「べっぴんさん」NHK連続ドラマ、昭和17 年神戸の商店をさくら他女学生一行が歌を歌いながら行進しました。






♫歩け、歩け、歩け‥我ら乙女の挺身隊♫


なんだろこの歌?


調べてみたら昭和165 月国民歌謡で「歩くうた」と言う曲でした。


国民歌謡は戦前の1936年から1941 年の期間、月曜から土曜の午後035 分から 5分間、新しい作った曲を1週間連続して流した番組です。






  歩くうた」


高村光太郎  作詞


飯田信夫      作曲


徳山 璉       歌手



あるけ  あるけ  あるけ  あるけ


南へ  北へ  あるけ  あるけ


東へ  西へ  あるけ  あるけ


路ある道も  あるけ  あるけ


路なき道も  あるけ  あるけ



あるけ  あるけ  あるけ  あるけ


目ざすはかなた  あるけ  あるけ


けぶれる  ゆく手  あるけ  あるけ


果なき  野づら  あるけ  あるけ


こごしき  磐根  あるけ  あるけ



あるけ  あるけ  あるけ  あるけ


身をやく  日照り  あるけ  あるけ


塩ふく  背中  あるけ  あるけ


身を切る  吹雪  あるけ  あるけ


凍てつく  目鼻  あるけ  あるけ



あるけ  あるけ  あるけ  あるけ


思ひは  高らか  あるけ  あるけ


大地の  きはみ  あるけ  あるけ


海さへ  空さへ  あるけ  あるけ


吾等を  とどめず  あるけ  あるけ







作詞はあの「智恵子抄」の作者、高村光太郎です。


わたしは教科書に出ていた高村光太郎の「レモン哀歌」が好きです。


「レモン哀歌」 高村光太郎


そんなにもあなたはレモンを待つてゐた


かなしく白くあかるい死の床で


私の手からとつた一つのレモンを


あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ


トパアズいろの香気が立つ


その数滴の天のものなるレモンの汁は


ぱつとあなたの意識を正常にした


あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ


わたしの手を握るあなたの力の健康さよ


あなたの咽喉に嵐はあるが


かういふ命の瀬戸ぎはに


智恵子はもとの智恵子となり


生涯の愛を一瞬にかたむけた


それからひと時


昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして


あなたの機関ははそれなり止まつた


写真の前に挿した桜の花かげに


すずしく光るレモンを今日も置かう


高村智恵子は1935(昭和10 年)、品川のゼームス坂病院に入院。


1938
年(昭和13年)10 5日、粟粒性肺結核で息を引き取りました。

「レモン哀歌」は、妻智恵子の死の瞬間を描いた作品。

智恵子の死の翌年の1939年(昭和14 年)、雑誌「新女苑」に発表。


41
年(昭和16年)第二詩集「智恵子抄」に収められました。


『智恵子抄』が発表された1941年(昭和16 年)の128 日、真珠湾攻撃によって日本は太平洋戦争に突入します。

戦争中、光太郎は智恵子を喪った悲しみを振りはらうように戦争詩の製作にのめりんでいきます。


光太郎はひたすら戦気高揚詩を書き続け、一切智恵子のことを書かなくなりました。


愛する人を亡くした哀しさのかわりに、戦意高揚の書き続けなければならなかった高村光太郎、なんだか悲しくなってしまいました。