早慶戦」という野球のネタは、「アボット・コステロ」の「Whos On First?」が元だといっています。


海外の笑いと、昔からの万歳をうまく融合させて誕生したのが漫才であると


漫才の歴史は非常に奥深い~「たけしの“これがホントのニッポン芸能史”」より

http://taidan.org/?p=907


ではアメリカの「アボット・コステロ」の「Whos On First?」をちょっとみてみましょう。


■ Whos On First


昔々、セントルイス・カーディナルスにWhoという変な名前の選手がいたらしい。


それにヒントを得て"Who's on first"という漫才が作られ、アボット&コステロのコンビが演じて大ヒットした。


「一度聞いただけじゃさっぱりわからない。二度三度聞くうちに少しずつわかってくる」

ラジオ時代の漫才だ。


ルーズベルト大統領が笑い転げたという噂も広まり、おりからの野球ブームにも乗って、アボット&コステロは大スターになっていった。


野球チームを作ろうというアボットの提案で野球を始めるのですが、監督役のアボットがこう言います。


アボット「ファーストはフー、セカンドはワット、サードはアイドントノーだ」


するとバットを持ったコステロはこう聞き返します。


コステロ「え、誰が誰だって? 名前を教えてくれよ」


アボット「ファーストがフー、セカンドがワット、サードがアイドントノーだって」


コステロ「だから、ファーストは誰だって?」


アボット「フー」


コステロ「ファーストだよ」


アボット「フー」


コステロ「こっちが聞いてるんだよ! ファーストの名前は何だ!(What's the name of the guy on the first?)」とキレます。


アボット「いや、ワットはセカンドだ」


コステロ「じゃあセカンドは誰(Who)なんだ?」


アボット「フーはファーストだよ(who is the first)」


コステロ「知らないよ(I don't know)」


アボット「アイドントノーはサードだってば」とこれを繰り返すという漫才です。


Who(誰)、What(何)、I don't know(知らない)という名前の選手たちという設定です


確かにWhoWhatさらにはI don't knowさんと言う名前がいたら笑えてしまうかも知れませんね。


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( エンタツ・アチャコ)


エンタツアチャコの早慶戦


「きみ」「ぼく」という言葉を使い、日常的な話題を題材とし、なかでも有名な演目が『早慶戦』でした。


野球を知ってる者が知らない者に説明する、というネタである。


アチャコ「投げました」


エンタツ「投げました」


アチャコ「打ちました」


エンタツ「打ちました」


アチャコ「大きな当たり」


アチャコ「セカンドを回ってサード」

エンタツ「セカンドを回ってサード」


アチャコ「サードを回ってホーム」


エンタツ「サードを回ってホーム」


アチャコ「ホームを回ってレフト」


エンタツ「ホームを回ってレフト・・・なんでやねん」 


ボケとツッコミと言葉の繰り返しのスピード感。


ほんとアメリカの「しゃべくり漫才」と同じようです。


アメリカに行った横山エンタツがどちらかで「しゃべくり漫才」を目にしていたものだと思われます。


「笑い」の究極は会話のキャッチボールにある。


アメリカの「しゃべくり漫才」が日本の「しゃべくり漫才」のお手本としてあったようです。


アメリカも日本も国が違えど同じ人間でしかないのです。


人間の中でも何がおかしいのかって?


それは他の動物にはない言葉があることです。


結局、「笑い」の究極は会話のキャッチボールのある「しゃべくり漫才」にあるのだと言うことなのです。


アメリカの「しゃべくり漫才」は衰退し日本では現代も大流行しています。


歴史ってほんとうにわからないもんですね。