NHK連続ドラマ「わろてんか」ではてんも乙女組の面々のことに心を砕いていました。




てんはドジョウ鍋を四人に振る舞い、四人の娘たちに島根の故郷の味を楽しませます。


その夕食の席で、ある騒動が起こりました。


踊り子の人・とわと、隼也の姿がどこにも見当たらなくなったのです。


と言うところで2017年の NHK連続ドラマ「わろてんか」も来年に持ち越しになりました。


来年に続くです。


来年もなんだか楽しみになりました。


ところで史実では安来節は島根の出雲から大阪、東京と一大ブームを巻き起こしていたのです。


安来節は大阪から東京へ


現在、安来節は郷土芸能としての側面が強く打ち出されていますが、大和家八千代 ( 来間おめの )が出雲から全国的な巡業がなされました。


大正期には吉本興業の林正之助が大阪で仕掛け安来節は大ブームとなります。


寄席では早く正之助の仕掛けた諸芸バラエティ路線の花形として当初扱われ、安来節と万歳のコラボで寄席は活況を呈します。


大阪のブームを見た根岸吉之助は1922年( 大正11年) 6月、それまで軽演劇を出していた東京浅草公園六区・常盤座東京に安来節をかけた。


その好評を見た興行師大森玉木により玉木座などで大ブームを起こし、時に遊楽館、松竹座、大東京、十二階劇場、日本館、木馬座で公演され(地元から一座が多くやってきた)、それゆえ浅草では必ずどこかで安来節がかかっているといわれた。大和家三姉妹が1923 年( 大正 12 )大東京と十二階劇場を掛け持ち出演し、そのわずか 200 メートルの距離を走って間に合わせようとしたが、人出の多さに一時間もかかったという。


独特の田舎っぽさが受けて、大正期には東京・大阪の日本の二大都市で安来節はもてはやされたのでした


大正から昭和初期の演芸界において、安来節は多大な影響を残しています。


ほんと安来節がそんな一大ブームを引き起こしていたとは現代ではとうてい想像もできません。




( 江戸川乱歩 )


■  安来節のどこがそんなに魅力的なのか


大正15年小説家、江戸川乱歩は「浅草趣味」の中でこう述べたいる。


僕にとって、東京は魅力は銀座よりも浅草にある。


浅草ゆえの東京住まいといってもいいかも知れない。


尤も、活動写真の中心が浅草を離れた形で、その上『プロテア』時代の魅力ある絵看板も禁ぜられているので、やや昔日の俤を失ったが、それにしても、やっぱり浅草は浅草である。


江川玉乗り一座のなくなったのは淋しいが、時々小屋掛けのサーカスも来るし『花やしき』には昔ながらのダーク人形、山雀芸等をやっているし、平林、延原両兄が乗った木馬館もあるし、因みに、これには僕も乗ったし、最近では横溝正史君が乗って、大いに気をよくした由である。


また僕の大好物の安来節もあるし、そこへ時々は女角力なんて珍物も飛込んで来るのだ。」


「浮き世のことに飽き果てた僕達にとっては、刺激剤として探偵小説を摂ると同じ意味で、探偵小説以上の刺激物として、それらのいかものを求めるので、探偵小説も、例えば安来節も、少なくも僕にとっては、同じような刺激剤の一種に過ぎないのだ」


「僕達の通り言葉なんだが、あれの持つネジレ趣味である。ネジレというのはどこかの方言で、いやみと訳せばやや当る。いやみたっぷりなものを見ると、こう身体がネジレて来る。そのネジレを名詞に使ったのだ。我々は一応ネジレなるものを厭に思う。だがそのネジレさ加減があるレベルを越すと、今度はそれが言うに言われぬ魅力になる。」


「和製ジャズと言われている通り、小屋全体が一つの楽器であるが如き、圧倒的な、野蛮極まる、およそデリケートの正反対であるところの、あの不協和音楽の魅力である。」


江戸川乱歩はそうとうに安来節が大好きだったようである。


当時の人々にとっては出雲地方の安来節にかなりの衝撃を受けたようです。


それは現代の日本人が「よさこい節」「阿波踊り」に魅力を感じるのと同じように安来節にも同様な魅力を感じていたに違いないのだです。