『暮しの手帖社』では「社員は家族」と考え、まわりの人々をとても大切にしていた鎮子さん。





鎮子さんは、社長業と主婦業は両立できそうにないと、独身で生きる事を26歳にして決めてその後も貫き通します。

編集長は花森安治さんでしたが、大橋鎭子さんや母の久子さん、次女の晴子さんや三女の芳子さんたち『大橋家』が一丸となって、会社を支えていました。

花森さんが雑誌づくりに集中するため、鎭子さんは対外的な仕事をこなす社長を任せられた。だが、社長とは名ばかりで、雑務全般も担当した。

そんな鎭子さんをサポートし、花森さんの秘書役を長年務めていたのが三女・芳子さんだった。

芳子さんは控えめなタイプ。役職はデスクですが、ほかのスタッフと一緒に雑巾がけもします。編集部では相談しやすいお姉さん的な存在で、体調を崩せばいちばんに心配して声をかけていました。

晴子さんは実直なタイプで、当時はあまり目立とうとしない奥ゆかしい女性。

三姉妹で唯一、結婚されていますが、結婚後も大橋家全員で同居していたので、編集員と会う機会も多かった。

大橋鎭子は入社時に『締切りを守るためなら親の死に目にも会えません』とくぎを刺されていました。

実際は社員の母が倒れたときには、心から心配してくれて『すぐに病院に行きましょう』と付き添っていました。

晴子さんは『ちゃんと食べているの?』といつも社員の健康を気にかけていました。

芳子さんは編集部では出納係をされていました。

社員の母の治療費が大変だった時、経費の精算のときには『これで足りる?病院へのタクシー代もちゃんと請求しなさい。給料の前借りをしてもいいのよ』とまで言うのでした。

社員はみんな『大橋家』の家族だったのです。

<明日のとと姉ちゃん>9月26日 第151回  常子、紙面と社内の改革宣言! そして花山は……


『暮しの手帖』は女性の暮しを良くするための雑誌です、大橋鎭子は『暮しの手帖社』の女性社員の暮しも良くしなければならないと考えて、自分の会社も女性の働きやすい職場にするためいろんな社内改革をしていました。

★男女平等

給与面の待遇も、男女の差別なし。

女性も男性も、みんなが自分の暮らしの知恵や実感を持ち寄り、とにかく手を動かして、わいわいと賑やかに作ってこそ、『暮しの手帖』なのです

「暮らしのベテラン」である女性社員をとても大切にしていました。

家では主婦をこなす女性社員からこそ、たくさんの暮らしの知恵が出されるのです。

会社としては負担もかかるであろう30歳以上の女性をあえて公募し、採用していました。

★出産休暇

女性社員に子どもができると、どれくらい出産休暇が必要か、出産後はどのように働きたいか、ひとりひとりと話し合って決めていたそうです。

今でこそ、産休や育児休暇は当たり前ですが、この時代ではとても珍しい待遇だったと思います。

★福利厚生

会社として、社員教育や親睦をはかるために様々な行事があり、社員旅行、ダンス、写真コンクール、パーティー、野球などをいそがしい日々の合間をぬって行っていたそうです。

研究室(編集部)では、社内環境を整え、部員のために夕食の準備をする当番も設けられていたといいます。

3時になるとお茶とおやつの時間も。

手作りの大切さ、あたたかさ、団らんの場がしっかりと設けられていて、本当に家族のようです。

★『暮しの手帖社』離職率は0%だった。

現代、厚生労働省は毎年「新規学卒者の離職状況」調査を実施しています。

最新の調査結果によると大卒の3年後離職率は32.3%と、実に「3年で3割が辞める」計算なのです。

ある時、『暮しの手帖社』入社したくてノーアポで受付に来られた女子大生がいたそうです。

「この会社に入りたいのですが、どうしたら入れるでしょうか?」

と聞くと

「当社は新たに人は雇いません。今の人数で間に合ってますし、誰も死ぬまで辞めません。」

「新たに雇用するとしたら、誰かが死んだ時です。」

『暮しの手帖社』の人事担当者が返答したそうです。

当時は女性を大切にする会社でしたので誰も辞める人がいなかったようです。

『誰も辞めない会社』離職率は0%と言うことなのでしょう。

ほんとに衝撃的な会社です。