『あさが来た』NHK連続ドラマも最終回となりました。主人公あさのご主人新次郎さんも亡くなってしまいました。




和服姿の小粋な新次郎さん、今でも忘れられません。








許嫁のあさに新次郎は言います。



「あさちゃんの好きにしたらええ  ようよう考えてみい  、ようよう考えて進んだ道には必ずあさがくる」



あさと新次郎はそれから毎日新しいあさを迎えます。







『あさが来た』NHK連続ドラマ主人公あさと新次郎を観ながら新しいあさを迎えていた毎日でしたが今日で最後です。



『あさが来た』ロスになるかも知れません。



ところで主人公のあさ史実モデルの広岡浅子ですが新次郎が亡くなってから15年後に亡くなられます。









★広岡浅子の死




広岡浅子は大正8年(1919年)1月14日、腎臓炎のため東京・麻布材木町(現六本木6丁目)の別邸で死去。満69歳。



死の2日前まで、訪問客と社会情勢を論じ、天文学について質問をしていたといいます。



1日おいた16日、新聞各紙に「広岡浅子刀自逝く」として訃報が載っています。



東京朝日新聞訃報

 
「大阪加島屋の女主人廣岡浅子刀自は昨年春以来健康を害ひ兎角病状に親しみ勝ちで旧臘(昨年12月)19日から宿痾の腎臓炎でドッと床に就き麻布材木町の家にて療養しつつあったが14日午後8時病俄に革(あらた)まって白玉楼中の人となった享年71昨朝大阪から男恵三氏上京して喪を発した程でまだ葬儀の日取は明らかでない」
 


「男勝りの女性」「女性教育に貢献」と見出しをつけ、夫を助けて加島屋を隆盛に導き、日本初の女子大学「日本女子大学」建設に尽力したという解説もついていました。



新聞各紙「男優りの女傑」「女傑伝中の第一人者」という見出しが躍りました。



葬儀は21日に東京・神田青年会館で、23日に大阪市西区土佐堀青年会館で行われた。



東京では約1300人、大阪では約 900人が列席。



日本女子大学では、同年6月28日に大規模な追悼会が行われました。



日本女子大学校では、校長の成瀬仁蔵が、浅子の後を追うように1ヵ月半後の3月2日に亡くなっています。



大隈重信弔辞



「 浅子夫人は常に『たとひ女子であっても努力さえすれば男子に劣らぬ仕事ができるものである、また力があるものである。



而して人間は、その境遇を切り開いて自分の思う理想に達することのできるものである』という固い信仰を持っておられました。



このように浅子夫人は、男子も及ばぬような偉大な力をもって全ての事にあたられましたので、ある一部分の人からは多少誤解も受けましたが、しかし浅子夫人の活動は実に目覚ましいものでで、ただにその広岡家のためのみならず、社会的の活動は本当の手本としなければなりません。」


「天性偉大な廣岡夫人」(『家庭週報』第524号、1919年(大正8年)



浅子が最も愛した聖書の言葉は



「愛する者よ、我 等いま神の子たり」

(使徒ヨハネ第一書 3.2/大正訳)


でした。



愛する夫を亡くし、怒濤の人生を歩みきった広岡浅子にはキリスト教は富や業績には換えられない大きな慰めがあったようです。




『あさが来た』NHK連続ドラマはほんとうに面白いドラマでした。



もう、主人公のあさや新次郎は毎朝観ることは出来なくなりましたが、わたしたちのあさは毎日やってきます。



主人公あさのように人生楽しく明るく生きていきましょう。