NHK連続ドラマ「わろてんか」の寄席で行われている演芸には現代の漫才グランプリM-1 の優勝者とろサーモンのような二人でしゃべる「漫才」はまだ登場していない。




M-1グランプリ 2017』とろサーモンが優勝 ラストイヤーで 13代目王者に

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「万才」と「漫才」の違い


昭和初期、「万才」は落語や浪曲といった伝統ある出し物の間をつなぐ色物とされていました。


内容も、歌や踊りを見せるもので、つなぎにしゃべる程度のもの、内容は下品で低俗と言われたのでした。


その万才を、全国で誰にでも理解できる大衆芸能・「漫才」に大変身させたのがエンタツ・アチャコのコンビでした。


「まんざい」の表記は「漫才」「万才」「万歳」「萬歳」の四つがあります。 


数百年の歴史がある、正月などに門付けして街を回る「三河萬歳」「尾張萬歳」などのお祝い芸には「萬歳」の字が使われており、それが明治期に、舞台芸として扱われるようになって、「万才」「万歳」の字が使われるようになります。


「万才」「万歳」は、様々な芸が含まれていましたが、大正末から昭和初期にかけては、多くは、三味線や鼓をもって歌を歌ったり、踊りを踊る音曲万才でした。


エンタツ・アチャコがそれまでつなぎだけだった、「しゃべり」だけで行うまんざいを確立する頃から、「二人で行う漫談」という意味も含め、「漫才」という新しい字が使われ始めました。


実際には大正から昭和初期にかけては、どの字も使われていました。


「しゃべくり」以前のまんざいを「万才」、二人が目指した新しい「しゃべくりまんざい」として「漫才」と表記してあります。 




横山エンタツと花菱アチャコが現代の漫才の原点でした。


会話だけで成立した笑い、さらにその中に、「ボケ」と「ツッコミ」という役割が初めて存在しました。


現代の漫才の原点です。


横山エンタツ


「今の万才は、あまりにわい雑で下品である。 


 日本中の老若男女が誰でも共感し、家族で笑える、 無邪気な笑いをとる漫才がしたい。」  


横山エンタツと花菱とアチャコの二人ははあえて会話体で漫才を始めます。


アチャコ 「よう、タッツアン」

エンタツ 「ああ、元気か?どないや」

アチャコ 「どないて、なにが?」

エンタツ 「アッチや、アッチ、アッチ・・・・」

アチャコ 「アッチねェ。コッチはエエねんけどな、アッチはさっぱりワヤでおます。アキマセン」 


有名な二人の代表作「早慶戦」では


「ボク」と「キミ」と言う言葉を使ってみたり。


アチャコ


「今までだれもやったことのないことだから、どこにもお手本はない。 


私たちは毎日が勉強だった。」


二人の漫才はラジオを通して、全国つつうらうらの家庭に届けられたのでした。


横山エンタツと花菱アチャコ二人が現代の漫才ブームの基礎を作ったのでした。